【岩佐陽一さんに聞く①】かわいい三田村邦彦には旅をさせよ?〜VTR時代劇の変遷と“旅する侍”の戦略って?〜
はじめに
中学生のころ、夢中になって何度も読んだのが岩佐陽一さんの「70年代カルトTV図鑑」(1996年/ネスコ・文藝春秋)という本だった。作品に対する独特の切り口と軽快な文章に大いに影響を受けた。そんな私が「岩佐陽一さん、Twitterやってほしい」と呟いたのが6年前。
いろいろ端折るが奇跡的に相互フォローになれたので、「人に聞けなさそうな時代劇のあんなことやこんなこと、全部聞いてみよう!」という企画の第1回目。
【岩佐陽一さんプロフィール】
’67年1月ゴモラ殉職日生まれ。神奈川県出身。著述家、映像プロデューサー、芸能事務所・映像制作会社代表。「70年代カルトTV図鑑」(https://www.amazon.co.jp/dp/B08XV6XFPL)ほか文藝春秋より電書化・発売中。新潟・i-MEDIA講師、文春オンラインに定期的に寄稿。
鈴峰らんか(以下、鈴峰):対談にあたり、何について聞こうかなと思って少し考えました。事前のDMでは『御家人斬九郎』(’95〜2002年/渡辺謙主演)についてお聞きするという話だったのですが、今ちょうど気になっていることがありまして。今回は、三田村邦彦さんについてお聞きしようと思います。
‘90年代にいくつか主演された作品があったと思うんですが、何であんなに全部イマイチなのか、ちょっと聞いてみたくて(笑)。
岩佐陽一(以下、岩佐):イマイ……なんということを(汗)! (三田村さんに)怒られる(笑)。
鈴峰:怒られそうだな〜〜(笑)。三田村さんに見つかりませんように!
岩佐:上手く書いてくださいよ(笑)! 大丈夫かな……(汗)。
鈴峰:頑張ります(笑)。
※編注:基本的に二人とも俳優・三田村邦彦さんのファンです
VTR時代劇の登場
鈴峰:能村庸一さんの「実録テレビ時代劇史」(2014年/ちくま文庫)で、’90年代からだんだんVTRで時代劇を撮るようになってきたというような話を読んだんですね。
テレビ朝日の土曜夜8時枠あたりがいち早くVTR時代劇に結構切り替わっていったところなのかな? と勝手に思っているのですが。あのあたりで画質が急に変わったなという印象がありまして。
岩佐:テレ朝ではないけど、『(ナショナル劇場)水戸黄門』(’69〜2011年)もそうでしたよね。
鈴峰:『水戸黄門』はどのへんから変わったんでしょう?
岩佐:だいたい同じぐらいですよ。’90年代の頭ぐらいから。
鈴峰:『水戸黄門』はもうちょっと遅かったイメージがあるんですよ。
(編注:実際には1998年の第26部から)
岩佐:時代劇でいち早かったのは確かにテレ朝かもしれないですね。
鈴峰:『水戸黄門』は’90年代のちょっと後の方になって切り替わったんじゃないかなと思っていて。
岩佐:ああ、そうですね。VTRにしていいのかどうかを当時C.A.Lさんが悩んでいたんですよね。例えば『ウルトラマンティガ』(’96年)ってフィルム撮りなんですけど、それを逆にデジタルに変換してるんですね。当時はそれにとてつもない金額がかかったんですよ。
鈴峰:変換する方がお金がかかるんですか?
岩佐:そうなんですよ。だから今、〝結局フィルムで撮ってた方がよかったね〟なんていうオチになっているんですね。C.A.Lさんは割とフィルム撮りにこだわってデジタルに抵抗されていたんですよ。
あとはデジタル撮影してそれをキネコ※するという手法ですね。
鈴峰:キネコ?
岩佐:要はフィルムっぽく変換することができたんです。これも確か当時は、ものすごい金額がかかったんですよね。何百万単位かなんか。
鈴峰:質感を変えるようなことが、とってもお金がかかる時代があったってことですか?フィルターをかけるみたいに、スパッといかなかったんですか?
岩佐:そうです。私が’90年代の終わりに作った映画やドラマでデジタル撮影したものをキネコで変換していた時代でも何十万単位でお金がかかっていました。考えられないでしょ?
