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岡本太郎展が「エキゾなオッサン祭り」で驚いた

壁のLの文字が謎めく、中之島美術館

展覧会 岡本太郎 内覧会を拝見する。

生前の太郎さんを知る人から聞いた話。
太郎さんは劇場などで上演中も、着席してじっとしておられない「クセ」の人だったらしく、舞台に招待したところ、通路や他の席にうろうろしてしまい、客席が終始ざわついていたそうだ。
一つのことに集中できない「クセ」は、ネタの豊富さや、瞬発力に発揮される。人気ユーチューバーに多動性障害を告白する人が多いが、現代だったら太郎さんも人気ユーチューバーになっていたのではないだろうか?

今回初公開された、伝岡本太郎(パリ時代)筆。鬱屈がきつい。
作者の「生きづらさ」を感じてしまうのだが、気にしすぎだろうか。

今回の岡本太郎展は、初公開も含めて約300点という大量出品が見どころとなっている。おかげさまで、一気に見ることで気づくことは大きい。どの絵の表面にも観客の深入りを拒むようなところがある。とくに「絵を見よう」とする観客の。
太郎にとって絵とは何だったのか? アウトサイダーアートと一緒に展示してみたら、「太郎の絵」の新しい見方がひらけたんじゃないだろうか?

メディアにとって「インパクト大・使いやすい素材」だったのだろう、時代の寵児であった。

展示構成は、立体、平面の太郎作品をゴリゴリ押し、とどめに蝋人形まで立てて、太郎ワンマンショーをどうしても盛り上げたい意欲がムンムンだ。

プロフィールや環境や関係性、多くの周辺背景要素がアートを成り立たせている、という認識が当たり前になっている今、作品だけで「一人のスーパーアーティスト」をアピールする展覧会構成には、いまどき無理がある。

その無理をやろうとして、太郎自身を「変わったおっさん(エキゾチック)」キャラにして、画中のモチーフをタローマンと面白がらせようとするプロモーションが、ちょっと面白くないことになっている(私には)。

参考図版:アフリカや南米で信仰の対象だった像を、「エキゾ見せ物」にしているフランスの博物館の展示(コンテキストを無視して面白がる、よくない見本)


SNSに上げてもらいたくてアーティストをエキゾ見せ物にしているビミョーな例。こういうことするには、本人の許諾とっていただきたい。

人間・太郎は、近寄った人を必ず魅了する興味の尽きない人だ。何度か折にふれて著作を開くが、その度にかならず発見がある。
かのこと敏子2人の女に彩られた人生、沖縄(柳宗悦とのスタンスの違い)、反戦、万博(ハンパク)。
いま光を当てるべき「太郎再評価」のキーワードはいくらでもある。

見た人それぞれの「自分の太郎展」がここから始まれば、それも意味あることだと思う。


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