たまには自分の話を
かと言ってこの話に感想とか貰っても返事に困るのでフーンで済ませてください。
面白くはなく人によっては胸糞悪いと思いますすいません。
(ブログと同じ内容です)
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20240323
これまで恥ずかしかったのと、カッコつけてるとか、いい子ぶってるとか、その他マイナスな感情を持たれるのが怖くてはっきり言っていなかったけど、前からマイノリティや社会的弱者の支援に興味というか、助けなきゃ、という強迫観念に近いものを持っていて(自分が社会に認められたいという焦りとか、そうでなければ自分でも異常かもと思うところがあるのでちょっと病気かもしれない)、でもうまいやり方がわからなくて、欧米ではクリスマスにボランティアをするというのを聞けば、じゃあなんか毎年できるだけ一つ他人にいいことをしようと思って偶然会ったホームレスの方に夜食を渡したりとか、ちょっと募金をしてみたりとかしていたんだけど、数年前にたまたまテレビでアウトサイダーアート(美術教育を受けていない人が自発的に行うアート行動の総称だけれど、この度は障害者アートという意味で使う)を知って、私は一応(一応)美術学校の出身ではあるし、端の方でもこの活動の支援に関われないかと思って、なんかこれだ!と思って、その為にブランクある美術を学び直す必要を感じて、取っ掛かりとして最近美術検定などを受けており(とは言え現体制の美術検定を学ぶ意味も迷子になってきてはいるけどそれは置いておいて)それがきっかけでアート関係の記事や本をできるだけ読んだり、以前より幅広い展覧会に行く機会が増えたんだけど、現代アートは本当にマイノリティ(ジェンダーから国籍、障害や社会格差において)に焦点を当てたものが多くて、論考でも展覧会や、最近増えた芸術祭においてのバリアフリーに言及するものも頻繁に登場して、アートに深入りするほど世界的に見逃せないテーマになっている反面、絵を描いたり映画を観たりを趣味とし、たまには美術館に足を運ぶような、いわゆる趣味人的な立場の人たちの多くがそういった言わば最先端の筈の話題にいまだに疎く、それだけでなく排除の対象にしていることが、感情としても悲しいし、いくらなんでもアートの一端に触れる立場のくせに時代遅れすぎやしないか、という冷めた目線も持っていたりする。そんな人たちが絵の良し悪しとか、映像作品の良し悪しとか言ってるのがとても馬鹿馬鹿しく思ったりする。人の痛みがわからないのに何に触れて感じているのだろうか。ただ、自分が極端傾向にあったり、病的である自覚はあるので、自分が異常なのかもしれないという気持ちもある…。なんかこういうこと言ってると社会には色々な考え方あるからとかいうやついるけど、ただ弱い立場の人間を多数派が更に追い詰めるというのは、考え方の差とかではなく単に意地が悪いだけだしやめるべきだと思っている。
ちなみに私は自分が長年、難病指定の病気を患っているので、病気や障害、そして居場所のない方(ホームレスや難民など)に対して強い感情移入を持っていて、今はips細胞の研究募金に月1000円と、ビッグイシュー基金に月2000円寄付していて、たまに災害とかでショックうけたり、すごい困ってるから寄付してくださいみたいなツィートみると寝ぼけながらフラフラ募金してしまったりして一見いい話なんだけど実際お金全然ないから自慢とか褒められたいとか全然なくて自分でもダメだなんとかしなきゃなって思ってはいる。(あと本当にお金がないので明言した寄付も本気で暮らしが苦しくなったら多分やめちゃうすいません)でもその為には世界が良くならないといけない。世界が良くなったりちゃんとお金持ってるやつとか国とかがお金出していい感じの設備とか支援とかしてくれればいいだけの話なのだ。金持ってるやつは金を出せよ。儲けてるソシャゲの会社は有名人使ったCMとか作る前に社会支援したらいいよ。それがいいよ。(なんでやらないんだろうってずっと不思議)
ただこんなこといってるけど昔は本当に不遜な人間でピーク時にはがんばれないやつとか周りの助け必要としてる人間にボロクソに悪口言っていたのでその頃の自分をぶっ叩いてやりたい。最低だった。だから今バチが当たっている。