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高級ブランド通りになることを良しとしない。祇園は、イケズでどこまで生き延びれるのか

情緒なんか微塵もなくなった祇園花見小路。
にやけた観光客の雑踏をかき分けて、怒った顔で歩いている舞妓さんが、動物園の客に揉まれる珍獣に見える。
もう誰にも行くことをお勧めできないエリアになった。

それでも、地元の人たちは「ここは歓楽街で、生活の場」とあらためて主張。高級ブランドであっても、街にそぐわない業種の出店は歓迎しない。

年間5000万人の観光客を吸い寄せる京都の「希少地」への出店ニーズは高い。それと、「伝統と格式」という街のステイタス感を共に満たすあり方はあり得るのか?
JBpress オートグラフに、祇園新門前での動きをレポートした。

以下が、その最後の段落なんだが

京都に出店してくる外資(東京を含む)が地元と不協和を生じる原因は、この部分の無理解に尽きる、と私は思う。京都の人は、近隣を気にし、見張り合い、「不自然なこと」が少しでもあれば、やんわりとイケズで刺す。生まれてから死ぬまで、そんな緊張感に満ちた空気の中で生き、独特の自治で守ってきたのがこの街の美しさと情緒だ。それを外資が「金で京都を買える」と思って来られると、そりゃあ、最大級のイケズで対抗したくもなるだろう。

記事の最終段落

京都の人は本当にこういうことを相手に通じる言葉で言わない。イケズが外資(東京を含む)にとって、意味不明の外国語だってことを、もう十分経験しているのに。

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