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Haidaと安寧と


はじめに

Haida Gwaiiという島に行った。2024年4月25日から5月7日まで、やや盛大に有休を消化し、永遠に終わりの見えないわんこそば状態の仕事をぜーんぶ放り出して行ったのだ。まず1つ明確になったのは、私の代わりなど誰でも良く、私でなくてはできないことなど何一つ無い、ということだった。大都会東京の狭い村社会で食べきれないわんこそばに溺れそうになっていた私にとってこれはとてもありがたい発見だった。

社会人になってから半年に1回海外に行くことを自分のルールにしているが、今回Haida Gwaiiをその行き先に選んだのには理由がある。新卒で冒険家に就職した(と私が勝手に表現している)学生時代からの友人、上村幸平がそこにいるからだ。私はアホみたいに高い学費を両親から投資してもらって私立大学に通ったわけだが、結果として彼のような素晴らしい学友と出会えたことでそれはプライスレスになったと主張させていただきたい。彼は2023年の初夏にいきなりカナダ・ハイダグワイに遠征取材をする!と言いスポンサーを募り出したと思えば、あっという間に100万円くらいを集めてしまった。とはいえ100万円ではさすがに足りないのでは?と私は実は思っていたが、気付いたらもう彼は出発していた。そこに至るまでに計り知れない葛藤があったであろうことは言及するまでもないが、その境界線を越えて彼が踏み出した一歩は尊く、友人として誇らしい。

Haida Gwaiiは、カナダBC州に位置し、native canadian であるHaida族が今でも居住する群島だ。大小約150もの島々からなる。 かつてはクイーンシャーロット諸島と呼ばれていたが、Haida族の歴史を尊重し、2010年に植民地的名称を廃止、改称された。「Haida」は「我々」「人々」という意味で、「Haida Gwaii」で「我々の島」という意味になるそうだ。Haidaの人々はモンゴロイドで、日本のアイヌと遺伝的にも文化的にも近しいらしい。太古ユーラシア大陸とアメリカ大陸がくっついているときに渡ったのかもしれないし、船で渡ったのかもしれないし、詳しいことは私には分からないが。

というわけでHaida Gwaiiに約2週間弱いたわけだが、その時の私の変化を書き残しておこうというのがこの文章の趣旨だ。

<1>不自然な私から、自然と調和する私へ

社会復帰後「休暇はどうだったの?」と先輩に聞かれて一番最初に口を突いて出てきたのは、「動物の一種である人間としての自然なペースで時間を過ごせてよかった」だった。いきなりこんなことを言われても、先輩もびっくりである。

Haida滞在を通して、山には山のペースがあり、海には海のペースがあり、生物には生物のペースがある。ということをこの目で見たような気がする。TowHillの海で人間の握りこぶしのような岩に出会った。気が遠くなるような年月の間ずっと、少しづつ波が岩を削っていったのだろう。当たり前だがそこに課題意識とか生産性とかPDCAとかそういう不自然な言葉は登場しないし、誰かに承認されるためにこの美しいフォルムを形作っているわけでもない。ただ、この場所で、様々な要因が重なった結果、自然と、こうなった。それだけのことなのである。たったそれだけのことなのに、私は自然とそれを美しいと思う。きっとそれが私にとっての自然なペースなのだと思う。海のペース、山のペース、人間のペース、ありとあらゆるこの地球を構成する存在のそれぞれのペースが重なって、1本の糸のように撚り合わさって、その糸が織られて布地になって、それが毛布のように優しく地球を覆っているような、それがこの世界のデフォルト設計なんだろうな、とYakoun LakeにかかるDouble rainbowを見ながら、毛布になりながら、私はそう思ったのだ。その時、日頃わんこそばをさばいていく過程で私の中に蓄積していった感情の機微、揺らぎ、そのほかありとあらゆる居心地の悪いものたちが、すーっと私の外側へ溶け出す感覚があった。本来それらは私の自然なペースに何ら影響を及ぼすはずのものでない、些末な存在に過ぎないことを確認した。

