ほんとにきらいなもの

やっぱり、世界がちょっとだけ嫌いかもしれません。

わたしは、自分の顔がきらいです。理由はぶさいくだと思うからです。重めの一重まぶた、豆粒みたいな目、横に広がったにんにく鼻、ひん曲がった口、少し荒れた肌。だれも私の顔を見て可愛いだなんて言いません、かっこいいだなんて言いません。だから私は自分の顔がぶさいくだと思うし嫌いです。

小さい頃、わたしは、アイドルになりたい、と思っていました。でも、大きくなるにつれ、別の夢を目指し、口にするようになりました。小学校四年生の時点では、弁護士になりたいと言っていました。勉強が得意だという自負があったのもありますが、何より、わたしはアイドルになりたいと言ってはいけない側の人間なのだなといううっすらとした感覚がわたしにアイドルの夢を諦めさせたように思います。

今でもアイドルは好きです。パフォーマンスはもちろんのこと、所謂綺麗な顔、を眺めるのが好きです。でも時たま、ああ、わたしはこうはなれないのだ、わたしはどうあがいてもこの顔と、この人と同じカテゴライズはされないのだと思い、落ち込んでしまいます。

日常でも、くっきり二重、小さく高い鼻、左右均一でバランスのとれた顔、そんな要素を持ち合わせている友達に対して、「顔が整ってていいなぁ」「可愛くていいな」という気持ちを持つまでならまだしも、例えば、その子がある悩みを抱えていてそれを相談してくれていた時に、わたしはふと「でも顔が可愛いから、人生楽勝でしょ。」「こっちはそもそも、顔が整ってないから、その時点で詰みだっつーの。」と考えてしまいます。

テレビやネットで私と同じような顔の特徴の人が、「ブス」だと言われて、揶揄されているところを見ると本当に本当に泣きそうになります。別に自分が言われている訳でもないのに。特に、ネットだと何気ない写真1枚が、「○○の顔がやばいwww」みたいな見出しをつけて拡散されて、それについて他のユーザーが容姿を詰ったり揶揄したりしているという場面が散見されます。それを見る度に、「ああ、こういう顔に、ぶすに人権はないんだな。」と思います。そのほか、ネットでは沢山のユーザーの、謎の容姿批評に溢れています。ここまでの話だったら、私がネットを見なければいいだけかもしれませんが、現実世界においても、ほんとうに非常に軽々しく、容姿批判の言葉を使い、人の心を傷つける人がいるのです。無邪気に、悪意を丸出しにして。

わたしは、本当に知見も何も無い、無邪気で邪悪な子供だった頃、自分には人の容姿を批評する権利が保証されていると思っていました。遠い高みから他人に対して、酷いことを言っても構わないと思っていました。それは、テレビで誰かが容姿をいじられて、周りが笑うという状況を目にして、別に顔について色々言ってもいいのだという意識になってしまったのかもしれませんし、母親が「あの人は絶対整形してる。」とか、「変な髪型だね。」とか、そういう他人の〝粗〟というか、引っ掛かったところを目ざとく指摘するタイプだというのも、その性質の一端を担っているかもしれません。

変な顔、変な髪型、と判断した時点で、その人はそれ以上でもそれ以下でもありませんでした。

わたしがそういう人間だった、いや、今もなお少しそういうところがありますが、わたしは顔で判断されて中身まで見られることはないから、いくら賢明でも、気遣いができても、判断力があっても、想像力があっても、心を磨いても、きっと、無駄なのだと思ってしまっています。まず、顔がぶさいくですし、何より所詮、自分が傷ついてもそれでも他人に対して穿った見方しかできない酷い人間なのだから、中身を見られたところでそこにはどろどろでぐちゃぐちゃの汚いものがあるだけでしょう。

私がいちばん嫌なのは、結局、周りの視線より、容姿批判の声より、母親からの「そんな顔でごめんね」という言葉より、容姿という価値観、そして、自分の中の容姿に対する物差しに囚われている自分自身です。

わたしの顔に大多数の人は興味が無いのも、特に街を歩いて何か言われることもないだろうことも本当は分かっているのです。それを気にしすぎるのは自意識過剰なわたしで、人をくだらない物差しで測ろうとする自分なのです。

この世界のせいじゃないって、わかってるんだよ。でも、どうしようもないよね。


ねえ、ほんとはあのときね、


わたしを可愛いって認めて欲しかった!

私もアイドルになれるよって言って欲しかった!

夢を見させて欲しかった!

でもね、やっぱり

かわいくないわたしもあいしてよね!


生まれ変わったら、絶対アイドルになりたいな。


とりあえず、今世はこの世界に復讐しよう。

何よりも泥臭く、綺麗に生き抜いてやる。


そしたら私が世界でいちばんかわいいでしょ!





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?