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先日他界したチバさんがPuffyにかいた曲だから可愛い曲なんだけど、セルフカバーもよかったな。
同世代の人がボチボチ逝くことが増えてきた。
小学生の頃、長崎の祖母の葬式に行ったあたりから
「順番にそういう世代を迎えるんだな」
いまは親の親世代が逝く時代
(同級生の祖父母の忌引が増えていた)、
次に親世代が逝く時代、
そしてその次は自分たちの世代が逝く時代、
と思った。
紅葉前のグラデーションを見ながらいまどこら辺かを考えるのは昔からの習慣だ。
いまわたしまだ緑。
いまは黄色。
いまは赤が混じり始めた。
いまは赤。
50代半ばでの死はまだ若い、と惜しまれるけど、自分と同世代の訃報は確実に増えてきた。
わたしは生きてるうちに、何をどこまでできるかな。やりたくないことをやってるヒマはない。
で?わたしのやりたいことは?
犬たちと、楽しく過ごすこと。
実は子どもの頃の夢は叶っちゃってる。
ずっと犬といっしょに過ごせてるから。
起業をしたのが1999年、
その夢は30代のあたまで叶ってしまった。
わたしが欲しかったのは有名になることでもなく、
莫大な収入を得ることでもなく、
犬と丁寧に過ごす時間だった。
実家にはその昔、常に誰かしら居候がいたし、住み込みの人もいた。
犬に好かれる人もいたし、そうでもない人もいた。
犬を好きと言っている人が、確実に犬から好かれているわけではなかった。
人間たちの間違った愛の行き着く先のひとつの例が、いまわが家に居候している保護犬のサミロウだ。
人間が「愛」とか「可愛がる」と勘違いしているものをありったけ注がれ続けた結果、咬む犬になった。「愛」とか「可愛がる」とか「溺愛」といいつつ、やっていることは「いるだけ、見るだけ、触るだけ」の人がどれだけ多いことか。
撫でられたくない時(放っておいてほしい時)も、口輪をつけてまで人間は安全な状態にしてから撫でられ「可愛がられ」「愛され」続けて生きてきたのだろう。マズル一周にくっきり残る口輪の痕がいろいろと物語ってくれる。咬む犬だがハンドシャイではない。殴られた経験がある犬ではなさそうだ。
人の側(飼育放棄した飼い主)はそれこそ本気で「かわいがっている」つもりで接してきたのだろう。
わたしはチワワという小さな犬が大好きだ。自立心が高く、ワンオーナーな気質は日本犬に近い。
チワワという犬は、そのサイズの小ささから不遇な目に遭うことが多い。不快なサインを飼い主にまで無視され、なんなら、「可愛い〜🩷」と、わざわざ不快な仕打ちを日常的に受けがちだ。
ひとつ夢が叶った自覚がある人生なのだから、次の夢は生きてるあいだに叶わないことでもいい。
これからもまた別の、生きているあいだにはきっと叶わない夢のために、犬たちに時間も金も使いたい。時間はあるが金がたりない。ないなら作ればよい。作りたいので、飲みたいお茶があれば
https://wonderherb.jp
でお茶買ってください😁
そういえばハタチの頃に京都で三国連太郎さんと同じ新幹線でサインをもらったんだけど(切腹の斉藤勘解由役とか怪談(黒髪)の武士役とかすごい好きで)
ひとこと、
夢 三国連太郎
って書いてくれた。
夢は叶おうと叶うまいと、疎かにしてはいけない。叶えば最高だけど、叶わなくても、夢をもつのは大切なことだ。
夢を抱えながら逝くのは最高に夢のある逝き方じゃないか。
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