人間の握りこぶしのような岩
Yakoun LakeにかかるDouble rainbow


こうしてずっと毛布の一端でありたいと思えば思うほど、やはり私の東京での生活は私の自然なペースから逸脱しているように思えた。逸脱、というやや強い言葉を使ったが、それは労働時間が多いとか趣味の時間が少ないとかそういう「量」の話ではない。美しいものを美しいと思うための時間、自らを丹念に省みるための時間、自らのベースとなる歴史や文化に思いを馳せるための時間、大地の時間軸に寄り添うための時間、そういう自分の心を落ち着かせてポジティブな気持ちになれる時間を、資本主義的生産性の元に切り捨ててしまっている、「質」の問題である。それだけならまだしも、私の大都会東京での便利な社会生活は、大地が途方もない時間軸で作り上げたその美しいもの(=私が私らしいペースで生きるための源泉)を片っ端から破壊しながらでないと成り立たないというのだから、この点においてもやはり不自然極まりない。破壊を目撃せずとも破壊し続けられるという現代社会の構造がわたしたちの破壊を一層加速させている。いくら私個人としてミニマルな生活を心掛け、古着しか買わず、環境に良い新素材を製造販売する会社で働こうとも、東京で生きる以上、できること/できないことに限界があるのだ、と最近は思う。どうしたら私は破壊の上に成り立つ生活から脱せるのか、というのは学生時代からずっと私の人生のテーマだ。どうしたものか、と散々悩まされているわけだが、悩み続けること自体がこのテーマの真髄であるとも思う(というのはまた別の話題)。どちらにせよ、今回の旅を通して、私の「破壊すべきでないものリスト」の中で「美しい自然」の順位が急上昇したことは1つの変化であったように思う。

自分で自分を苦しめている些末な存在を完全にどこかに放り投げて、あるいはHaidaの地に溶かして、火をじーっと眺めている時間は良かった。Yakoun Lakeのほとりで、幸平が起こし、私が育てた火だ。燃えやすい乾燥した流木を近場で見繕い、バランスよく組み上げ、消えないように、燃えすぎないように、様子を見守ることを、火を育てる、と私たちは呼んだ。時代が違えば、私は火を育てるのが得意な人間として村で名を馳せる存在になれたと思う。朝でも昼でも夜でも、春でも夏でも秋でも冬でも、100年後も火は美しい。1億年経ったとしても、火を美しいと思う私がいなくなるだけで、火の美しさはきっと変わらずそこにある。それが自然のペースなのだと思う。

火を育てる私

<2>消費だけする私から、創造もする私へ

Haida Heritage Centerで、“Learning by Designing -Pacific Northwest Coast Native Indian Art- Vol.1”という本を買った。Haidaの伝統的なアートスタイルを体系的に紐解いた入門書のような本で、Haidaアートにおいてどのように自然物を一定のパターンに落とし込んでいるのかをなんとなく理解することができる。こういう地道な活動が、文化を守り育てていくのだなと感心してしまう。テキストに書かれているお手本に従っていくつか書いてみることにした。鮭、鯱、鷲、狼。この場所の歴史と大地に深く根付く生き物ばかりだ。素人にしては悪くない出来なのではないか。緑と赤の対比がポイントだ。

鮭、鯱、鷲、狼

1つの事に何時間も没頭したのはとても久しぶりに感じた。集中というよりは、夢中だった。これを完成させる過程で、やらなきゃ、集中しなきゃ、と自分を奮い立たせる必要は全くなかったし、これやりたい、とか考える暇など一瞬もなく勝手に手が動いた。日常の中で、こんなに何かに夢中になれるトキメキ時間をどれだけ作れているだろうか?

