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第五話 撫子

※小春と才四郎の後日談その二になります。

「一晩だけ。一夜の思い出に良いではないですか」

「良い訳がございません。私は来月彼の。才四郎の妻となる身です。別の男性と寝るなど、不貞節な真似をできるわけがございません」

「貞操など、実際無きに等しいのが、世の常。男女の仲では無いですか」

「そのような世の常は聞き及んだことがございません。酒席でのお戯れと忘れるように致しますので、どうぞお引き取りください」

 先程から押し問答を繰り返しているのだが、目前の宿屋のご主人は、僅かにも引く気配を見せない。なぜこのようなことになってしまったのだろう。

「小春は桜の花のようなものだ。野山に咲く桜の木があれば、寄って、暫し見ていたくなるだろう」などと、才四郎に、つい先日諭されたことが、ふと思い起こされる……。

 気候もだいぶ涼しくなり、日差しも和らいできた昨今。人通りの少ない場所では、包帯を取って道を行くことが多くなった。久方ぶりに、涼しい秋の風を頬に感じ、清々しい気持ちでいたいのだが……。すれ違う人に、声をかけられ戸惑うことが増えた。気持ちの良い挨拶などであれば、願ったり叶ったりだが、なぜか殿方から。しかも、物珍しそうに、あまり好きでない笑みを浮かべながら、近寄られるのである。
 才四郎が傍にいてくれるので、「何か?」とすまして応対してくれる。すると、すごすごといった様子で散っていく。恐らく私の目の色が物珍しいのだと思うが。見世物にされているようで、いい気はしない。段々そのようなことが面倒になり、再び顔に包帯を巻くことにした。するとその様子を見た才四郎が、どうしたのだ? と訪ねてきたのだ。

「色々気兼ねすることが多くなり、この姿の方が楽ですので」

 私が答えると、才四郎が、そうか。まあ俺はその方がいいんだが、などと返してくる。

「私の目の色が珍しいのでしょうか……それにしても包帯をしている時は、そのようなことはないのに……」

 そう呟くと、才四郎は障子窓に、膝を立て、行儀悪く座りながら、

「目の色は確かに珍しいが。それだけでも無いんだがな。小春は桜の花のようなもんだからな」

 と言った。そして先のように続けた。

 自身は分からないのだが、彼が言うに私は、傍によると、桜の香りがするらしい。おそらく小さい頃より、母が焚いていた桜の香が、持ち歩いている小物や着物などに染み付いているからだろう。それも関係しているのかもしれない。桜と言えば、母の名前でもあり、格別思い入れのある花である。彼にそう例えてもらうのは素直に嬉しい。普段見ぬもの、心動かされるものがあれば、傍に行き、声を掛けて見たくなる。それは人情だからしようがない。気にしなければいいと彼は続けた。

「花見に来た連中が、木の下で、いざこざを起こしたとして、それが桜の花のせいなどと言うような無粋な輩はいないだろう。だからお前が気に病むことは何一つないと言うことだ」

 その時は、そういうものか、と、なんとなく得心したつもりでいたのだけれど。

 しかし……このような彼の留守中。いや、まるで計って彼をこの場から外したような状況下で、殿方に言い寄られるなど。こうも骨の折れることばかり起きるのであれば、思い入れのある花とはいえ、自分の中の、彼の言う所の、桜に当たる部分を、恨み、切り倒し、排除したくもなる。これもまた人情ではないのか。

 一通り思いを巡らし、ため息をついた刹那。隙あらば今、といったご様子で、ご主人の手が私の懐めがけて伸ばされた。

ーー才四郎の知り合いとはいえ、こうなってしまってはしようがない。

 私は腹を決めてその腕を、優しく受け止めるふりをして……掴むと同時に、力一杯自らの方へ引き寄せた。

 事の始まりは、昨日の昼間。とある民宿の軒先で、私がある花に夢中になり、不用意な態度を取ってしまったことに端を発している。自業自得ではあるのだけれど……。

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