187年前に死んだゲーテに会いにドイツに行ってきた①
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あなたには会いたい人がいるだろうか。
絶対に会えないとわかっていても会いたい人はいないだろうか。
私は、いる。
ドイツの詩人ゲーテだ。
ゴミ屑だらけのこの世界で、私が純粋な敬意を持つ数少ない人間の1人である。
しかし、この願望を実現するにはとてつもない壁が立ちはだかっていた。
それは、彼が約180年前に既に死んでいるということだ。
死んだ命に会うことは、人である限り絶対にできない。
それでも私は一人でドイツに行ってきた。
ゲーテに会うと言っても、実際は彼の足跡を辿る旅になる。
幸いなことに、ゲーテの足跡をめぐるには「ゲーテ街道」というドイツを東西に横断する道々の都市を回れば足りる。
生誕の地フランクフルトからはじまり、終着地は彼が親友シラーと共に眠るヴァイマールである。
ひとりで行くには随分ダイナミックだが、それもゲーテに会うためならやむを得ない。
念のために繰り返しておくが、ゲーテは既に死んでいる。
死んだ人間に会いに行く。往復30時間近くかけて、夏季休暇をすべて使って、大金をはたいて行く。
矛盾しているし、余りにも無意味だ。
だからこの文章にもきっと意味はない。
読む価値はないだろう。
それでも、この文章を記さずにはいられなかった。
旅はじめ
2019年9月。私は羽田空港にいた。一人旅は人生で初めてだ。不安な気持ちと期待感が入り交じって奇妙な高揚感になっていた。
それもそのはず、この旅行は1年前からずっと思い描いていたものなのだ。
私は2018年10月から2019年5月まで仕事に追われ地獄のような日々を過ごしていた。とりわけ1~4月は思い出したくもない、というより記憶もあまりないくらい仕事まみれだった。
初めての業務で、とにかく量が多く、前任者もいない中全て手探りでこなさなければならない。しかし絶対に失敗は許されない。責任も重い。
ストレスも中々のものだった。当時はほぼ毎日仕事の夢を見ていた。
苛立ちと疲労の中で唯一の逃避となったのが、「この仕事が終わったら、全てを投げ出してでもドイツに行ってやる」という幻のような願望だった。
繁忙期から無事に生還して、幻を現実に変えることができた。6月頃からコツコツと計画を立て、フリーツアーの旅行企画会社に細々とした作業を全て委託したおかげで、無事に旅立ちの日を迎えることができた。
フランクフルト
羽田空港から飛行機に揺られること約12時間。フランクフルト空港に到着した。
着いてすぐにお腹を壊してトイレに篭っていたため、タクシーの待ち合わせ時間を大幅に過ぎてしまった。だいぶ不機嫌な顔で現地ドライバーに迎えられたことを覚えている。
ホテルはフランクフルト中央駅のすぐ横に位置しており、夜遅くなってもずっと騒がしくて笑ってしまった。中央駅付近は治安があまりよくないのは下調べでわかっていたが、騒音でそれを実感するとは思わなかった。
ゲーテは生誕から青年期までの多くの時間をフランクフルトで過ごしている。ゲーテハウスというと、フランクフルトとヴァイマールの2つあるが、若年期の生活を知るにはフランクフルトのものになるだろう。
以下、快晴に恵まれながら訪ねてきたゲーテハウスの写真である。
写真を見てもらえばわかるが、リッチな家である。
それでも掲載した部屋はほんの一部だ。
彼は、皇帝顧問官の父と、市長の娘の母を持つ名家の生まれであった。いわゆる「お坊ちゃん」である。生活に困ることはなかっただろう。
これは「詩人の間」と呼ばれるゲーテの作業部屋である。
前期の作品はこの部屋の机で書かれたそうだ。
中でも、ゲーテが名声を得るきっかけとなった前期の著作に『若きウェルテルの悩み』がある。タイトルだけなら聞いたことがある人が多いのではないだろうか。
有名な話ではあるが、この作品には次のようなバックボーンがある。
大学を卒業した後、法律を習熟するためにヴェッツラーという小都市に行くことになったゲーテはその先でシャルロッテという女性と出会う。
たちまち恋に落ちるゲーテであったが、シャルロッテには婚約者がおり、それは彼の友人でもあるケストナーだった。ゲーテはめげずにシャルロッテにアプローチするも、成就することなく、耐えきれなくなった彼はフランクフルトに帰ってしまう。
フランクフルト帰宅後は、シャルロッテの結婚式が近づく度に自殺願望が強まっていたようで、小剣をベッドのすぐそばに忍ばせていつでも死ねるようにしていたと彼自身が後に語っている。
その折に、彼の友人イェルーザレムが人妻との叶わぬ恋の苦悩の末に自殺したという報が耳に入る。
その姿を自らに重ねたゲーテは、イェルーザレムと自身の経験を素に『若きウェルテルの悩み』を著す。
書き記したことによって、彼は何とかその苦しみを乗り越えたという。
ちなみに『若きウェルテルの悩み』にでてくる主人公の想い人も「シャルロッテ」なのでだいぶそのまんまである。
なお、主人公は最後に自分の脳天をピストルでぶち抜いて終わるので、現実のゲーテとは大きく異なる。
私としては、ゲーテがここで死ななくてよかったと安堵するところであるが、ゲーテ自身は作品内で自分の分身を殺すことでやっと苦しみから逃れられたということで喜ばしいことではない。