今年の4月から服飾の専門学校の社会人コースに通っている。授業の課題を制作しているときや、作りたい服のデザインを考えているとき、布や装飾を選んでいるときは間違いなくトキメキ時間だ。だって、理論上は、自分が素敵!と思う服をなんでも身に纏う力を手に入れている最中ということなのだから。古着屋さんで素敵な服を見つけたときに、もう少し丈が長かったらなあ、とかもう少し濃い色だったらなあ、とか、ここにこんな飾りがついてたらなあ、とか思う自分にさようならを言いたいのだ、私は。

最近作っているアオザイインスパイアワンピースのデザイン画
着物をリメイクして作る予定なので布が足りるか不安

大学生の時、とある革製品ブランドの開発チームでインターンをしていた。工場で出るレザーの端切れをなんとか活用できないかと思って、その辺にあった端切れでレザーの薔薇を作ったことがある。当時の私は生意気なクソガキなので、組織の末端にいる自分の案を通すためにどんな立ち回りをするべきなのか全くわかっていなかった。良いものは良い、良くないものは良くない、そういうシンプルな構図しか思い描けなかった。社内調整という文化の役割と効果を知らず、自分の良いものを良いと思うだけで満足してしまって、それを他人に共感してもらうという方向性の努力ができなかった。良いご身分である。ただ、あれを夢中で作っている時間が間違いなくインターンのハイライトだったように思う。ちなみに、最近私は生涯を通して生意気なクソガキでいたいと思っていて、私を生意気なクソガキから卒業させようと尽力してくださっている身近なお兄様方やお姉様方にはやや申し訳ない気持ちがある(いつもありがとうございます)。

小学校の図工で作った版画がとてつもなく楽しかったことを今でも覚えている。どんな絵だったか全く覚えてないけど、木版を彫刻刀で削って、ローラーでインクをつけて、ばれん(ばれん、という単語を思い出したのは小学生ぶりだ)で紙に写す、その動作の繰り返しに没頭した記憶がある。あれもトキメキ時間だ。

学生の頃は勉強が得意だったのかもしれない。それなりに良い成績をとれば周りがそれなりに褒めてくれた。社会人になってからも、今の仕事に苦手意識は無い。社会で幅を利かせる評価軸と、自分の得意な(または嫌いではない)ことがそこまで大幅にずれていなかったのは奇跡であり、同時に大変有難いことでもある。ただ、社会と交わりながら流れていく私の時間の中に、私の心の底からのトキメキを、ちゃんと目立つ位置に設置できているか、という問いをこれからはより一層大切にしていこうと思ったのだ。部屋にある、なぜか夏にカビが生えるからすぐにでも廃棄したいと思っているあの棚の奥の方じゃなくて、できれば駅前広場くらい目立つ位置にドーン!と、バーン!と、設置したいところだ。

自分が何に夢中になれるのかを自覚できている時点で既に勝った気がしている。私は勝つけど、それは誰かを負かすことを意味しない。ただ私は私の正しさに従って、私自身のために、絵でもいい、文章でもいい、服でもいい、自分でなければこの成果物はこのような形でこの世界に存在していなかった、と思えるものを、自分の手を動かして一つ一つ丁寧にこの世界に置いていきたい。

<3>旅行する私から旅する私へ

滞在中「森と氷河と鯨」という本を幸平から借りて読んだ。ハイダについてすぐ、この辺りの文化や歴史を学ぶことができる本が無いかと幸平に尋ねた時、何冊もおすすめの本を出してくれたのだが、幸平がこの本を「入門書」と表現していてそれがしっくりきたのでこの本を選んだ。日本の写真家である星野道夫が、アラスカからシベリアに住むモンゴロイドとその神話を追った旅した際に撮影した写真を含むエッセイだ。

