#14 学術研究に金を出せっていうけどさ?

「日本の科学力低下」「論文数の停滞」etc。最近こういう話はよく聞く。内生的成長理論が示唆するように、経済成長のエンジンはアイデアであり、イノベーションだ。であれば、経済成長を考えるうえで学術振興は極めてクルーシャルな問題である。私が大学院生だから、というポジショントークは抜きとして。

だが、経済成長と学術振興が密接な関係を持つからと言って、このことは「学術研究に金を出せ」ということを直ちには意味しない。それに、仮に実際に金を出すにしても、どういう風に金を出せばイノベーションが進むのかについては議論の余地がある。私がリバタリアンだから、というポジショントークは抜きとして。

イノベーション政策といえば、デンマークのデータを用いた面白い研究がある。論文自体は60ページ以上あり結構難しいが、Vox.EUというサイトに記事内容を一般向けにまとめたコラムが掲載されていた。サイト名を見ればわかると思うが、EUと書かれていることからもわかるとおり、記事は英語で書かれている。以下は、Akcigit, Pearce, Prato (2020) "Tapping into talent: Coupling education and innovation policies for economic growth" (タイトル仮訳:「才能の利用: 経済成長のための教育とイノベーション政策の結合」)の要約である。
※なお、Vox.EUは世界中の経済学者がコラムを投稿しているサイトである。最新の経済学の研究トレンドをフォローするのにはかなり有用である。WSJより少し上のレベルの経済トピックを英語で勉強をしたいというニーズは留学を考えている学生や外資系企業に勤める人などに一定程度あると思うが、これを満たしてくれるのがVox.EUだ。

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本研究のモチベーションは、経済がCOVID-19によるダメージから回復し経済成長を遂げるには、イノベーションが欠かせないという認識である。ヨーロッパでは、Horizon Europeという予算規模が1000億ユーロを超えるイノベーションプログラムが2021年に開始予定である。だが、ここで一つの疑問が生じる。納税者のお金がイノベーションや生産性の成長に繋がるような政策とはなんだろうか?(※論文に書かれているモチベーションはこれとは異なるが、コラムと論文では読む対象者が違うのでそういうものなのだろう)

内生的成長理論についての既存の理論研究では、R&D補助金が新製品および新技術の開発を促進する効果が強調されてきた。しかし、実証研究ではR&D補助金と経済成長の間にはそこまで強力な関係があるとは認められなかった(Goolsbee 1998; Romer 2000など)。これらの研究では、R&D補助金は科学者の賃金を引き上げる効果があるということが示されている。したがって、教育においてPhDの枠が限られているという点や、個人の職業選択を考慮に入れた上での政策分析が必要となる。

研究の中では、まず、デンマークにおけるデータから、以下の10個の事実が明らかとなった。(なぜデンマークのデータを用いたのかといえば、科学者や発明家の数を増やすことを目的として、デンマーク政府が2002年から10年以内に博士号取得者数を2倍にすることを大学に義務付けたためである。)
Fact 1: IQが高いほどPhDを取る可能性が高い。
Fact 2: 親の所得が高いほどPhDを取る可能性が高い。
Fact 3: 個人のIQは親の所得には部分的に相関がある。
Fact 4: 高IQで親が高収入でも、ごく一部の人しかPhDを取らない。
Fact 5: PhDが発明家になる確率は平均的な人の20倍。
Fact 6: 同じ教育水準なら、高IQの人ほどイノベーションを起こす可能性が高い。
Fact 7: 発明家はチームで働くが、その人数はチームによって異なる。
Fact 8: チームリーダーがイノベーションを起こす確率と年齢の関係は逆U字型。
Fact 9: PhDの枠の数を増やすとPhDのIQの平均は下がる。
Fact 10: デンマークの発明家のほとんどは自国出身者であり、外国人の発明家は10%未満。

これをもとに、Akcigit, Pearce, Prato (2020)では才能、キャリアの選好、財政上の資源に異質性があるモデルが構築された。そして、(i)R&D補助金、(ii)教育補助金、(iii)PhDの枠の増加という3つの政策の効果が分析された。モデルの示唆する効果は以下のとおりである。
(i)R&D補助金; 研究者はより多くのイノベーションを生み出すために研究機材を購入するようになる。加えて、研究者の給料の上昇によって、研究部門で就職することを選好しない才能ある人が研究部門に加わる可能性がある。
(ii)教育補助金; 経済的に余裕のない才能ある人がPhDを取ることが可能になる。
(iii)PhDの枠の拡大; 研究者数は増加するが、この政策によって研究部門での就職を選好しない才能ある人や経済的に余裕のない才能ある人が研究部門に加わるということはない。PhDの平均IQも低下する。

すなわち、イノベーションにおける人的資本の制約は、PhDの枠の拡大によって解消することも可能であるが、経済的に制約を受けていたり、他の分野で働いていたりする優秀な人材を研究に引き込むこともまた有効な手段である。

さらに、政策的知見としては、以下の4つが得られた。
①伝統的なR&D補助金は、人的資本の供給に焦点を当てた教育政策ほど効果的ではない。
②イノベーションや経済成長のための予算が十分ある場合には、R&D補助金と教育政策を併用すべきである。
③所得格差が大きい社会では教育補助金が効果的である。
④以上の政策が効果を発揮するのには時間がかかる。R&D補助金は即効性があるが、5〜10年後には教育補助金が最も効果的になる。

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さてこの研究、非常に面白いのだが、困ったことに論文自体は60ページ強という長さだ(プリントアウトしたものをホッチキスで閉じられない!)。長いだけなら構わないのだが、確率分布なども出てくるので、モデルを見た感じ結構面倒くさそうな印象も否めない。だが、どれくらい自分は成長できたのかなと思って少し解いてみたところ、ある程度の手応えはあった。見た目のとっつきにくさほど実際には難しくないのかなという印象を持ったのだ。よほどの人でもない限り年に1本か2本しか論文を執筆できない領域だからこそ、成長を実感できる瞬間、ほんと大事。

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