鈴峰:考えられない。考えられないです。なんかパチンと切り替わるイメージです。ここのボタン押してみたいな、iPhoneでできるようなイメージです(笑)。
岩佐:そのフィルムの質感に変えるのに当時何百万かかっていたんですよ。すごいでしょ。
鈴峰:はぁ〜〜……すごいですね。
岩佐:『必殺』なんかもいち早くV撮りに変更して、それをフィルムに見せるっていうやり方を採りました。どの辺からかな? スペシャルの何本目からか切り替えました。『春雨』(『必殺スペシャル・春 勢ぞろい仕事人! 春雨じゃ、悪人退治』[’90年])……は、まだ早かったかな?『大老殺し』(『必殺仕事人ワイド 大老殺し 下田港の殺し技珍プレー好プレー』[’87年)はまだフィルムで撮っていたと思います。
でも『必殺仕事人・激突!』(’91年)がテレビシリーズで復活するじゃないですか。あれはもう完全にVTRで撮って、毎回何百万円かかけてキネコにしたって言ってました。それは、ABC(朝日放送)の有名な広報の人が愚痴ってたんで憶えてます。「無駄なんだよ! 前だったらフィルムだけで撮って終わりだったのに、変換するだけで何百万もかかるんだ」って。
編注:『必殺』シリーズのデジタル撮影への移行時期は、完全に正確なところを取材できておりません。どなたかお詳しい方にご教示いただけますと幸いかと。ひょっとしたら『激突!』もフィルム撮りの逆デジタル化かもしれません
鈴峰:それって、どの段階でキネコ変換するんですか? 粗編(ラッシュ)みたいなことが終わったところでですか?
岩佐:あ、いやいや、完パケになってからです。
鈴峰:そっか! 素材から全部変換していたらもっとお金がかかりますよね。
岩佐:そうです。だけど、VTR撮りなんで素材は全部消しちゃうんですよ。それはそれでもったいないなと思ったりね。まぁ、あの時代はフィルムもジャンクしてたからあんまり変わらないんですけどね。
鈴峰:でもちょっともったいないですね。
岩佐:今だったらほら、ディレクターズ・カットですよ。そんな発想もなく、全部消してしまったから。
鈴峰:あぁ、またお金になりますね、それ(笑)。NG集とかメイキングとか、ディレクターズ・カットとかいろんなことができただろうに……。それこそ今『必殺』のNG集なんか出てきたら、もうよだれ垂らして観たい方が大勢いるんじゃないですか?
岩佐:あぁ、たまらないでしょうね。NGカットフィルムなんか見つかったらもう大騒ぎですよね。基本的には『水戸黄門』もそうですし、『はぐれ刑事 純情派』(’88〜2009年)とかね、デジタルで撮って全部キネコにしてたんです。だからあの当時のキネコ屋さんは相当儲けたんじゃないですかね(笑)。
三田村邦彦さん主演作について
鈴峰:デジタルへの過渡期に製作された時代劇の思い出に話を戻します。その頃、土曜夜8時の枠で『暴れん坊将軍』(’78〜2002年)を放送していない期間は三田村邦彦さん主演作が埋めていたような感じだったと思うのですが。それもあって、私の中ではVTR時代劇の先駆けが三田村邦彦さんの作品というイメージなんです。
岩佐:コロッケさんとダブル主演みたいなのもありましたね。『将軍家光 忍び旅』※とかね。
鈴峰:そうですね。あの時代の、三田村さんの主演作は『忍び旅』だったり『殿さま風来坊隠れ旅』だったり、全部隠れたり旅してるのなんなんだろうと思ってて。なんでそんな隠れたいのかな? と疑問に思っているわけなんです。
岩佐:いややっぱりどこかね、印象というかイメージとして“秀”が残ってるんですよね。
鈴峰:飾り職人の秀ですね。秀を拭いきれなかったんですかね。
岩佐:どうしても残りますよ。ご本人の意向というよりは、周囲の期待ですよね。「やっぱり三田村さんがやるなら秀でしょ」っていうね。当たり役を持ってしまったがゆえの苦悩みたいなものでしょう。『必殺』もね、かつて沖雅也さんが棺桶の錠(※『必殺仕置人』[’73年]の登場人物)とかやりながら市松(※『必殺仕置屋稼業』[’75年])で出るなんてことがあったじゃないですか。そんなバカな!? どう見ても同一人物じゃないか、というアレね(笑)。
『西部警察』シリーズ(’79〜’84年)でも、舘ひろしさんが別人(鳩村英次刑事役)で再登場するみたいなことは昔のテレビはよくありました。だから別キャラの予定もあったんですよ。だけどまぁ、やっぱり秀が分かりやすいだろうと。今はそういう(緩さの)幅がなんとなく許されなくなってきた時代というか、ハマリ役があるとそれになっちゃうみたいですね。
だから藤田まことさんは本当に『はぐれ刑事』やったのは良かったと思いますね。
鈴峰:そうですね。藤田まことさんはすごいなと思うのが、現代劇でも当たり役を持っていて、時代劇でも当たり役を持っていて、歳を取っても当たり役を持っている。しかもそれが誰かの役を引き継いで演じているとかではないことが多いですよね。
岩佐:どれもゼロからの立ち上げですもんね。
鈴峰:『剣客商売』(’98〜2010年)は別の方がされていましたけど、それ以外はほぼオリジナルキャラクターですからね。それだけオリジナルキャラクターを立ち上げるというのは難しいということですよね。
“江戸固定侍”と“旅する侍”
岩佐:三田村さんが本人の意向とは別に秀を要求されてきたというのがあると思うんですね。もうひとつ面白いのが、例えば『はぐれ刑事』シリーズまでそれに倣ってて笑っちゃうんですけど。
鈴峰:ほう……?
