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ニチアサの話がしたい vol,205


■今週のガッチャード

・宝太郎&ガッチャード、ツーショットジャンクション!

 2024年8月25日、『ガッチャード』最終回の朝。私は放送が始まる前からひとり自室で号泣していた。なぜなら最終回放送を今か今かと待ち侘びている最中、特別仕様になったジャンクション(いわゆる「仮面ライダーガッチャード!この後すぐ!」のお知らせのことだ)で、宝太郎とガッチャードが、いや、もはや本島くんと永徳さんが!向かい合い微笑みあって、遠くの景色を並んで眺めるという映像が流れたからである。ズルい。ズルすぎる。こんなのもう泣くしかないではないか!

 そもそも変身ヒーロー番組は「変身前の俳優が変身するとヒーローになる」というお約束があり、特に東映特撮ではそのルールに厳しいため、イベント・映像問わず変身前の俳優と変身後のヒーローが肩を並べることはほとんど無い。( 『烈車戦隊トッキュウジャー THE MOVIE ギャラクシーラインSOS』のオープニングなど特例はあり)なのに、本編中ではないとはいえ、まさか仮面ライダーで、しかも私が大好きな『ガッチャード』でこのツーショットが見られるとは思わず、感激のあまりまだ本編も始まってないのに「本"島"く"ん”ッ”!永”徳”さ”ん”ッ”ッ”!」とボロ泣きしてしまったのだ。ガッチャードを前にした本島純政さんのうれしそうな笑顔に、それにはにかみながら返している(ようしにか見えない)永徳さんの気さくでやさしい雰囲気。「一ノ瀬宝太郎 / 仮面ライダーガッチャード」という1人の主人公を二人三脚で走り抜けてきたこの2人にしか出せない、信頼感と愛情に満ちたこの神がかり的なジャンクションを作ってくださったのはご存知『ガッチャード』助監督の越知靖さん。越さんが放送後にポストしてくださった、このジャンクションに懸けた想いもまた感動的で、越さんには本当にこの場を借りて深く御礼申し上げたい。越さん、素晴らしいジャンクションをありがとうございました!リアタイ時の録画は円盤を購入次第消してしまうことも多いのだが、このジャンクションがある『ガッチャード』の最終回はかつてないほど「絶対に消すことができない録画」になってしまった。

・生きて帰る、おむすびの人間讃歌

 あまりにジャンクションが最高だったため、前置きが長くなってしまい申し訳ない。ここからは最終回の中身の話だ。
 全ての賢者の石を手にし、世界を黄金の理想郷「エルドラド」へと変える力を得たグリオンは手始めにミナトを黄金化して宝太郎たちに見せてみせるとドレットルーパーの大群を使ってあっという間にこの世を黄金に染め上げていき、鏡花もまたその餌食に。「一ノ瀬……自分を信じて、真っ直ぐ進み続けろ!そうすれば……!」「いい?みんな、絶対に負けるな……!」これまで自分たちを導いてくれた、頼れる「大人」の2人が真っ先に封じられ、「子ども(宝太郎)たち vs グリオン」という対戦構造が明確になる。そのような重要かつ序盤で最もピンチ度の高いシーンなのだが、人や街や次々と金ピカの彫像になっていく様子はなかなかにシュールでなぜか絶妙に笑いを誘う。「いや、笑ってはいけない!ここで笑ってる不謹慎な視聴者なんてきっと私くらいだ!」と思ったのだが、どうやら製作サイドも黄金化に真剣に向き合いつつ、どこかでちょっとオモシロがりながら作っていたらしいのでおあいこであろう。でもそうだよな。どう考えてもカチカチにしたミナト先生に白い布かけて運びながら「あやつら、きっと驚くことだろうなあ!フフフ!」とか思ってたグリオン様、どう考えても面白いもんな。

 最終決戦の前、宝太郎は「あとでちゃんと説明する」と母・珠美と交わした約束を果たしにキッチンいちのせへと戻る。ここでの珠美と宝太郎のやりとりがとにかく素晴らしいので少し引用させてもらう。

