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言わず見守る
咳がとまらない家族が「これから外出しなきゃなんだけど、咳をしてると人が嫌だと思うからどうしたらいいだろう。そうだ、インヘイラー(吸入器)があるからあれをしていったらいいかもね。どう思う?」と聞く。
わたしは薬を極力摂らない派なので、吸入器ももちろん体験なしなんだけど、あれは確かステロイドが入っているんじゃないかと思う。
ちょっと出かけるために、体内にそういう薬を入れるのはやめた方が良いんじゃない?とは思うけど、彼女はそれで気が楽になるのだ。
歳を経て自分が変わったなと感じることの一つが、自分の意見を押し付けなくなった、これはほんとにそう思う。
40代くらいまでは、かなりやってた。「それは違う」「こうする方がいいよ」的なことを言ってたなぁと振り返る。
今は人はそれぞれの生き方、考え方があるから、そこを否定するような物言いはあまりしたくないと思うようになった。
インヘイラーにしても、彼女の声からその薬を信じてる感じが伝わってくる。
人は自分で気づくタイミングというものがあるし、わたしにとっては毒でも誰かにとっては薬だという場合もある。
人間はそれくらい未知の生き物なのだとわたしは思っている。
「察する」感覚で育ってきて、言わずとも察し、言わなくちゃいけない時は遠回しにオブラートに包みで話したりする環境が板についていたわたしだが、アメリカでは「発言しないと存在しない」くらいのディベート文化に鍛えられた。
そこに心底疲れた時、ハワイに移住したら日本に近い肌感覚があったのだ。
ハワイをまだよく知らない頃最初に驚いたのは、お礼にマッサージをプレゼントするから、と家族にギフト券を渡した時。 「ありがとう」と受け取ってくれたけど、当日マッサージサロンから「時間になっても現れない」という連絡が来て、電話を何度もするも応答なしだった時だ。
電話に関しては、こういう経験は何度もある。絶対に出ない、もしくは留守電がセットされていないからメッセージも残せないはあるあるだ。会うと電話はいつも手に持ってるのにね。笑
でも実際に会う時には何事も無かった感じでニッコリ笑っている。
うちのパートナーも「ああそれはハワイアンだから」の一言で片付ける。
言葉に出さないで物事をが進んでいく感じが、なんとなく日本に近いかもと感じるので、慣れた今は「またか」で大丈夫になった。
ハワイに住み始めた頃は、まだアメリカ文化の名残で、黙って察しているハワイの人たちを見て「なぜ言わない」なんてイライラしたものだった。
でもこれが、この小さな島で暮らすひとつの知恵なのだろうと今は思う。
生まれ育った時からずっと知ってる人たちに囲まれて生きる暮らしには、黙って見守る必要があるに違いない。
許し、受け入れ続けることが、小さな世界で生きるコツなのだろう。
日本も島国だから一緒だよね。
はっきり言葉にして詰め寄ることで、間違いが正されたり、良い方向へと舵を切るきっかけになるのはもちろん良いことだと思うけど、あえて言わずに見守る、それでもあなたはこのコミュニティの一員なのだと受け入れることは、より大事だと思う年頃になった。
そこに愛がある。人と人の間に愛が流れている。
歳を経るのは悪いことじゃないな。
変わっていく自分を見つけるのは案外楽しい。