猿飛佐助もいるよ!落人伝説から石田三成のお墓まで(石鎚山と不思議②)
こんにちは。
不思議なことが大好きなみかんと申します。
今回は先日の記事の続き、石鎚山に伝わる不思議についてに書いていきたいと思います。
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◆四国と平家落人伝説◆
四国には古くから各地で「平家落人伝説」が言い伝えられています。
有名な所ですと徳島県の山深い所にある"祖谷(いや)"などが良く聞かれます。
その昔、源平の戦いで敗北した平家の人々が落人になって四国に逃げてきたという言い伝えです。
愛媛県にも平家の落人に関係しているであろう言い伝えが数多くあり、例えば愛媛県伊予市にある"五色姫海浜公園"には源平の戦いで負けた平家の姫達がここから上陸して落人になったという話があったり、愛媛県四国中央市の切山地区には、壇之浦の戦いで草薙の剣と一緒に海に沈んだとされている、幼帝安徳天皇と5人の平家の武将が約半年ほど滞在していた"真鍋家住宅"という家屋が残っていたりします。
(五色姫海浜公園・画像愛媛新聞より)
(真鍋家住宅・画像四国中央市観光協会より)
四国各地に残る落人伝説。
そして石鎚山にも、徳島県祖谷から高知県越知へ落ち伸びる為に平家一行が通ったとされている"平家平(へいけだいら)"という場所があります。
(平家平・画像石鎚山系公式webサイトより)
画像の通り、急な勾配や頂きもなく開けた場所で今は登山ルートとして人気の場所ですが、源平時代に着の身着のまま隠れるようにここを通り、逃げ落ちた人たちがいたのかもしれないと、当時の人達のことを想うと不謹慎かもしれませんが、歴史ロマンをかきたてられる場所でもあります。
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◆石田三成のお墓がある?◆
これは私は実物を見たことがないのですが聞いた話ですと、石鎚山のお膝元の愛媛県久万高原町には1600年関ヶ原の戦いで敗北した石田三成の家臣が、この地方にいる知り合いの豪族を頼りに逃げ落ち、仕えていた石田三成のお墓を建ててひっそりと供養していたという話があるそうです。
戦国時代つながりでもう1つ。
真田十勇士の1人、真田幸村に支えたとされる"猿飛佐助"の発祥の1つが石鎚山だと言われています。
立川文庫から出版され人気を博した"猿飛佐助"の著者の山田阿鉄の出身が愛媛県今治市であり、石鎚山にある"猿飛橋"を見て思い付いたそう。今治市駅前には佐助の銅像が置かれています(^^)
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ほぼ落人伝説のお話になりましたが…お付き合い頂きありがとうございましたm(__)m
落人伝説では高知県越知に伝わるお話が面白いですのでまた書けたらと思います。
天狗の話もまた…!