「こんな時にどこに行ってたの」
「ごめん母さん、ずっと隠してたけど俺……」
「仮面ライダー、なんでしょ」
「え?知ってたの?」
「母親に隠し事はできないってこと」
「そっか……母さん、俺、仮面ライダーだから戦いに行かないといけない。それを言いにきた」
「仮面ライダーだから何?死ぬかもしれないのよ!」
「……最初は託されただけだった。戸惑ったこともあったけど、今は本気なんだ。人とケミーが共に生きる未来を作る。俺は自分のガッチャから逃げたくない」
「……普通のお母さんなら絶対にあなたを止めます。でも仕方ない。私は一ノ瀬宝太郎のお母さんだから」

 ここで少し、1999年に公開された『劇場版ポケットモンスター 幻のポケモン ルギア爆誕』のラストシーンの話をさせてほしい。世界に危機を救った主人公サトシの元に駆け寄った母・ハナコは何て危ないことをするのかと息子を叱る。周囲に「でも彼はこの世界を救ったんですよ」と言われると、ハナコは目を潤ませながらこう返す。「それが何なの?あなたはまだ子どもなんだから無茶はだめ!世界を救う?命懸けですること?サトシがいなくなったら、サトシの世界はもうないの。私の息子はもういないの!あなたがいるから、世界があるの」と。当時この映画を観た幼少の私は「せっかく世界を救ったのに母親に叱られる」というシチュエーションが結構衝撃でずっと記憶に残っているのだが、珠美と宝太郎のやりとりを聞いた時、真っ先に思い出したのもこのシーンだった。あの頃はよく分からなかったが、何か自分が大それた名を冠して世界を救う、そのために戦うと言った時に、「だから何?あなたの命の方がずっと大切でしょ!」と正面切って言ってくれる人がこの世に1人でもいる、何者でもない自分を必死で守ろうとしてくれる人がいるというのは人にとってとても大きな救いなのだと思う。珠美は宝太郎にとってそんな「救い」であり続けながら、自分の夢に向かって突き進む愛する人の間に生まれ、今こうして仲間たちと共に強く、活き活きと育ってきた「一ノ瀬宝太郎」の母親である宿命を受け入れ、戦いに出向く宝太郎を見送るのだ。なんという壮絶な母親の決意だろう。本当は「何バカなこと言ってるの!」と怒鳴りたいかもしれない、あるいは「いやよ、行かないで」と泣いて息子にすがりたいかもしれない。でも、それは宝太郎の歩みを止まらせてしまうことだと分かっているから、珠美は決してそうはしない。震えそうになる声を抑えながら「いい?戦うって決めたなら、めげずに最後まで走り抜くこと。そして、絶対に帰ってくる!」そう言って息子を鼓舞してやる、珠美役 南野陽子さんの魂のこもったお芝居が圧巻だ。その熱演に引っ張られるように、「ありがとう、母さん……」と呟く本島さんの表情もいつになく繊細な揺らぎを見せる。「必ず帰ってくるよ!」そう言ってハグしあう親子が、泣き顔ではなく互いに明るい笑顔なのが一ノ瀬家らしい。そうして珠美はおむすびの入ったお弁当の包みをそっと宝太郎に手渡す。これは田﨑監督のアイディアとのことだが、公式サイトにも書いてあった通り、事前におむすびの袋を映すことで珠美さんの気持ちは最初から決まっていたことが分かり、そう思って観ると宝太郎とのやりとりが何倍にも涙を誘うし、こうして母と子という最もミニマムな関係性の中で「誰かが誰かを応援する力で人の心は強くなる」シーンがあることで、後に宝太郎がグリオンに向かって叫ぶ「弱くたっていい。ケミーや人も、クロトーたちも、みんなで必死で支え合って何が悪いんだよ!」という台詞に更に説得力が増すのがいい。それにしても、『仮面ライダーゴースト』にしろ、『デリシャスパーティ♡プリキュア』にしろ『キングオージャー』にしろ、仲間たちとおむすびを食べる最終回は「どんな時でも、食べて、生きる」という限りある生を精一杯生き抜こうとする人間への賛歌がそこに見え、総じて名作なような気がしてしまうのは私だけだろうか。

・負けるなんて許さない!

