見出し画像

やさしい手


最近、喧嘩ばかりしている。

おそらく更年期障害なのだ、私の。

少し年上の同性にそういうと

「えーっ、またまた。まだそんなじゃないでしょうに」

と笑われるのだが、髪が細くなったりうねったり、

睡眠不足が翌日の毛穴を広げたり、

ゆるやかに確実に体が変わっていくのを感じる。

生理前でもないのにいつもイライラしている。

なんだか疲れたのだ。

落ち込む気持ちを上げようと老化のスピードを緩めようとするのも。

これはもう、更年期障害でいいんじゃないかと思う。

「私、更年期でして」

いっそ潔いのではないかと思う。

いやいやとかまたまたとか要らない。


それで、夫とのけんかの話。

この日も、どっちが子供の頭を洗うの洗わないのの言い争いから

始まったのだけど、夫もイライラしているのか

最近よく子供にキレるようになってしまった。

仕事もきついんだろうとは思う。

でも、これは我ながら勝手な言い分なのだが、

ヒステリックになるのは私だけにしてほしい。

成人男性が本気でほえるとただただこわい。

成人女性がこわいと思うんだから子供ならなおさらなはずだ。


「ねぇ子供を怒鳴らないでよ!大人の男性が大声出したらこわいでしょ?!」

「いーや、怒鳴る。言っても聞かないんだから言い続けるしかないだろうが!」

「だから言い方!!」

夫の声は本当によく通る。いい声なのだ。その分、響きすぎて聞く方を疲れさせたり、萎縮させる。

頭を洗いたくないと言って風呂から出て服を着ようとした子に

だめだ、脱いで入り直せと怒っている。

夫をなだめるうちに激高した私が泣き出すと、

子供は脱ぎかけのパジャマで顔を隠してフリーズした状態になっている。

なおも「それ脱げよ!!」と指さして吼える夫の腕を思わず

ピシリと叩いてしまった。

「なにすんだよ!」

「もうやめなよ!おかしいでしょ!?」

久しぶりに触れた夫の腕は温かくて乾いている。

この温かい手に叩き返されたら、私の心はどうなるのだろう。

威勢よく言い返すこともできず、子供と逃げるのだろうか。

夫はそういうけれど叩き返したりはしない。

そのラインを超えてくることはない。

BGM代わりのラジオから流れる陽気な英会話を聞きながら、ぼんやりと思った。


結局私はいつもの不機嫌モードに突入し、布団に入るまで無言を貫いた。

赤ん坊のころから夫は子供のお風呂に付き合うのを嫌がっていた。

そんなしつこい不満があとからあとからふつふつと沸いてくる。

暗闇の中で家族それぞれの呼吸のリズムを聞いているうちに

感情を昂らせて疲れたのか私にもすんなりと眠りがやってきてくれた。

どろりとした眠りの淵にたたずむのが心地よく、

あと少しで落ちようという私を

「ねた…?」

という遠慮がちな声が引きずり上げた。

いつも誰よりも先に寝てしまう夫が起きている。

夕方の喧嘩のためだろう。

私は寝たふりをした。それを知ってか知らずか

夫の大きな手のひらが私の背中でゆっくりと円を描き始めた。

気持ちいい。

人の手は気持ちがいい。

くるくると撫でられて、

張っていたものを緩められていく。

私が眠りに戻るまでずっとやっていてほしい。

切に願ったが、夫はわりとすぐに手を引っ込めた。

「ごめん」と言うのかと思ったけど言わなかった。

悪いとは思っていないのだ。悪くはないのだ。

私も悪いのだ。でも夫も悪い。


やっぱり抱き合わないのは良くない、と翌日洗濯物を干しながら思った。

けれどどこから始めれば良いのかもう忘れてしまいつつある。

「何しろ更年期なのだ」

声に出してみた。自分の声ではないみたいで可笑しい。

「もういいではないか」

今度はわざと野太い声で言ってみる。

更年期までまだ時間があるのが厄介だと言わんばかりだけれど、

これは堂々と本格的な更年期を迎えても

「もういいではないか」と潔くいく気はしない。


憎みあうような喧嘩をした後は

ばかばかしくて可愛げなどとうてい出せない。

というか、いっそやり込めるまでやらないと後には引けないくらいだ。

が、口角はますます下がり、

私が男でも抱きしめてやりたいとは思わないだろう。


夫は理不尽さを感じていることだろう。

私も叫ぶように子供を叱りつけてしまうことがよくある。

夫の言う通り、言っても言っても聞かないのだ。

子供は危ないこともやる。いじわるもする。

長時間、見ていないといけない疲れもあって

「また?!」「どうして?!」

となるのがしょっちゅうだ。けど、なぜ私だけそれをやってもOKなのか。

なぜ夫は私に腕をひっぱたかれないといけなかったのか。

自分はやり返さない。

いつまで妻の感情の起伏に付き合わないといけないのか。


日付が変わる直前に帰ってきた夫に

スマホから顔も上げず「おかえりー」とだけ言って

そそくさと寝室に引き上げた。

するとめずらしく夫がついてくる気配がした。

子供の寝息の響く部屋で横たわっていると

夫が布団に滑り込んできた。

めったにないことに少し慌てる。

昨日喧嘩をしたばかりなのに全身の体温を感じるのは

気まずい気がする。

私があれこれ思いを巡らせていると夫は昨日と同じように、

ゆっくりと円を描くように背中を撫で始めた。

きもちがいい。

温泉に入ったときのような

「は~」という間抜けな息が漏れ出た。

夫の手は優しい。

優しい夫の手。

体温が背筋を伝って上へ上へのぼってくる。

なであげて。なであげて。

ずっと続けてほしいと切に願う。

後頭部を5本の指が髪を優しくひとかきしたかと思うと、

いつしか夫が両手で私の首を包んでいる。

首が、あたたかい。

首が熱い。重い。

頭に血が上っていく。

じーんとする。白い世界がひろがる。

口角を上げて笑っている私が見える。

私は目を開かず、ずっとずっと夫の優しい手を感じていたかった。


……

目が覚めると夫が横で寝息を立てていた。

いっそ本当に首を絞めてくれたらいいのに。はっきりと言ってくれたらいい。

今日も私は中途半端な不満の波を漂って過ごすのだろう。











いいなと思ったら応援しよう!

ミカジロウ
サポートをいただいたらnoteのなかで循環させたいと思います❗️でもスキだけでもとーーーってもうれしいです✨