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三億円事件の犯人と話をした

男は68歳。身長を訊くと「176」と答えた。この年代の男性にしては大柄な部類なのではないだろうか。30歳のシングルマザーと付き合っていると自慢げに語る。連れ子の娘とは一緒のお風呂に入ってると笑う。それを人間らしいといえば聞こえがいいが。

俺が三億円事件の犯人、ありきたりな言葉だ。話半分に聞いているのが正しい。だからこの男の言葉も話半分で聞いていた。しかし

男の話はあまりに新しかった。斬新な発想と展開、真相、そしてドラマティックに膨らませ続けた半世紀を打ち砕くようなドラマ性の無い事実。

粗暴で機転を利かせることが苦手そうな男が、当時の出来事を淡々と落としていく。圧倒的なリアリティがその言葉にはあった。

もしかしたら本当にこの男が_

給料明日運ぶけど大丈夫か、普通に話していた

「(多磨農協の脅迫状は?)まったく知らない、いつそのことを知ったのか。覚えてない」

1968年4月25日から8月22日までに起こった多摩農協に対する爆破予告。男はこの関与をきっぱり否定した。しかし、次の言葉から勝手が違った。あまりに勝手が違う回答が並んだ。

「国分寺のは知ってたよ。国分寺が話してたから。おもしろいとおもった」

国分寺とはなにか?ストレートに訊ねると男は激しく苛立った。その苛立ちぶりに面食らう。しばらく男は不機嫌になった。すぐに男の「機嫌が直る」ことを施した。それ以降、足りない言葉の「解釈」を自分で考えることになる。つまり「国分寺」は国分寺支店の行員のことだと。

歌手の高木門の名前を使った脅迫状。300万円を用意しなければ巣鴨にある日本信託国分寺支店長の自宅を爆破するという内容。それは12月6日のこと。その時点で公にされていない事件である。

「給料明日運ぶけど大丈夫か、普通に話してた。別に隠すことなく。多くの人が知ってる。三丁目の喫茶かな。わからない」

「新宿」と会話に山を張ったら男は否定しなかった。三丁目は新宿三丁目のことなのだろう。三丁目にあった喫茶店。店名は知らない。そこで国分寺支店の行員と一緒だった。他にも客や店員もいた。行員のあまりに気の抜けた雑談だった。

「(行員の名前は)知らない。狭いから。みんな参加するんだよ」

「狭いから」と言いながら人差し指で長方形を作る。店が狭いから客同士が話す、長方形は横並びのカウンターという意味か。国分寺支店の行員の名前は知らない。覚えていることはその行員が若くない女ということだけ。

「『襲えば?』と気楽だった。そんなもんだよ」

若くない女は酔っていたのかいないのか。情報というのは特に理由もなくこうして軽口となって漏れるのか。呆気ない流出だった。

盗難車を盗んだ。本物の白バイだとおもってね

「(白バイを)帰りに盗んだ。工場、多摩川の。ヘルメット?多分そこ」

男は盗難車を盗んだ。11月19日か20日に日野市平山の平山団地で青色の「ヤマハスポーツ350R1」が何者かに盗難されていた。男はその盗難車を12月9日に盗んだのだ。白バイに塗装されていたものを。結局、誰が何のためにヤマハをホンダの白バイのように塗装したのかは不明のままだ。多摩川沿いの工場、とにかく外になんでも置いてあった。記憶は曖昧だがヘルメットも多分そこで拾った。当時の立川近辺ではありきたりな光景。新宿三丁目で飲み、その帰りに盗んだ。

「白バイだと思ったから。でも何か違った」

国分寺支店の正面に堂々とシートをかぶせて白バイを放置。別にみつかってもいい、という気持ちで置いた。

爆破されたと騙してみるか。どこまでも気楽な思いつき。計画性、用意周到とは無縁な犯行だった。

車が出てきたから追いかけただけ

そして12月10日。

「朝は覚えてない。白バイは国分寺の前に停めておいた。盗まれてるかなと思ったけれど盗まれてなかった」

気楽な回答が続く。前日の緊張感、歴史的な朝の様子、事細かく心情を知りたかった。だが男はなにひとつ覚えていない。何時に起きて、何時に自宅を出たのか、なにも覚えていない。自宅はどこなのか、なぜ車種がセドリックだと知っていたのか、国分寺支店の出発時刻を知っていたのか、粘り強く罠にかけながら訊いてみたが、どれもこれもドラマティックではなかった。

当時の自宅も現在の自宅も最後まで釣られることはなかった。セドリックの出発時刻は知らない。だから朝から行った。細かい時間なんて覚えてない。

車が出て来る。「これだ」と直感が働く。車種は知らなかった。根拠がないけど後を追った。しばらく走って人気のない直線がきたので思い切って追い抜いた。

制服なんて着てない

犯人は白バイ隊員の格好をしていた。その情報を疑うことはない。しかし男の言葉は混乱を誘う。

「制服なんて着てない。ヘルメットだけ。だから上手くいくわけない。服装?覚えてない」

白バイ。ヘルメット。その二つのアイテムが白バイ隊員の制服を作り上げてしまったのかもしれない。なによりこの日は雨だった。あまりに大雨だった。非日常体験に晒されている行員たちの記憶を責める者はいない。

支店長の家が爆破されたとは言っていない

「支店長の家が爆破されたとは言ってない。この車にダイナマイトが仕掛けられている、と言った。みえみえの嘘だった」

新宿三丁目の一件で、男は支店長の自宅に爆破予告があったことは知っていた。しかし、そのことを行員たちに言わなかったと主張する。けれど行員たちは「支店長の自宅が爆破されたと犯人が言ってきた」と証言している。

「引っ掛かるわけないと思ってたから気楽に言った。けど車から降りた。様子がおかしいとおもった」

予想外の展開になる。行員たちが顔面蒼白で次々と車を降りたのだ。男はそれをおもしろいと思った。

俺は発煙筒など絶対に焚いてない

「発煙筒なんか知らない」

それはおかしい。四人の行員、通りかかったトラックの運転手、対向車線にいた自衛隊員も昇り立つ大量の煙を確認している。事前に手を加えられた発煙筒。けれど男は主張を曲げない。

「焚いていない。俺は焚いていない!」

本当に犯人なのでは。私はあることに気づいた。ようやく気づいた。発煙筒は焚いていないと語気を強める、ずっと不本意だったと言わんばかりの急な強い怒り。そう、発煙筒などなかった、あの三億円事件に発煙筒の件など存在しなかった、それこそが犯人だけが知り得る事実なのでは。そのことに気づいたとき背筋が駆け上がるように凍りついた。このままこの男と話していいのだろうか、と。

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