 宝太郎、りんね、スパナ、蓮華、錆丸は輪になって珠美さんのおむすびを食べながら(用心を怠らないスパナが立ったままモグモグしているのが可愛らしい)最終決戦への意気込みを固めている間、グリオンが作った巨大な黄金のキューブの内部では、クロトーがグリオンに最後の戦いを挑んでいた。力に溺れて見失っていたが、自分の本当の望みは「誰よりも強い力」ではなく「家族を守れる力」だったと悟ったクロトーは、アトロポスを利用し、ラケシスの命を奪ったグリオンに仮面ライダードレッド参式に変身して仇を打とうとする。捨て身の覚悟で何枚も何枚もカードを切りながら「ラケシス……!アトロポス……!うわぁああああ!!!」と、守れなかった家族の名を泣きながら呼ぶクロトーの悲痛な叫び声がつらい。

 レインボーガッチャードになった宝太郎が錬金術でキューブまでの道のりを作り、仲間からの声援を背にゴルドダッシュで駆けつけるが、その時すでにクロトーは瀕死の状態に。「ようやく来たか……」とつぶやくと、時間稼ぎの責務はこれで真っ当したぞとばかりにその場で崩れ落ちる。その体を抱き抱える宝太郎。クロトーはその腕の中で「お前にさえ出会わなければ、私は望みに気付くことすらなかった」と言い、宝太郎の手を強く握りしめる。「いいか……負けるなんて許さない!許してたまるか……!絶対に望みを叶えてみせろ!一ノ瀬宝太郎!」第1話から宝太郎の因縁の相手として登場し、彼を「仮面ライダーのクソガキ」と呼び続けたクロトーが最期にこうして希望を託すようにその名を呼んで消滅していくなんて、2人はこの1年でなんて遠くまで来んだろうと思ってしまう。第27話の時点で「そのウザい声援がクソガキに力を与えるんだろ!」と、宝太郎の強さの源が何なのか誰よりも早く理解していたクロトー。「負けるなんて許さない!」は、そんな彼女にとっての精一杯の「がんばれ!仮面ライダー!」だったのだろう。薄れゆく意識の中、クロトーは自分を迎えに来てくれたアトロポスとラケシスの姿を見る。「がんばったね、クロトー」2人の手に触れると、その温かさに安堵したかのように事切れるクロトー。アトロポスは「友達」のりんね、ラケシスは「恋したい相手」のスパナ、そしてクロトーは「好敵手」の宝太郎と、それぞれ自分のほんとうの望みに気づかせてくれた大切な人の腕の中で亡くなっていった冥黒の三姉妹。彼女たちは闇から生まれ、悪事を尽くした罰としてこの世から消えていったのだろうか?筆者はそうでないと思いたい。『ガッチャード』が、かりそめの命で動く人形だった彼女たちが「ガッチャ」を見つけ、心を輝かせるまでの物語でもあるとするならば、この彼女たちの結末は「天命を全うした」と言える最期だったのではないだろうか?彼女たちに罰を与える形で物語から退場させることは容易だったはずだ。けれど、そうせずにこうして宝太郎たちと同じ「進み続ける者」として彼女たちの生き様を描いてくれた『ガッチャード』製作陣の三姉妹に対する大きな愛情に、いちファンとして心から感謝したい。いや、その理屈は分かるが、それにしたってお別れは悲しいんだ!という方は(御他聞に漏れず私もそうだが)ぜひTTFCで配信された『冥黒の三姉妹プレゼンツ 仮面ライダーガッチャード 未完計画』最終回を観てほしい。「え?3人がほぼ素でやってるユルいバラエティ番組でしょ?」とお思いの方もいると思うが、最終話はこれまで三姉妹を応援したファンにとっては感涙必須の内容になっており、終わり方も「もう3人には会えないのか……」という寂しさをかなり和らげてくれるので、三姉妹ロスの皆さんは是非ご覧いただくといいだろう。

・ヒーローショーなラストバトル!

