「美しい春画」展は、女も男も美しい。睦み合う裸の「美人画」パラダイス。
いやー、不景気には裸が一番だわっ
、、、と一人ごちながら、細見美術館 「美しい春画-北斎・歌麿、交歓の競艶-」報道内覧会へ。ほらやっぱり、すんごい人の入り。みんな気持ちはおんなじだね(笑)。
8年前は「勇気」、今回は「美しさ」の春画展
細見美術館での春画展といえば、8年前。
「猥褻か、芸術か」と、スキャンダラスな開幕だったが、開けてみたら連日行列ができる大賑わい。列が道路を超えて疏水の橋まで続いている日もあって、「春画展、お並びの方こちらにお願いします」と、でっかい声と案内パネルで来場者が整理されていた。
当時、春画を見にゆくことはちょっと「勇気のいる」感じがあって、こっそり来た人もいたと思うのに「この人たち、春画見にきました」丸出しである。道ゆく人からの「あんたも好きねー」な視線に晒されていた。
また図録がでっかくて、しかも透明な袋に入ってるもんだから、遠目からも一目で「あ、あのオッサン春画展みた人」と丸わかりで、やっぱり晒し。帰りに喫茶店に立ち寄るのを断念した観客もいたんじゃないか。
しかして、そんなしつこい晒しを勇気で超えた観客は多かった。大成功だった春画展。
8年を経て、再びの春画展、見せる側も見る側も、「勇気」が要った前回を思えば、空気は大きく変化した。もう春画を「猥褻」だと断じる人も少ないし、観客も「春画は怖くない」と、度胸をつけたことではないだろうか。
いま、リラックスして春画に向かう心持ちが、ようやくととのった。
18世紀上方春画界のスター、月岡雪斎にホホ〜
そんな「進化」を経た我々が、今回、対面するのは彩色も極上の肉筆春画。北斎、歌麿も見事だが、18世紀上方春画界(そんな世界があったとは)のスター、月岡雪斎の作品が壮絶に美しい。肌の上気した感じ、ゆったりした体位、ささやきが聞こえてきそうな湿気、濃厚さ。
なるほど、「美しい」と心から楽しめる。
展覧会を監修された樋口一貴先生は「春画は、美しい人間を描いた美人画」とおっしゃる。頬を寄せ合った顔の描写を見ると、男女で全く同じだったりする。つまり、女も男も美人。そして美しいのは顔だけじゃなく、肢体も優美。これは、裸の美人画なのだ。
「女も男も美しい、ジェンダー平等の世の、人間の(男女だけじゃないですよ)平和な睦みあいの姿」。
春画をそんなふうに見るのは、イマドキな見方だ。そう見えるようになったとしたら、私たちは8年前よりも「大人になった」と言えるんじゃないか。
ハスラーアキラの「売男日記」の一節を胸に、春画を見よ
上品な春画に横溢するのが「平和な感じ」であることに、特に心が惹かれた。だいたい、普段隠してる「実」や「具」を、安心してほっぽり出せるシチュエーションが、平和でなければ、なんなのか。
そういうことを書いた一節どっかにあったな、と本棚を探してみたら。セックスワーカー&アーティストのハスラーアキラのエッセイだった。
街で「ぼく」に出会えない人には、細見美術館で春画が待っている。裸を見ながら、愉しい時の肌の温度を思い出しながら、平和について考えようや。
昭和の「大人のおもちゃ」ノリもあり。グッスの遊びっぷりもいい。
も一つ、8年前はなかったものといえば、春画ミュージアムグッズ。お香からフォーチュンクッキー、ハンカチまで、うれし恥ずかしなアイテム展開に、鑑賞後「追いムフフ」がやってくる。
細見美術館 「美しい春画-北斎・歌麿、交歓の競艶-」 11月24日まで
18斎未満は鑑賞できません。
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