見出し画像

またね

先週の月曜日のことだったと思う。

母と電話で話してる途中、母が「あのね...」と急に言い淀んだ。すぐ分かった。

あー...まさゆき死んじゃったんだ。

私は3月からアメリカで生活していて、地元の広島を離れている。電話を切った後にじんわり涙がでてきた。でも、本当に死んだの?ん?え?本当に?本当?と全く実感がわかなかった。

まさゆきは腎臓と心臓が悪く人工透析をしていた。最後にあったのは入院していた病室だ。
着いてすぐ旦那さんの東京の実家は大丈夫か?というようなことを聞かれた。ん?夫の実家は栃木よ。と訂正するがまさゆきは東京じゃろうがとちょっとお怒り気味で全く納得しない。いやいやいや...。噛み合わない会話を続けること数十分。従姉妹のりっちゃんの夫と勘違いしていた。おーすまん、すまんとまさゆき。私も粗忽者だが、まさゆきもなかなかの粗忽者だった。

従姉妹の結婚式でおーい。すみませーーんと私にステーキを注文してくれようとしたまさゆき。おいおいコース料理だよ。

でもそそっかしくても優しいのがまさゆき。

財布を忘れた私にそごうまでママチャリでお金を届けてくれた。しかも二回も。

兄であるおじいちゃんと似過ぎているため「この度はご愁傷様でした...」とおばあちゃんのお葬式で3人くらいに言われたまさゆき。似過ぎていた為幼少期私と妹はまさゆきを『にせじい』と呼んでいた。

おじいちゃんが死んだ時に、頼りないけどおじいさんのように思いんさいと言ってくれたまさゆき。

すぐおならして場を和ませるまさゆき。

お見舞いに行くたびにタクシー券あるから使いんさいと言ってくれるまさゆき。いや、それ障害者手帳のやつよ。私使ったら怒られるやつよ。

アメリカに帰る話をしたら涙を手で拭うジェスチャーをして、寂しいといってくれたまさゆき。

最後に病室で別れる時に握手をして、離し難くて涙がでた。
最後わしもアメリカ行こうかのぅと冗談を飛ばしてくれたね。

私とまさゆきは30代と80代だけど最高の親友だった。

まさゆきの訃報を聞いて3日ぐらい経って娘を抱っこ紐に入れて近所を散歩した。
娘は眠ってしまっていた。
夕陽に髪の毛が透けてキラキラ稲穂のようになびいていた。本当に綺麗だった。なんだか分からないけどその時目の奥がツーンとして泣いてしまった。去年娘を生んだときに帝王切開だったことを言ったらまさゆきは「お母さんの真似をして生まれてきたんじゃろ」と言ってくれた。その言葉がなんだかとても嬉しかった。

娘はまだ10ヶ月でピカピカで生命力に溢れている。赤ちゃんってなんだか「生」そのものって感じがする。30年生きてきて去年娘に出会えたが代わりに沢山の大切な人と別れもした。
みんなこの世に少し身を置いて、還ってしまう。生まれて最後は土に還る。出会っては別れて、どんどん巡っていく。

もしも私がそっちに行く時、まだ天国でフラフラしてたら赤いママチャリで迎えに来てちょうだいよ。任せたよ、まさゆき。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?