 その頃、地上ではマジェードとヴァルバラド黒鋼がグリオンの傀儡として復活した冥黒王たちと戦っていた。ジェルマン、ガエリヤの2人を相手取り、苦戦しかけるマジェードだったが、そこに現れたのはなんと父親の風雅、仮面ライダーウインドだった!ここで突然ウインドが来るのは都合が良すぎるかもしれないが、この唐突な助太刀展開がまるでヒーローショーのようで、ショー好きの筆者は逆にめちゃくちゃテンションが上がってしまう。しかもよく聴くと、テーマ劇伴がアレンジされた風雅さんのキャラソン「風の守護者」まで後ろで流れているではないか!ヒーローショー度プラス500点追加だ。こうして、互いに錬金術師であり、かつライダーでもありながら、話の流れ上これまで一度でもできなかった九堂父娘共闘がついに実現。父が登場した時は何かと泣きべそがかきがちだったりんねが、「お父さん、足だけは引っ張らないでよね」と冗談まじりに小生意気なことを言うところに父と共に戦えることになったりんねの嬉しさが伝わってくるし、「ははっ、言うようになったじゃないか!」と娘の成長を喜ぶ風雅の返答も小気味いい。また、別の場所で戦う蓮華、錆丸が第42、43話に出てきた「ウゴケナクナール溶液」を再び使ったり、錬金術師ではない加治木が「俺にも戦わせてくれ!」と第13話でミナトが使用し一躍話題になったさすまたを使って戦闘に加わるなど、過去回の要素を取り入れた最終回ならではのシーンも楽しい。

 ヒーローショー度の高さは、仮面ライダーエルドに変身したグリオンとガッチャードとの最終決戦でも見受けられた。エルドは次々とケミーたちを黄金化し、ガッチャードから戦う力を奪っていくのだが、宝太郎も「それならば!」と残された手段で応戦していくため、レインボーガッチャード+ガッチャーブラザーズのチーム戦から、エクスガッチャリバーをクロスオンしてのユーフォーエックスとレンキングロボの召喚、ニードルホークによる飛行戦、プラチナガッチャードへの変身と、短い時間の間にこれまでの宝太郎の戦いの軌跡をダイジェスト的にに見られるシーンになっているのがまるでファイナルステージの公演のようであり、何だかグリオン様がものすごく「分かっていらっしゃる」ラスボスのようにも見えてくるのが面白い。

・絶対に止まらない一ノ瀬宝太郎

 しかし、グリオンの圧倒的な力の前にはなす術もなく、ガッチャードライバーまで壊されてしまった宝太郎は、ニジゴンの力を利用され巨大化したドレットルーパーの攻撃によって黄金化してしまう。まるで『スプラトゥーン』ばりの勢いで黄金で塗りつぶされていく地球は、ついにグリオンの悲願である理想郷エルドラドに変貌。ここまでか……!と思われたその時、黄金になったはずの宝太郎が動いた!「俺はまだ……諦めない!」そして一歩一歩、しかし確実にエルドに近づいていく宝太郎。「なぜだ!どうして止まらない!!」永遠に価値ある美しい黄金に変え全てを静止させるというグリオンの理想。その天敵であり、神ほどの力を手に入れたグリオンが唯一持ち得ないものこそ、「絶対に止まらない一ノ瀬宝太郎」なのだ。「仲間たちの……みんなの想いが、乗ってるからだーーッッ!!」そのまま拳を振り上げ、自らを覆った金メッキを破りながらエルドを殴り抜く宝太郎。「俺は絶対に諦めない!仮面ライダーガッチャードだから!!」一年前とは比べ物にならないほど成長した、「一ノ瀬宝太郎」の集大成といえる全身全霊のお芝居。その本島さんの凛々しい表情は、私が何年も観てきた「仮面ライダーの最終回の主人公」の顔つきそのものだった。そう。そうなのだ。この世にこれからどんなに多くのヒーローが現れたとしても、どんな時も止まらず諦めない、私が、みんなが、心から応援したくなる大好きな「仮面ライダーガッチャード」は、この宇宙でただ君だけなんだ。君だけなんだよ!そんな思いが涙と一緒にあふれて止まらない。

・アルティマスチームホッパー!