ゲーテという人はメンタルが弱い割に、活動的な人であるため、ちょくちょくこういう深い傷を負ってしまう。そして、その度に詩や小説を創作することで乗り越えるという荒療治も行っている。
世間一般のイメージではこの活動的な部分ばかり強調されている節があるが、実際はそへだけではなく、苦悩の際になんとか希望を持つために創作をしていたのだが、出来上がった作品の上澄みだけ掬うとそのように見えるのも無理はない。
「詩人の間」の創作机の前に立った時、頭を抱えながらペンを持ち、紙に向かう青年の姿が自然と浮かんだ。
窓から射し込む薄日、床板が軋む音、質素で小さな創作机、ギリシア風彫刻。彼はここでたしかに生きていた。
とうの昔に死んでいる彼の苦しみが色彩を持って私の前に現れているのがわかった。彼の苦しみはここで何度も繰り返され、そしてウェルテルとともに死んでいったのだ。
私がそこで感じたのはゲーテの「死」ではなく、圧倒的なまでの「生」だった。
これはゲーテハウスにあった彫刻だ。
タイトルは「Faust und Gretchen」。
ゲーテの著作でも屈指の名作『ファウスト』からの引用のようだ。
グレートヒェン(=Gretchen)とは、主人公ファウストにとってのヒロインにあたる女性である。
今まで活字でしかゲーテ作品に触れていなかったため、この彫刻を見た時は少々驚いた。
グレートヒェン若いな、とかファウスト結構渋い見た目をしているな、とかビジュアルならではの面白さがあった。
ところで、ゲーテを知らない人がこの彫刻を見たら、ただ男女が戯れている場面にしか見えないだろう。 しかしながら、戯曲『ファウスト』は「悲劇」に分類されるため、ただの恋愛話では終わらない。
そもそも、『ファウスト』は第1部と第2部に分かれており、書かれた時期が大きく異なる。第1部はグレートヒェンとの恋愛が主軸のため比較的わかりやすい構成だ。対して第2部は社会的・神話的な内容になっていて抽象度が極めて高いためやや難解である。
フランクフルトにいた若年期より第1部は着手されていたため、おそらく詩人の間でも執筆に勤しんだことだろう。
フランクフルト期はゲーテにとって感情をかき乱されていた時期だとわかる。
話を戻そう。
第1部は、この世界の何もかもを知りたい我儘男ファウストが、グレートヒェンという乙女と恋に落ちるが、気狂いになるまで追い込んでしまい、彼女が死刑になるのを救いきれなかったところで幕を閉じる。
したがって、彫刻のようにイチャイチャしていたのはほんの束の間で、グレートヒェンがファウストへの愛の深さゆえに全てを失った姿を思うと感傷を禁じ得ない。
当事者ファウストはというと、第1部ののち傷心にはなったようで眠りについていたそうだ。
第2部はその目覚めからはじまるのだが、その後もより上位の快楽を得ようとしているので全く懲りておらず、割と胸糞である。
彼の運命や第2部でのグレートヒェンについては後にまた触れるが、気になる人は是非原作を読んでみてほしい。
こちらもファウストとグレートヒェンの絵画だが、背後でファウストを見ている悪魔メフィストまでしっかり描かれており興味深い。
ドイツ人の精神にどれほどゲーテが浸透しているのかはわからないが、敬意をもって扱われていることはよくわかる。
死する巡礼者、生きた亡霊
フランクフルトで若きゲーテの足跡を辿って、唐突に思ったことがあった。
平凡で何の価値もなく、無意味な人生に労を費す自分を少し許せるような気持ちになったのだ。
ゲーテは絶望にあっても生きることを手放さず、世界が無常であると知りながらも価値を創造しようと努め、悲恋を経験しても愛することを止めなかった。
それは彼が特別に強かったからではなかった。
希望は訪れたり探したりするものではなくて、自ら実現するものだと知っていたからではないかと思う。
生きることがどうしようもなくなっている時、彼は常に創作をした。自らの弱さを徹底的に絞り出し、苦悩と悲嘆に沈みながら、著作の強度に変えた。
そうして実際に何度も希望を手にした。
その作業には想像しがたいほどの絶望も伴っていたはずだ。
それでも希望を信じることができたのは、彼が自分自身の弱さを認め許していたからだと思う。
私にはそれができなかった。ただただ「ここではない何処か」を求めているだけだ。
そうしてドイツにも逃げてきた。
本当になすべきは、自分自身の惨めさを受け入れて、許すことだったのではないか。
私が希望という言葉に嫌悪感を覚え、唾を吐きかけてきたのは、「何者でもない自分」を許せていない証に他ならないのではないか。
バーでソーセージをアップルワインで流し込み、薄暗がりのライン川沿いで風に少し身を震わせながら、ホテルに戻って彼の格言集をめくってみた。
何処に向かうかもわからず彷徨う巡礼者。
辿り着けるかもわからないが、それでも彷徨い続けいつかは野垂れ死ぬ。
誰もそれ以上の存在ではない。
でも、だからこそ、歩くこと自体を楽しめ。それくらいしか人間にできることはない。私がそうであったように。
そう、ゲーテに諭されているようだった。
少し気持ちが楽になった。
私は彼にこう返した。
なら、また歩き始められるようにもう少しだけ立ち止まらせてください、と。
迷いは立ち止まりではなく巡礼の一環であると、彼には一笑に付されてしまうだろうが…
フランクフルトの朝、マイン川にて。