初代宮川香山の蟹は別腹。何バイでもいける!
綺羅めく京の明治美術ー世界が驚いた帝室技芸員の神業
内覧会に参加。
明治時代、幕府や諸藩の庇護を失った工芸家を保護し、技術を保存するために発足した帝室技芸員制度。
管轄が皇室、というのは、裏返せばそれが美術でもなく工業でもないことをも意味している。選ばれた超絶技巧の工芸家たちの主戦場は、世界の博覧会。外貨を稼ぎ、極東の島国・日本のプレゼンスを高め、開国したばかりで何の力もない「日本の象徴」として奮闘した。
「京の明治美術」とサブタイトルがついているとおり、帝室技芸員のなかでも京都にゆかりの工芸家を集めた展覧会である。
清風與平、伊東陶山、初代諏訪蘇山。京都の名工として認知されている作家だが、改めて作品を見ると、技への執着を強烈に感じる。石膏型に取り組んだ諏訪蘇山など、当時としては画期的な効率化の目線があったと思われる。
「美術でも工業でもあった」明治の工芸家の仕事
「美術でも工業でもない」でも、どっちでもあった明治工芸のスタンス。展覧会資料にはそれを「美術」と強調して呼んでいるフシがあるのだが、「美術で工業」だった明治工芸のありようを、「美術」と呼んで“格上げ”する意図があるなら、ちょっと待ってほしい。
彼らの汗と努力と、サバイバルへの執念が、「美術」という言葉で隠れてしまう気が、どうもする。
京都にとって明治は日本の政治文化の中心の地位を奪われた時代。美だけでなく、壮絶に色々あったのだ。
何度見ても興奮。初代宮川香山の、蟹も!猫も!
そして、「京都ゆかりの」とはいえ、工芸家たちの京都とのからみもいろいろだ。展示のなかでもぶっちぎりにすごい、初代宮川香山。
京都の茶道具の窯だった家業を継がずに横浜へ、そこで輸出用の陶磁器の工房を営み、最盛期には100人を超える工人を雇用して、驚きの超絶技巧で欧米の万博で絶賛された。
つまり京都を捨てて大成功したという「ゆかり」の人。
展示会場の解説文にはそうは書いていないが(笑)。
この展示では、初代宮川香山といえば、の蟹も猫も展示。
これは過去に何度か観ていますが、何回見ても興奮マックス。
しかも、蟹は独立した展示ケースに入っていて、一方向からではなくぐるっと360度から見られるのは初体験。蟹足を仔細に拝める展示は、ありがたすぎる。
何度見てもグッとくる。そしてまた観たくなる。もっと観たくなる。
香山の蟹は「別腹」だ。