 宝太郎はグリオンの黄金からなんと新たなガッチャードライバーを錬成。「俺は一ノ瀬宝太郎。これからの世界を作る、大物錬金術師だ!」と宣言すると、新たな姿、仮面ライダーガッチャードアルティマスチームホッパーに変身する。機関車の警笛に合わせてバイザーが開き、ガッチャードの燃えるようなオレンジの両目がパッと現れる演出が最高だ。(しかもよく聞くと「フフン!」って得意げに笑ってる~!かわいい~!)あの頃、進路希望書は真っ白なまま「先生!希望する進路、大物錬金術師って書いといてよ!」と言っていた宝太郎が、本当に大物錬金術師になったのだ。令和に入ってから、初期フォームのバージョン違いが最終回限定フォームとして登場することが増え、仮面ライダーガッチャードアルティマスチームホッパーもそれに続く形ではあるものの、「みんなの想いが乗っかった金色の力」というと、私の脳裏にはどうしても『ウルトラマンティガ』の最終形態「グリッターティガ」が浮かんでしまい、思わず「こんなんもう、グリッタースチームホッパーやん」とオンオン咽び泣いてしまった。(『ティガ』のオタクはこの世の万物を『ティガ』に結びつけては勝手に感動し泣く習性があるので、これに関してはやや放っておいてもらって構わない)

 「万物はこれなる一者の改造として生まれうく」宝太郎が落ち着いた口調でそう唱えると、世界中を覆っておた黄金が空に浮かび上がり、そのエネルギーでもう一つの地球が宇宙に誕生する。賢者の石の力は完璧なはずと狼狽えるグリオンに「お前の錬金術は完璧じゃないってことだ!」と告げると、「一ノ瀬、お前はそれでいい。掟破りでビッグな錬金術を見せてやれ!」というミナトの言葉を体現するかのように、ガッチャードはエルドを盛大なパンチでもうひとつの地球へとぶっ飛ばす。「グリオン、お前の錬金術はすごいよ。でも、それじゃ誰も幸せにならない。だよね!みんな!」ガッチャードが振り向くと、そこには101体のケミーたちが勢揃い。(そのほとんどがCGだが、クロスウィザードはスーツで参加してくれているのがうれしい)Beverlyの歌うキックソング『Rising Fighter』が流れる中、宝太郎は一言一言噛み締めるようにグリオンに語る。「永遠なんて要らない……止まってちゃダメなんだ。どんなことがあったって前に進まなきゃ、未来のガッチャは掴めない!」そう言うと、ケミーたちと力を合わせてエルドを追い込み、最後はスチームホッパーフィーバーを叩き込む。一度ワイルド態になってから再度ガッチャードのスーツに再練成して放たれる、ガッチャード特有のライダーキックのカッコ良さに改めて痺れるラストキックだ。迎え撃つエルドもライダーキックで応戦するが、ガッチャードのキックは、彼の背中を押すケミーたちの力で何倍にもパワーが膨れ上がった「アルティマフィーバー」となりエルドを撃破する。その晴れやかな勝利に、宝太郎と一緒に「ガッチャーーーーーー!!!」と叫んだ視聴者も少なくないのではないだろうか。いや、少なくとも私は叫んだ。ガッチャーーーー!!!!

