人生はサーフィンのように 1994年1月
:昨日とてつもなく悩んでいたことがあったのに、今朝はすっかり忘れていた。日記を読んで、こんなことで悩んでたんだ〜くらいになっていた。
今、「anan」を読んでいる途中。「20代後半から30代のキャリアを含めた生活設計」という感じの話がある。私もちょうどその時に来ている。
今お金もないのに、留学に近いことをしようとしているのだから、これまで全く計画性がなかったわけだ。その点では、この手のタイトルの内容は読んでおくべきなのだろう。
計画を立てようと思うのと同時に「そんなに綿密な計画を立てて、そのあとその通りにならなかったらどうするの?」とも考える。
計画から外れ、もしくは失敗したと感じるようなことが起きたら、私の性格からいってまず悩むはず。何故実現できなかったのだろう、どこが悪かったのだろうと。
これまで自分がやりたいと思ったことは、不思議だがほとんど叶えられてきた。これもひとえに両親や周りの援助のおかげだろう。
生活の設計のイメージはある程度立てて、あとは工夫しながら実現に近づくようにさせる、それが私のパターンなのかもしれない。
特にここ1年のことを振り返ると、周りに宣言したり、理想としてきたことは、実際に実現されている。これは全く信じられないようなことだ。
これを素直に受け止め、更に前に進むよう務めることは、周りの助けてくれた人たちの、見守ってくれている心のため、
そして、波の上のサーフィンのように、運と自分を波に乗せつづけるためなのだと思う。
後悔はしたくない。
: ここまでは回想。
ドイツに行く数ヶ月前、結構自分の状況や周りのサポート、自分の幸運さについて考えてたことに気づく。
今も、何かを始める前に「ど」がつくくらい用心して動かない時があるが、反面こんなふうに悶々と考えている期間があると、いざ何かを始めようとしたり、なにかオファーが来たりした時に、数秒考えるだけで即決できることが多い。
考える時間と、行動するのを決めるのは、相対性があるのかも。個人差はあっても。