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第二話 薄明

※小春にであう前の才四郎の過去の話です。

その伝令が来たのは、薄明だった。 

――勝ち戦である、残党がおらぬか確認し、早々に城へ引き上げろ、と。

 東の空が次第に紺色に代わり、次第に橙を帯びてくる。冬近い晩秋の頃だ。空気は既に肌を切るように寒く、秋虫の声も、もう聞こえない。死屍累々とした雑木林は不気味に静まり返り、物音一つしない。

 思えばおかしな行軍であった。

 後軍が火器を携え、前方に配置された足軽を盾に攻撃を仕掛けてきた。こちらも後続の飛び道具を始末するため、歩兵を斬らねばならなかったが、背後の味方による理不尽な攻撃で命を落としたものも多かった筈だ。雑木林の梢から、近くに人の気配が無いことを確認し、地面に飛び降りる。差し込んできた陽の光を頼りに、足元に転がっている雑兵の一人の顔を見やった。

 その瞬間、俺は目を疑った。

 それと共に、心臓が跳ね上がるような驚きと、今までどの戦場でも感じたことのない嫌悪。そして沸き上がる恐怖に、体は震え、気づくと、その場に跪き……胃の中のものを全て吐いていた。

 目の前にすでに物言えなくなった、恐怖に顔をひきつらせ、仰向けに転がるその雑兵。

 最後に別れて数年たつが見間違えるはずもない。彼は俺が忍になると村を出る際に、最後まで反対し、しかし最後には励まし送り出してくれた唯一無二の親友、三軒隣の幼馴染みの弥平だったからだ。刹那、あのおかしな行軍の意味を瞬時に理解し、同時に俺は口を拭い、ふらつく足を奮い立たせ立ち上がった。恐らく俺の実家のある村を襲撃し、男共を従軍させたに違いない。であるならば、姉……。村に残している大切な人。病弱である姉の安否が、気になる。行かねば……! 急ぎ姉を助けに行かねば!

 突如肘を強く引かれ、反射的に後ろを振り向いた。

 まさに今、村へ戻ろうとしている俺の行動を制止するように、有無を言わさぬ力で腕を押さえつけられる。俺の目に、白髪混じりの、猛禽類のような目を持つ大男、自らが所属する忍隊の頭の顔が飛び込んでくる。気配を全く感じることなく背後を取られるなど、独り立ちしてから一度もない。それ程今の俺は動揺しているのだろう。兎に角にも、丁度良い。隊を一時離れることへの許可をもらおうと声を出そうとした。しかし、うまく声にならない。全てを知っているのか頭が無言で首を振った。――それが全てを物語っていた。俺の実家のある北西の小さな村は、もう既に無いのだ、と……。

 以前より不穏な動きが懸念されていた、北の領主が、とうとう数日後同盟を破って、こちらへ攻めいるつもりである。という報が入ってきた。そのような報せは、そうそう漏れるようなものではない。しかし侵略される側に、命乞いを求める者が合わせて数人、その報と共にこちらへ寝返ってきたのだ。北の領主は恐らく落ち目なのであろう。
 我々の領主様は、まず北の領地の村の女子供などを、自らの城下町に呼び寄せ匿うという令を発した。その後、健康な村人たちを集めて隊を組み、北側で待ち伏せをする、我はと思うものは集え、と召集をかけた。戦を行うときは、城につめている武士だけでは、とてもじゃないが人手が足りない。領地の民を足軽として組織するのは必須だ。しかも士気が高くなければ戦場で役に立たない。自らの家族、領地を大切にし、守ってくださる領主様の意に答えようと、民が自ら意を決するのを促すため、そのような令を発されたのであろう。
 領地の北には街道沿いに、商業により栄えた宿場町の機能を持つ村がある。民の数も多く、恐らくその商業都市の金を狙った進軍であろうことは目に見えていた。領主様もそこから通行税を徴収している関係上、絶対に手放したくない。
 とはいえ、素人の集まりの足軽で倒せる敵の数など他かが知れる。自分が所属する忍隊にも急ぎ伝令が下った。先に闇討ちし、野戦で奇襲をかけ、兵の数を減らし、疲れさせておくようにということであった。

