毒を吸ってしまった日

成人式に行くことは高校生の頃母に伝えていた。
高校で出会った友人と運よく住んでいる地域が同じで、一緒に成人式に参加できることになった。自分には関係ない行事だと寂しく思っていたから嬉しかった。

振袖をひとりで見に行って決めるなんて、あんまりないことだと思う。

コロナが流行してから、たとえアルバイトだとしても学校以外で外出すると小言を言われてしまっていたから、大学一年生の夏休みにうっかりコロナに感染してしまったときは絶望した。部活動とアルバイトでしか外出していなかったのに。

でも、振袖を見て決めるタイミングは大学一年生の夏休みにしようと決めていた。決めるのは遅い方だったし、夏休み中にどうにかしなければと思っていた。
コロリンが治って振袖の話を持ち出したとき、タイミングが悪かったのかもしれない。

コロリンに感染したのは私だけで家族にはうつさなかったが、当時は感染者と同居している人間も外出制限を食らった。
久しぶりにパートに出て疲れて機嫌が悪かった母親に振袖の話を持ち掛けたのは間違いだったかもしれないけど、そこまで気を遣う理由はなかった。

「あんたのせいで頭下げて休んだのに、これ以上休めないから」
週に2日は休みがある母だったが、あれだけ口うるさく警戒していたコロナに娘がかかった挙句、治ったと思ったら振袖を見に行くなんて言い出してうんざりしたんだろう。

そう言われると思ったし、それでよかった。毎日疲れて愚痴をぶちまける母に期待はしていなかったし、ひとりで見に行くんだろうと思っていた。
追い打ちをかけたのはそのあとの一言だった。

「大体、生きてるかもわからない先の話なのに今振袖契約する意味ある?」

言いたいことはわからなくもないけど、意味が分からなかった。
成人式に行くことは伝えてあったし、別に行くなとも言われてなかった。
機嫌の悪い母を父がなだめたが、その日は何度か
「生きてるかもわからないのになんで今?」とぶつぶつ不満そうだった。

生きてるかもわからないのに、なんて具体的なことを話しているときに使うフレーズじゃないと思っていたけど、本気で言われてさすがに驚いた。
死ねってこと?という疑問がしばらくぐるぐるしていた。

まだ先の話なのになんでタイミングの悪い今行くんだ、という主張がしたかったんだろう。にしても、「生きてるかもわからないのに」なんて思いつくのはもうそういう思考回路なんだろう。現実的な話をしてるのに不謹慎な冗談をぶちこんで炎上する芸能人みたいで反吐が出そうになった。

生きてるかわからない未来、死んでみても良かったかもしれない。

結局振袖はひとりで見に行った。
コロリンの免疫があるだろうし、お金は出すから好きなの選んできなという父の言葉は別に救いにはならなかった。妻、どうにかしろ。

ひとりで振袖を見にくる人は少ないのか、やたら店員さんに大人っぽいですね、やらしっかりしてますねとやら言われて、どうしても惨めな気持ちになった。

生きているかもわからない未来はあっけなくやってきて、成人式と聞くと、一連の出来事を思い出す。

前撮りを終えて少し経った頃、母と言い合いになったときに、なんで頼ってくれないのと泣かれたことがあった。
「振袖もひとりで見に行っちゃうし」と大泣きされたとき、絶望した。この人、本当に頭がおかしいのだと絶望した。その際に「育て方を間違えた。昔はよく笑っていたのに今は何も楽しそうじゃない」とも言われてしまった。

私はその日から毒を除去しきれなくて、たまにぶり返して死にたくなることがある。

Twitterのリプ欄で話が通じていない人を見かけることがあるだろう。
まさかそれを母親相手に実際に体験するなんて思ってもいなかった。

確信に変わってしまってからというものの、これまで言われて傷ついたことが本物で間違いなかったと証明されてしまった気がして、過去の自分が改めて傷ついた。

今も落ち込んだときや疲れたときは余計なことを思い出す。
言われて傷ついた語録はその後も少し更新した。

きっとこれからも、消化しきれず思い出して泣くことがあるだろう。
家事を全部やってくれてお金にも困っていないけど、果たして子育てしていて幸せなのだろうかと疑問に思ってしまうのもうんざりだ。

でももう今更どうにもできないのだ。
許せないまま、やるせないまま死ぬのを待つしかできないのだ。



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