結晶性知能からの価値提供を侮るべからず
もう年だから
なんかさ、最近ほんとよく聞くの。同世代から。
(noteのタイトル通り、わたし新人類と呼ばれる世代なので今年56です)
「もう年だから」「若くないし」
50肩痛いとか、腰痛が、とか、そんなのはわたしもありますけど、そういう話しじゃないんだよね。
そういう言葉を耳にして
「もう年で若くないからなんなのよ?」
ってイラつく時期は通り過ぎて、
めちゃくちゃ心配になってきた。
励ますだけじゃ刺さらないだろうし。
つーか、なんならわたしのほうがだいぶ年上だったりする。
40代の人からも言われたりするから。
『あなたがいちばん輝いていた年齢(ピークだった年齢)はいつ頃ですか?』
みたいな問いをされることもあるんだけど、
そんなの、ピークなんかまだきてないって思いながら生きてます、わたしは。あの頃はよかった、あの頃はたのしかった、とか言いながら生きていくのつまらないし。
酒飲んで酔っ払ってる人が同じこと(主に自慢話)何度も何度も言うのはよく見る光景だけど、年をとると酔っ払ってもないのに過去の栄光的な昔話ばかりしてる人、たくさんいるじゃん。
もう、シラフなのに酔っ払ってる状態。いや、酔っ払ってる人もふだんシラフのときに言えないだけでそれが本音(本性)なんでしょう。
それで未来も幸せになるなら延々とやってりゃいいんだけど、そうじゃないでしょ、だいたい。
わたし小学生の頃に剣道をやっていて、剣道を教えてくれてたいちばん強かった人は、先生たちの中でもいちばん年寄りだった。
スターウォーズでいうところの、ヨーダみたいなもん。
で、小学生の時思ったのね、あぁ、剣道ってのは、手と足が動けば年をとってもできるスポーツなんだなって。結晶性知能が活きるスポーツなんだなって。小学生の頃は結晶性知能なんて言葉知らなかったけど、意味的には同じことを思ってた。
”もう年”だからこそ、結晶性知能ってのは最大限に活かせるんじゃないですか?
自分にはなにもない
そういうとテンプレみたいに
『自分には何もない』
って答えが返ってくるんだけど
そうなるとそれはもうメンタルの問題。何もないわけないんで、認知が歪んでます。なので、まずマインドセットをしたほうがいいです。
何もないわけがないし、しかも、それはだいたい他人と比較して何もないって言ってることが多い。
だって、わたし「自分には何もない」が口ぐせの人に、けっこう救われてますから。ほんとに。その人の得意なことで。
だいたいそういう人は長い時間をかけて苦労して克服したことでこそ身を立てよう!としていて、自分の得意を把握してない、もしくは無視してます。
その人の得意なこと(難なく出来ること)で助けられてそのことにお礼を言ったり素直に褒めたりすると、たいてい
「いやいやそんなこと・・・これくらい誰にでも・・・」
と受け取ってくれない。
苦労して頑張ったこと、頑張って習得したことこそを周囲から認めてもらいたい、という気持ちもすごくわかるんですが、
お願いだから受け取って♥
これからも助けてもらいたいんだから!
他人と比べる
これ、地獄味が強いですねー。
最強に地獄味が強いですよねー。
習慣化してしまっている思考を変えるのは簡単ではないでしょうが、他人と比べる自分をどうにかするところから始めないと、抱えている生きにくさが解消されることはないです。
ちなみに、メンタルクリニックやカウンセリングってもっとカジュアルに使っていいと思いますよ。
メンクリっていうと、薬をバカスカ出して廃人に追い込む的なイメージ持っておられる方も多いみたいなんですが、全然そんなことないし。
先生との相性はあるだろうから先生選びは大切ですが、これだって行ってみないとわからないですよね。口コミってのは他人の感想なんで。
わたしは若い頃PMSがものすごく酷くて、婦人科行っても東洋医学系行っても、とにかくなにをやってもダメだったのがメンクリ通って数ヶ月の治療でめっちゃよくなりました。
そもそもメンクリでPMSの治療ができるなんて知らなかったんで(インターネットをはじめたのが1999年からなのでPMSの情報取りに行くのが2018年頃になってしまった)
こんなことならもっと早く行けばよかったって、(滅多にしない)後悔をしました。ほんとつらかったからね。
カウンセリングは自費診療になってしまうのでカジュアルに使えるわけねーだろってキレられることもあるんですが(なぜわたしにキレる)
怒りというのはなにかの代替感情であることが多いので、相性のいい相手に話を聴いてもらうだけでもスッキリすることもありますよ。
注意が必要なのは、聴いてもらってスッキリする相手にくれぐれも依存しないように。信者化しちゃうとまったく何の解決ももたらさないので。
必ず誰かに救われてるし、誰かを救ってる
散歩中に道を聞かれるといった小さなできごとから、命を救われたといった大きなことまで、いつも世界は誰かが誰かを助けたり、助けられたりしてます。
世の中に完璧な人などいない。
自分の失敗を恥ずかしがってるのは自分だけ。
ある人にとっては苦手なことが、
ある人にとっては得意なこと。
だから協力して助け合って、その凸凹をカチッとはめることが、ビジネスでも私生活でもとっても大切だなって思うようになりました。
わたしは器用貧乏
辞書に書かれたものを見ながら、的確にすごいディスられた気分になったんだけど、こんなやさしいポジティブ言い換えが!(とくにポジティブでないところもある)
占いじゃないけどめっちゃ当たってる笑
上の4つも当てはまるとおもうし、下のふたつもめちゃくちゃ当てはまる。
競争心、ない。ないんです・・・。
勝負事に負けても気にしないっていうネガティブな言い方もできますが、納得を大切にしてきた生き方なんです笑
だから他人と自分を比べるっていう地獄味の強さも感じずに生きているんでしょうけど。
競争心のないわたし凹と
競争心がそこそこあってなかよくできる人凸
の得意が組み合わさったら、きっと、ものすごくおもしろいものを作れるんじゃないかな!わたしひとりでは考えられなかったようなビジネスができあがるんじゃないかな!その価値を提供することで救われる人がたくさん現れるんじゃないかな!
そんなふうに考えられるようになったのも、年を重ねたからです。
#やさしさに救われて