 先の伝令で、北の村の女子供を護衛し、湖の傍にたつ城の城下町へ護送の任に着いていた俺は、野戦の命を続けて受け、とんぼ返りで北へと戻った。疲れなかったと言われれば嘘になる。しかしそこから北西にいった外れの場所には、自分が生まれ育った村があった。小さいが大切な人達の住まう村だ。今回標的となった村よりは、かなり離れているとはいえ安全とはいえない。俺は元々百姓の四男坊だ。こんな仕事に就いているのは元々その村に住む、大切な人、姉のためだった。村を巻き込むような戦になるのを防ぎたい。そう思えば疲れよりも、任を滞りなく遂行し、成功させることの方が大事だった。

 報の通り、北の連中は想定された時間、場所に現れた。しかし当初の予想より、雑兵の数が多かった。

 戦意のない相手を斬るのは躊躇させられたが、夜に紛れてまるで雑兵を盾にするように、石火矢など重火器、火縄を使い雑木林の隙間を縫って攻撃をしかけてくる相手に容赦は出来ない。装備については叶わなかったが、機動に関してはこちらが上だ。ある程度気付かれることを予測していたようだが、こちらに情報が完全に漏れ、万全の準備を敷いているとは思っていなかったらしい。俺達が止められなかった残党も、背後に控えていた足軽たちに殺られ、夜明け前には、ほぼ壊滅、相手方の兵は散り散りに逃げていた。

 そして、俺は足元に転がる死体を見て全てを知ったのだ。こいつらは北西の端にある、俺の村を最初に侵略し、兵の数を増やして、こちらへ進軍してきたのだ、ということに……。恐らく、酷く色の悪い顔をしているであろう俺に、頭がいつもと同じ感情を殺した声で言った。

「どうやら北西の村を焼き討ちにし、民を従軍して来たらしい。北西のあの村はお前の出身地であったな……」

 夜襲をかけたときの、あの雑兵を盾にしたような、戦い方はそういう理由であったのだ。

「村に寄ってから、城へ戻ります」

 震え、情けない声ではあったが、やっとそれだけ伝えた俺に、頭は憐れみをたたえた瞳で見つめ首を振った。

「行ってもなにも残っていない。女子供は情報が漏れるのを怖れた奴等に皆殺された。男は一人残さず従軍された。ただ焼け野原が広がるだけだ」

 行ったら余計辛くなる、このまま城へ帰るように、これは命令だ、と口早に伝えられた。

 人は悲しみがあまりに大きいと思考が止まる。感情さえも死んでしまうのだ、と俺はその時初めて知った。涙一つこぼすことも出来ず、俺はただ、意志も感情も持たぬ人形のように頷き、その命に従うしかなかった。


「北西の村の民には、申し訳ないことをした。守ってやることができなかった。お主はあの村の出身であり、唯一の生き残りになってしまったな。本当にすまない」

 城に戻り、詰所へつめていた俺に、数日後、領主様直々にお声が掛かり、相まみえる機会が与えられた。数日経っても、実際村が滅びた様子を見ることさえ許されず、後片付けの仕事に追われていた俺は、姉が死んだことが信じられないような気持ちで、ただただ呆然とした日々を送っていた。頭に領主様直々に、お前とまみえたとの思し召しだと言われ、重い腰をあげて指定された部屋へと向かった。頭に付き添われ、領主様の部屋の下座に通される。気付くと、その周りには領主様の家臣もすでに座しており、その中で俺は、領主様の深々と頭を下げられた。

「いえ、そのようなお言葉、お心遣いをいただきまして、勿体のうございます」

 俺はそう返した。周りの家臣達から、このような身分の者にも、領主様はお優しい、というような感嘆の言葉が入ってくる。ふと顔を上げ、領主様の目を見つめた。その表情には、お前の村を見棄ててしまって申し訳なかった、という苦悶の表情が見て取れた。ああ、そうであったか。なんとなく思いはしていたが、懸念が確信に変わる。俺の村が襲撃されことは、野戦前には、明らかになっていたのだ。しかしそれは限られた人間にしか知らされなかった。知らされれば、味方を斬ることに躊躇する者が現れ、これほどまでの勝ち戦とはならなかったであろう。