しかし、グレイシャーベアはついに姿を現しはしなかった。それでよかった。グレイシャーベアがこの世界のどこかにいることを、その気配をぼくは感じていたからだ。見ることと、理解することは違う。たとえぼくが餌付けをしてグレーシャーベアをおびき寄せても、それは本当に見たことにはならない。しかし、たとえ目には見えなくても、木や、岩や、風の中に、グレイシャーベアを感じ、それを理解することができる。あらゆるものが私達の前に引きずり出され、あらゆる神秘が壊され続けてきた今、見えなかったことはまた深い意味を持っているのだ。博物館に美しく保存されたトーテムポールではなく、森の中に朽ち果て、消えていったトーテムポールがより聖なる力を持つように。

星野道夫『森と氷河と鯨』

この部分を読んだ時、私は2022年11月にベトナム北部の少数民族の村、サパを訪れた時のことを思い出した。サパは、ハノイから高速バスで6時間ほどの場所だ。誤解を恐れずに言えば、サパの少数民族は完全に引きずり出されているように感じた。私たち観光客、ベトナムの観光産業、そして資本主義、貨幣経済によって。

サパ旅行は後味の悪い旅行だった。サパには、①少数民族の生活する村と②観光客の滞在する場所の2つのエリアがある。観光客は②に滞在し、日中は①のエリアにツアーを利用して遊びに行く。②の興味深いところは、そのエリアをどれだけ歩いても、永遠に同じ景色が続いていることである。レストラン→ホテル→土産物屋→両替所→レストラン→(続く)。この時点でこの街のつくりもの感に居心地の悪さを感じていたのだが、路上で自作の土産物を売っている「少数民族」の女性とのやり取りが、一層後味を悪くした。ちょうど旅行用の小さいショルダーバックが壊れたので、一人の女性から、刺繍の施されたバックを買った。その途端、近くにいた別の4名くらいの女性から、なぜ自分から買ってくれないのかと一斉に非難囂々浴びせられたのだ。私が驚いて言葉を失っていると、最初の女性までもが、二つ目をなぜ買わないのかと追求してきた。執拗に土産物の購入を勧める光景は少なくない観光地でみてきたつもりだが、買うことをしつこく迫られたことはあっても、買わないことを強い言葉で責められたことは初めてだ(しかももう既に一個買っているのに!)。観光以外に際立つ産業がない地域で過度にディスカウントを求めないというのが私のポリシーで、どちらかというと現地の方からふっかけられた観光客価格を素直に払いたい性分なのだが、それでも彼女たちとの会話に辟易としてしまい、バックを1つ買ったことすら後悔した。彼女が膨大な時間をかけて縫った美しい刺繍が美しいことに変わりは無いのだが、それを美しいと思う私はどこかへ行ってしまった。

現場

何が彼女たちをこうさせているんだろうかと、勝手ながら悲しい気持ちになったが、それは紛れもなく私のような観光客の存在であろう。そもそも、「少数民族の生活」が堂々と観光資源として前面に押し出されていること自体、少なくとも私の趣向とは合わないことに最初から気づくべきだったのだ。人間の営みから生まれた文化(建造物、食事、宗教行事、服装等)ではなく、営み自体の観察がパッケージツアーになっているなんて、さすがに引きずり出しすぎではないだろうか。ここに書ききれないいくつかの他の経験も相まって、私はそう思った。

星野道夫の表現を借りるとすれば、サパの「少数民族」は私達の前に引きずり出され、その神秘はこれまで幾度となく壊され続けてきたのだろう。私は確かにサパの「少数民族」を「見た」が、最後まで彼らの存在を「感じ」たり「理解する」ことはなかったように思う。なんとなくもやもやとした感情で包んで、そのまま放っておいてきたサパという記憶を表現するのに、この星野道夫の言い回しがとてもしっくりきた。Haidaの地で、私はサパの記憶に短い説明文を付け足すこととなった。良くも悪くも、比較という作業は物事の性質を一層際立たせるのに役立つ。