岩佐:“東京固定刑事”や“江戸固定侍”がいたら、もう1本は“旅する侍”
鈴峰:んん???
岩佐:つまり、『はぐれ刑事』がいたら『さすらい刑事 旅情編』(’88〜’95年)※がいる、という。
鈴峰:ああ! そういうことですか!!(笑)
岩佐:『必殺』でいうと『必殺からくり人』(’76年)にしても『必殺仕舞人』(’81年)にしたって旅でしょ? だから、江戸モノ固定があって、もう1本走らせるラインがあったら、〝そいつらには旅をさせろ〟というのがあると思うんですよ。
これは私の持論なんですが、外れてないと思うんですよね。だからその慣習に倣って旅させられちゃったんだと思うんですよ。
鈴峰:『暴れん坊』が江戸にいるから、お前は旅に出ろ、みたいなことですか。
岩佐:そうです。さすがに『暴れん坊将軍』を旅させたらまずいでしょ。
鈴峰:確かに! 上様がしょっちゅう不在なのはまずいですからね。
岩佐:九州あたりで暗殺されたりしたら誰が検死に行くんだってことになっちゃいますから。その逆が『水戸黄門』ですよね。
鈴峰:なるほど。それ、たぶん当たってますよね? だから『水戸黄門』の合間に放送されていたのが『大岡越前』(’77〜’99年)とか『江戸を斬る』(’73〜’94年)とかの、いわゆる“江戸固定侍系”だったってことですよね。
岩佐:そう。長期シリーズの法則になったんですね。だから“かわいい子には〜”ならぬ、“三田村邦彦には旅をさせろ”になっちゃった。
鈴峰:それで『忍び旅』やら『隠れ旅』やら、やたら旅をしてたんですね。その法則は面白い!
岩佐:だって『さすらい刑事 旅情編』とか本来はおかしいでしょ(笑)。
鈴峰:『はぐれ刑事 純情派』と交代で放送されていたドラマですね。そうですよね。そんなにさすらわないですよね(笑)。
岩佐:「管轄変えろ」って話になっちゃいますからね。たぶん、実際そうなら署内で問題になると思いますよ。交通費とか出張費がかさむってことがね。
鈴峰:絶対そうなりますよね。そこの所轄の刑事に捜査させたらいいですもんね。
岩佐:せめて地元と連携するとかね。「新幹線代とかバカにならんぞ」みたいな、管理職の苦悩をちょっと感じちゃう(笑)。
鈴峰:その辺ドラマでは絶対映さないところですからね。これ面白いですね。こういう法則を見つけるとなんとなく嬉しいですよね。
岩佐:まぁね。でも『土曜ワイド劇場』もそうじゃないですか。〝すぐ電車に乗って旅させるから〟みたいなことを当時、TV雑誌の記者の間でよく言われてましたよ。そういえば『快刀! 夢一座七変化』(’96年)も三田村邦彦さん主演の旅ものでしたもんね。
鈴峰:そう考えると、ずっと旅をさせられていた三田村さんが今『おとな旅あるき旅』(2009年~)をやってらっしゃるの、めちゃくちゃ面白くないですか?
岩佐:ああ、もう究極になったんですねぇ(笑)。
鈴峰:究極ですよね(笑)。
岩佐:〝かわいい子には旅を〜〟と言いつつ、結局復活した『必殺』も秀でしたね。
鈴峰:『必殺まっしぐら!』(’86年)ですね。これも旅をしてましたよね? 本当にずーっと旅をしてる。気づいてしまいましたね。
岩佐「人の一生は旅に似ていると言いますが……」というナレーションが聞こえてきそうですね。(※『新 必殺からくり人 東海道五十三次殺し旅』[’77年]のOP.ナレーション)
鈴峰:それを体現したのが三田村さんだったんですね。でも、対談として落としどころが見つかってよかった〜〜!(笑)
岩佐陽一さん、ありがとうございました。次回もよろしくお願いします!