「領主様より、そのようなお言葉をいただき、頭迄お下げいただいたとあらば、あの世に向かった村の者も浮かばれましょう」

 それ以外なんとえば良かったというのだろう。冷静に鑑みれば、小さな村を助けようとすれば、もっと大きな犠牲が出たはずだ。小の虫を殺して大の虫を助ける。さほど大きくないこの領地の民の命の犠牲を、最小限に抑えるにはそれしか策がなかったのだろう。結果、百人も満たない俺の出身地を見捨てることで、数百に上る領地の民の命はそれに代えて助かった。領主様の判断は間違ってはいない。彼は非常に才に恵まれた、頭の切れる方であることに違いはない。その上この謁見も恐らく、家臣達に自らの徳を見せつけ、さらに結束を高めるために、領主様が態々開いた茶番なのだ。

 これから先も、彼がいる限り、この領地の安全は守られ、平和な時間が過ぎていくことが約束されるに違いない。

 だが……俺の村は奴に見捨てられた。
 そして俺は今、自らの心を殺し、家臣の結束を高めるためのこの茶番に付き合わせれ、道化師となることを、強いられている。人の心とは、どれ程までに冷たく、無情なものなのであろう。

 俺の大事な者たちを返してくれ。せめて、せめて姉を、姉だけは助けたかったのに……!

 そのような人の心の裏、裏切り、冷酷さに傷つけられながら、俺はそれを誰かにぶつけ、責めることができなかった。領主は間違っていない。だがそれを許すことなど感情が許さない。到底出来ない。だが……領主が組織する忍隊の一員である俺は、ここにいる以上自らの心を殺すしていくしかない。

 隊の者も事実を知り、後ろめたかったのであろう。それから、ことあるごとに、飲みに誘われた。そして気づくと女と二人きりにされている。その時俺はまだ十七だった。年の若い男が好きな酒と女という快楽によって、とにかく忘れろ、ということだったのだろう。それで全てを忘れることができるのであれば、身を任せるが、それどころかさらに、人の心の闇がつまびらかにされることばかりで、こちらの気が沈むばかりであった。

 自分は、あまり頓着したことはないが、女人受けする容姿であるらしい。

「才四郎さん、大変でしたね……お可哀想に」

 酒を飲んで女を抱く。酒場の女たちは、必ずそう言った。そして型にでもはめたように、同じことを続けて口にする……でも、私は傍にいますから。そして俺の胸に頬を寄せてくる。同時に彼女らの心の声が聞こえてくる。

『この期を逃してなるか。この者と共になる。さすればこの苦界から抜けることができる。皆の羨望を受けて、抜けることができるのだ』

 こちらの心情など御構い無しだ。奴らは自らの欲望を、人の弱味につけこみ貫き通そうとしてくる。領主や、頭、この者も皆同じ。人とはこういうものなのだろうか。
 
 誰も信用することができず、人間不信に陥る。そして全てを壊したくなるような酷い感情を持て余す日々の中、ある日ふと思い至った。

 いや真に憎むべきは、この怒りと悲しみを誰にぶつけることなく、物わかりのよい自分を演じている俺自身ではないだろうか。俺こそが村の者たちに責められて然るべき存在なのではないか……。

 もし皆を心から大事に思うのであれば、あの場で頭に歯向かい村へ急げばよかった。あの場で刀を抜き、領主に斬りかかればよかった。躊躇せずに隊を抜ければ良かった。

 そうしなかった俺こそ、権力に従うしかない、哀れで弱い、裏切り者ではないか……。

 そう思い付いたが最後、自分が憎く、憎悪が止められなくなった。夜から昼まで酒を煽り、気付いたら、湖畔に立っていた。

 吐き気と酷い頭痛に呻きながら、もうこのような思いから解放されたいと願った。

 俺も皆の所へ行きたい。

 そもそも、忍になった理由、愛する姉の「戦の世を早く終わらせたい」という願いももう、すでに叶える意味がない。この世に止まる意味などないではないか。

――自らの首に、己の刀の刃を当て滑らそうとした、まさにその時であった。あの娘に会ったのは……。

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