Haidaの話に戻ろう。Haida島はHaida族が居住する群島だ、と冒頭に紹介したが、Haida滞在中に私が出会った人の中で、自分がHaida族であると私に主張してきた人は誰一人としていない。つくりもののHaidaが街中にでかでかと掲げられていたり、その消費を無理強いされたこともない。だが、大地と文化の自然な息遣いを介して、私は間違いなくHaida族の存在をあの地に感じることができた。

その姿が見えなかったということは、また深い意味を持っているのだ。

星野道夫『森と氷河と鯨』

何かが自分の前に現れなかったという事実に幸せの欠片を見出したことは、私の人生に深みをもたらしたように思う。

トーテムポールの音を聴く

滞在の序盤から、これは旅行ではなく旅かも、とぼんやり考えていた。滞在の中盤くらいでこの文章に出会ったことによって、旅と旅行の境界線が定義付けられたように思う。旅行は、私達のために引っ張り出され、用意されたものを「見る」営みであり、旅は、その地でその存在を「感じる」営みなのではないかと、私は思うのだ。

私はもっともっと旅がしたい。

おわりに

この旅を経てからというもの、自然と調和しながら、創造的な活動を行い、旅をする人生にしたい、と思うようになった。これがこの旅の前後での私の変化である。実はHaidaに行く前の半年間くらいは、端的に言うと底だった。人生グラフを書き記すために必要なy軸の下限を更新し続けるような、そんな毎日だった。今は、自分の意思に素直に従ってこの変化を丁寧に実践していきたい気持ちがある。そして、あの頃何に思い悩んでいたのかすら思い出せないほど安定した穏やかな日々を過ごすことができている。

精神の不調に関する話題は、言ったもの勝ちなところがある。言えていない側から見ると、その話題を出すことでさえ甘えに感じるのだろうし、私自身が自分に対しても他人に対してもそのように考えてしまうことも往々にしてある。だからこそ、自分も他人にそう思われるのだろうと、余計に言い出せなくなっていく。ただ、言ったもの勝ち、というのは文字通り直接的に捉えるべきであるのだ。過程や程度がどうであれ、最悪の結末だけが唯一にして絶対の負けであり、私たちは必ず負けてはいけない。言いさえすれば勝てるのだったら、言って勝とう。
不調を言い出せないほどにまで自分を追い詰めて負けるくらいだったら、自分を甘やかしすぎかもしれないと罪悪感を覚える方がよっぽどいい。自分を追い詰めすぎているかどうかを判断するために他人の尺度は必要ない。なんなら、他人から「ぬるい」と嘲笑われるくらいがちょうどいい。
無数にある狭い村社会のそれぞれで、わんこそばと戦う人々がいることを知っている。その人達の中に、ちょっと自分を甘やかしすぎたかもと思える人が増えることを心の底から祈って、この文章を締めたいと思う。

*Special Thanks*
私のHaida滞在を旅行ではなく旅にしてくれた幸平、一緒に旅してくれたHelen、五右衛門風呂の後に食べる練乳ブルーベリーが最高にキマることを教えてくれたTamoとVanessa、人生で一番感動的なオムレツを作ってくれたTalon、他にもHaidaで私を歓迎してくれた全ての人々、そして私が会社にいない間代わりにわんこそばをなんとかしてくれていた先輩、全ての人に感謝を。

*留意事項*
サパは、美しい自然に囲まれた地域だ。初めて見たはずなのにどこか懐かしく思える、雄大な棚田が印象に残っており、私はサパに行って良かったと思っている。この文章内ではサパを構成するひとつの側面のみを切り取り、かつ、一つの尺度で測っているにすぎない。私が感じたサパのその他の魅力を伝えきれないことを残念に思う。また、私はただ数日滞在したに過ぎない1人の観光客で、サパを完ぺきに理解した上で文章を書いているわけでもない。私と全く同じ状況に直面しても、人によって感じ方は異なるだろう。この文章を読んでサパに興味を持ったならば、是非自分の目で確かめてみてほしい。

*幸平の週報のうち私が登場する回*


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