助産師を辞めるとか、辞めないとか。
いま、すっっっっっっっごく
助産師を辞めたい。
一年目の頃の私ですら、ここまで強く
助産師を辞めたいとは思っていなかった。
少なくとも助産師1年目の頃の私には
もう少し熱意があった。たぶん。
だがしかし、今はそれがすっからかん。
探しても探しても見当たらない。
捜索願はだいぶ前から
出しているんだけれども
ずっと所在不明です。失踪中です。
助産師になりたいと思っていた
小学生時代の自分を脳内へ登場させる。
君と話がしたい。
「ちょっくら今しんどいんだわ」
「あなたが望んだ職業には無事なったわけよ」
「でも2年目になって心と身体が急に悲鳴あげてる」
「そこんとこ、どう思う?」
「辞めれば?」
小さな頃の私の容姿はほぼ天使で、
無垢な目でそう言われると
「あーね」とかしか言えない。
ちょっと待ってほしい。
助産師の何がしんどいのか書くから
まずはそれを聞いてほしい。
せめて言い訳を聞いてほしい。
それを聞いてからそういうこと言って下さい。
①夜勤ってしんど過ぎる
助産師とか看護師とか介護士とか
ホテルスタッフとかタクシー運転手とか
職種を超えて多分全員しんどいのでは。
生活リズムの乱れは、精神の乱れ。
私はいま乱れまくっている。
分娩はなぜか夜に多い。
真夜中に電話が鳴り響いて、
その音を合図となって、
アドレナリン全開、恐怖全開、緊張全開。
誰か助けて精神が面舵一杯。
「これを定年までするの?」
気が遠くなる。
私は切実に思う。
「夜は眠りたい」
助産師に夜勤はつきもの、これ常識。
誰だって知っている。
高校生時代の私だって知っていた。
でもまあなんとかなるだろうと思っていた。
なんとかなるわけがなかった。
12時間睡眠を好む人間に
なんとかなるわけがない。
私に真夜中アドレナリン大作戦は正直しんどい。夜勤明けは倦怠感がのんすとっぷ止まらない。
翌日は休みでも大抵布団の上で横姿勢を維持する。
そしてまた仕事が始まる。
まるで仕事の為に生活を送っているよう。
本来人は己の為に仕事をするのではないのか。
仕事の為に生活を無下にしていいのか。
私の場合、全力の否。
夜勤からの卒業を求めます。
②分娩って怖過ぎる
分娩恐怖症になりつつある。
分娩が怖い。
分娩介助がしたくて助産師になったのに
分娩介助がしたくて今の職場に
就職することを決めたのに
分娩が怖い。
私の判断や私のミスが
産婦さんと赤子の命に影響する。
分娩介助は常に臨機応変が求められて。
私の場合、臨機応変が壊滅的。
突発的なこと、衝動的な出来事が苦手な私が
分娩介助、得意なわけがない。
苦手意識はどんどん強まる。
自分が分娩係の日に
「分娩がありませんように」と思う自分がいる。
そのことが一番辛い。
そのことが一番申し訳ない。
生きづらさも、息苦しさも、罪悪感も、
全部そこで感じる。
③人間関係って難し過ぎる
看護師、助産師が全員そうだとは言わないし、言えるわけがない。好きな先輩だって勿論いるもの。ただ「ちょっと危険な人」の割合は看護界、その他の業界と比べて多い気がする。他の業界、全く知らんけど。看護学生になって初めて病院実習に行ったとき、私は愕然とした。「誰も挨拶を返してくれない」それまで生きてきて挨拶を返さない大人と出会ったことがなかったんですね。当時の私は脳内も心もお花畑だったんです。挨拶を返さないということから始まって、高圧的で、幸せそうには見えない看護師があちこちに散らばっている。「私の先祖、貴様の先祖になにかした?」と思ってしまうような、嫌でも感じる看護師からの嫌悪感。
看護学生は未来の看護界の宝ぞ。
二年目の我も未来の医療界の宝ぞ。
貴様が患者になる頃、看護するのは我かもぞ。
こういう方々が看護界には決して少なくない。
だから転職にも慎重になる。
自分がああいう人達に慣れていくしかない。
でも慣れようとするたびに、
何度も傷ついているし恐れている。
この感情の繰り返しにもやっぱり疲れている。
あの人たちと無縁の場所に行きたい。
今のところ、この3つかね。
もっと探そうと思えばまだまだありそうだけど。
医師に電話で報告する時とか、ルート確保できなくて先輩に頼みに行くとか、久々の処置を行う時の不安と緊張とか、絶対に忙しいって分かっている時の出勤前の朝とか、アウスの後の感情とか、そういう破片みたいなものは精神に刺さってる。出血もしてる。でも見て見ぬふりをしてる。
ただ、もう少し考えてみる。
助産師を辞めるとか、辞めないとか。
考える時間だけはたっぷりあるんだ。
だから小学生時代の私は、頭のすみっこで
猫じゃらしでも振りかざしながら
これからの私を見ておいてください。
私のことだから、なんとかなると思う。
たぶん。
なんとかならなかったら笑ってください。