美術のシャドウワーク−−修理というリプロダクション 「修理のあとに エトセトラ」展
「修理」を主役に据えた展覧会、中之島香雪美術館「修理のあとにエトセトラ」のレビューを書いた。
表には出ない陰の仕事だし、くらいの軽い気持ちでタイトルに「シャドウワーク」と書いてみたのだが、あとになって「関連なくもない」と考えた。
大学で「女性学」の講義を受けたのはだいぶ昔なので(なんと上野千鶴子先生から)記憶もだいぶぼんやりしていたが、イヴァン・イリイチの言うシャドウワークは、「影法師のような」「再生産労働」のことだ。
そもそも何百年も前の絵画が、修理の手を経ずに伝わっていることは、ほぼあり得ない。絹本、紙本の絵画を例にとれば、支持体を接着する糊は50年、100年で剥がれるようにできてる。そうでないと逆に本紙(絵画の本体)を傷めてしまうからだ。
美術館・博物館で、国宝、重文といったエラそーな絵を有り難がって行列してみる人は多い。そこでスポットライトを浴びる(保存のため照明は実際は暗い)そうした「名画」には、無数の修理技術者の技が、影法師のように寄り添ってきた。
「修理」という美のリプロダクションが、営々と続けられてきた。
近年になって、京都国立博物館「文化財修理の最先端」(2021)、住友財団修復助成30年記念特別展「文化財よ、永遠に」(2019)と、修理にスポットライトを当てた展覧会が少なからず開催されていて、香雪美術館の「修理のあとのエトセトラ」展も「おかげさまで好評」とのこと。
有名美術館の名前やくだらないミュージアムグッズで人寄せする展覧会が多いが、そうしたブロックバスター展覧会の行列から身を引いて、美術を、「描いた人」だけでなく、「注文した人、買った人、遺してきた人、(見せる人)」たちのリレーであると包括的に見られる人が増えているなら、捨てたもんじゃないと思う。
ついでに、美術には「論じてきた人」もいますぞよ。