 
一方、ケミーと心を一つにしたガッチャードに敗北したグリオンは、まるで賢者の石に祝福されるようにそのカケラを浴びてキラキラと輝くケミーたちと宝太郎の姿を見て、「これが……美しきケミストリー……」と呟くと、どこか満足したような微笑みを残し土塊に還っていくのだった。全てが停止した不動の世界を望んだグリオン。でも心のどこかではそんな頑なな自分の理想を覆す、まだ見ぬ「化学反応」が起きることを待ち望んでいたのではないかと思わせる最期に、彼もどこかで道を違えていたら宝太郎と同じ「前に進み続ける」錬金術師になれたのかもしれない。そんなことを想像させる、グリオン役鎌苅健太さんの散り芝居が素晴らしかった。

・もう一つの地球から始まる未来

 戦いの後、ケミーたちの存在は再び都市伝説のようになり、街には平和が訪れていた。グリオンを倒したらなんとな~く世間もケミーや錬金術師を認めてくれる流れになり、みんな仲良く共存できる世界になりました!という最終回補正のかかったご都合主義的なオチではなく、やはり共存は一朝一夕には難しいとした上で、大人たちは都合の悪いことは忘れて元の生活に戻ろうとするし、未知のものに対して好奇心のある若者は自ら錬金アカデミーに入学していく、というリアリティのある落とし所が『ガッチャード』らしい。また、ケミーたちが暮らすことになったもうひとつの地球も、神のごとき力を手にした宝太郎がそのために錬成したのではなく、グリオンの黄金の引っぺ剥がした際になんか偶然生まれた副産物である、という過程が個人的にはすごく良いと思う。錬金術には質量保存の法則があり、ゼロからは何も生みだされることはない。グリオンの全てを停止させる黄金という負の遺産から錬成した星で、人とケミーの共存する未来は可能かを探っていくというのが最高に宝太郎らしいやり方ではないか。最終決戦の段階ではさすがに地球をもうひとつ作るとは思ってもみなかったが、やはり最後は宇宙スケールで「掟破りでビッグな」錬金術を見せてこそ最終回だろうという気もするし、そういった「エンタメ性とキャラクターと理屈」のバランスの取り方も非常に良いラストだと感じた。

 自分の大きなガッチャに向けて、今踏み出した!その一歩目で盛大にコケる宝太郎。彼に駆け寄り、第1話と同じく手を差し伸べるりんねは「サンキュー、九堂」そう言って自分の手を取る宝太郎を見て、「あれ?前にもこんなことなかったっけ……」とデジャビュを感じる。確かに『ガッチャード』は、宝太郎が風雅からガッチャードライバーを託されたことで始まった物語だが、宝太郎とりんねの化学反応は、いや、「キミと僕のCHEMY×STORY」は、そのずっと前、2人が手を繋いだその瞬間からもう始まっていたのだ。「行こうみんな!未来のガッチャに向かって!」宝太郎の掛け声で、ケミーたちが自由を謳歌する大自然の中を仲間たちは駆けてゆく。止まることなく、どこまでもどこまでも。

 いやもう、ズルい。最後に宝太郎とりんねが手を繋いで走り出したら、そんなのもう「最高のラストシーン」と呼ぶしかないではないか!!この2人の手繋ぎランに文句のある人を見つけてくる方が難しい。そんないわば「最強のカード」をここで切ってくる製作陣の確信犯ぶりと、このツーショットを「最強」にした一ノ瀬宝太郎 / 本島純政と、九堂りんね / 松本麗世 の努力、そしてこの2人がいかにこの一年で深く視聴者に愛されてきたかの全てに感じ入り、万感の想いにあふれたまま最終回は終了した。背伸びをしてこれまでとテンションの違う「感動」を押し付けたり、強引に感傷的にしない。最後の瞬間まで、これまで積み上げてきたものの関係性や厚み、空気感で勝負するところは潔かったし、次期ライダーとのバトンタッチコーナーとはいえ、グミを食ったガッチャードとレジェンドの「うまい!」のリアクションで最終回を締めくくるというちょっとした(いやだいぶ?)「ヘンさ」も含め、明るくて楽しい、非常に『ガッチャード』らしい最終回だったと思う。それでこそ私が大好きな『ガッチャード』だ。

■仮面ライダーガッチャードとは何だったのか

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