しにたくなる、真夏日。

センセーショナルな見出しになってしまいましたが、友人からなかなかLINEの返信が来なかったのでちょいへこみずべべべべーんってなってたというだけの話です。

言葉にしてしまえば些細なことですが、わたしはほんとにしにたくなりました。しかも、理性的にしにたくなりました。

そもそも、前提として私が間が悪くやらかしがちな人間であるということを自覚し、そういう自分自身のことが酷く気に食わない、どうにかしなきゃ!と思っているうちにまた新たなやらかしをする、という負のループに苛まれていることがあるのですが、その上での「私は人としてどうかしている!」という自負が恐らく、理性的な死にたいのトリガーとなっているのかななんて思ったりしています。あくまで予測ですが。

なんか1文が長くなってしまいましたね。

ところで、どういう原理か分かりませんが、私はLINEの返信が来ていないと気づいたときから、「しんだほうがいいな」という判断を頭がよこしたときまで、恐らく瞬きをしきるかしきらないかという僅かな時間だったと思います。非常に冷静に、ふっと、「ああ、しんだほうがいいな」と思ったのです。座禅を組んで瞑想している時より心は凪いでいて、頭はしんとしていました。

だからって別に、首吊り用のロープを用意したり、飛び降りるために部屋の窓を開けて身を乗り出したり、カッターの刃をきりきりといだすわけでもありませんでした。そこに、体の反応は伴わなかったのです。本当に至極、冷静に、しにたい、と思ったのです。

冷静さの証拠に私の頭の中で繰り広げられた数秒の思考を、鮮明に覚えています。その時わたしの頭は自分のこれからの未来予測と自分が周りの人や世の中にかける迷惑量を瞬時に見積もって、そして、自分をこれ以上惨めにしないために、ひとに迷惑をかけないために、としんだほうがいいという結論を出したのです。

今振り返れば、この期に、即ち引き際を考える時に及んでまだ自己保身を考えるのかという感じですが、それがわたしという人間の底でしょう。

さて、こんなことを書いているということは、わたしはまだぴんぴんと生きているという証左ですし、この文を書いている今のわたしは全くしにたいと思っていません。

そして不思議なことに、いつでも私は私のことを世界でいちばん愛しています。それだけは割と変わらない真実です。多分わたしが死ぬまで。

そんなふつうの人間でも、ふっと死にたくなる訳で。不思議なものですね、人生って。

わたしは結構まだ世界が好きなので生きたいかな。

それでは。

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