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転生(独立)しました|人生の答え合わせは死ぬときにするって決めてる

人間の能力を表す際に用いられるレーダーチャート。
私はバランスの良い綺麗な五角形のスキルを持つ人間にはなれなかった。

国語と英語はできるけれどそれ以外はからっきし。
サラリーマンに求められるジェネラリストにはなれなかった。マルチタスクもできないし。


「ミカコに会いたいって言っている子がいる、OG訪問というか、何か力になってあげてくれない?」

あるとき、先輩からそんな依頼があり、就活生数名と話した。

私「唐突な質問で申し訳ないのですが、なぜ私に会いたいと思ってくれたのでしょう?」
就活生「ミカコさんのカリスマ性に惹かれて〜」

私はカリスマなんかじゃないのだ。
飛び抜けた何かを持つ人は「カリスマ」と形容されるけれど、私は9時に出社して18時に仕事が終わり、ジムに行ったりお酒を飲んだりして深夜1時に寝る、そんな雑誌に出てくるとある会社員の1日、のスケジュール通りに生きられる仕事・生活に心底憧れている。

でもできなかった。

動画配信サービス、YouTubeやSNS、音声メディアなどがあれよあれよと生まれ、可処分時間の奪い合いがシビアになった現代、誰かに文章を届けるというのはとても難しいことだということを、8年の編集者人生において痛いほど感じた。

今後はもっともっと難しくなっていくだろう。

実際は、世にでるまで数週間数ヶ月かかったものを手に取ってもらい、読んでもらうのに要する時間はたったの5分とかそんなもんだ。

このnoteもそう。書くのは1時間、読まれるのは5分かかるか、かからないか。

ただ、私にはこれしかできないのである。

そして問題を先送りにしていたが、会社員も向いていなかった。

オフィスでの電話の音や、誰かのタイピングの音を気にしないようにしつつ仕事をすることも、数字が大っ嫌いなのに昨日のPVを見つつ、戦略を立てるみたいなことも、付き合いで忘年会や新年会など6人以上の飲み会に行くことも。そういう場所に行くと消えたくなる。本音と建前、みたいなものが目に見えてわかってしまうから。はたまた資料作成をしながら戦略を考え実行に移しプレゼンしながら記事を書くみたいな超ハイパーマルチタスクに脳みそが混乱しつつも働いて働いて働いて、一定の収入が毎月25日、銀行口座に振り込まれることを指折り数えながら待つことも。

来世は自由に生きたい。

そんな私は今、とあることに気づいてしまった。

私の自由を妨げるものって何だ?

運動も勉強も、容姿も趣味も家庭も。綺麗な五角形を持つエリートの父親。
盆と正月のみ帰ってくる単身赴任の父親。
何かを始める際、電話で説明し、父親に承認してもらうまで実行に移せない、がルールだった我が家。
進路選択の際にとにかく大学に進学せよと言う父親。

私はいつもそんな父親の承認を得なければ何にもできなかった。
きっと、今もどこかで父を追い越すことを願っている。父にならねば、認められなければいけないと思っている。そんなことに気づくまでに29年かかった。

冷静に考えて「別に父親にならなくていいのでは?」という至極当然のことに気付いたのはつい最近の話。


結論から言うと、私は五角形を目指すのをやめた。

会社員という肩書きを捨て、音の鳴る方へ一歩踏み出した。

父親の存在は一旦置いておこう。自分が心から望むことをしよう。

やっぱりやーめた。って言って会社員に戻ることも、意外といけるじゃん!ってフリーランスで活動を続けるのもどちらもきっと自分の人生において価値のあることだと思うから。

この先が天国だろうと、たとえ地獄だったとしても、もう五角形は目指さない。(ついでに言うと元々目指してもいないが、カリスマとか売れっ子とか、そういったものもぜんぶ。)

人生の答え合わせなんて、死ぬときにすればいい。
正解なんてどこにもないんだから。
そして満点もいらないし目指さない。それで良いんだと、今はそう思う。

「まあ、なんとかいけるっしょ。」
そんな根拠のない自信が、今の私を支えてくれている。

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