楽しい人生を送る為にはどうすればよいか自分なりに考える


僕の好きな漫画のセリフにこんなものがある。

チェンソーマン 著 藤本タツキ 出版社 集英社より

「この世でハッピーに生きるコツは
無知で馬鹿のまま生きる事」

これは見る人によっては「何も知らずに他人に騙されたまま生きる」という解釈が取れるが
僕はそういうことを言いたいのではない。

僕はこの言葉を「知る必要のない情報を取らず、見なくていいものから目を背ける」という風に捉えた。

先程この世をハッピーに生きるコツを言ったこのキャラクターは前に寿司を食べる際に仲間のキャラクターから雑学を教えられ、それに対して悲しくなっていた。

チェンソーマン 著 藤本タツキ 出版社 集英社より

これは単なるシリアスなギャグシーンにも見えるが
この世をハッピーに生きるコツを踏まえると別の意味が生まれてくる。
この魚の白身はほとんど全部同じ味という情報は知らないと困る情報なのだろうか?
そんなことはないはずだ。むしろ、知らない方が魚の白身を美味しく味わえただろう。
僕が言いたいのはその延長線上である。

例えば、今我々が触っているスマートフォン、PC、タブレットなどから主にアクセスするインターネットでは様々な情報が日々流れてくる。可愛い動物の写真や動画、子どもたちが楽しんでいる写真やテレビに放送された内容を記事にしたものなどさまざまだ。
しかし、インターネットに流れてくる情報はそれだけではない。
誰かの不祥事なども同時に現れ、それに対して正義を後ろ盾にした人間たちが滝のように流れてきてその人間に対して罵詈雑言を浴びせる。

僕が言いたいのは
「その不祥事をたまたま見ただけならまだしも、どうせ今後の人生関わらないであろう人物に無駄な時間を使う必要があるのか?」ということである。
何故自分と関わらないであろう人間に時間をかけれるのかが疑問ではあるが、そこは一度話を置くとして
「その不祥事などの情報は絶対に見ないと恥になるのか?」ということを問いたいのである。
娯楽関係は除くとしてテレビや新聞などは私たちの暮らす社会に影響を及ぼす必要があるのである程度は知っておかなければならないとは思うが
ネットに流れている情報は僕たち社会に何か影響を及ぼすものがどれだけあるのだろうか?

勿論、人様の炎上や不祥事などが大好きな人間が一定層いるのは知っている。
これは僕が常に考えていることなのだが、
誰かの悪口や愚痴、不祥事などに触れるみたいなネガティブなことを発信すればするほどその時の気持ちはスッキリするかもしれないが
その毒性はどんどん強くなる上に周りにもそのネガティヴが伝染していくので
それを逆手に取って今日あった良かったこと、出来たこと、成長を感じたこと、可愛い動物の動画を見るなどのとにかくポジティブなことを沢山言ったり実行すれば人生は楽しくなっていくし周りも次第にポジティブになる筈である。


コミカライズ版 追放されたチート付与魔術師は気ままなセカンドライフを謳歌する。 ~俺は武器だけじゃなく、あらゆるものに『強化ポイント』を付与できるし、俺の意思でいつでも効果を解除できるけど、残った人たち大丈夫?~より 著:業務用餅 原作:六志麻 あさ 出版社 講談社

そもそもの話、そんなことをしている人間の印象がよくなるのであろうか?僕の言っていることに該当する者は大抵の場合向こう側に非があるので正しいようには見えるが僕からすればやっていることは卑怯なことこの上ないと思っている。真っ向から直接批判する方がまだ素晴らしい精神を持ち合わせていると僕は思う。

まとめ

要するに僕が言いたいのは炎上ごとを見て何か言いたいことがあってもそれをグッと我慢してキャンプファイアーの動画を見た方が落ち着けれるし
悪口を言うと歯止めが効かなくなってどんどん酷くなっていくかもしれないから
言うとしても誰にも見えないところで言って
ハッピーなことに目を通してシェアハピをしないか?ということである。

以上。
コーカサスオオカブトの貴公子 三日月喪でした。
ハムスターってストレス高いと自分の子ども食うらしいですね


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