60代の私のストーリー#2
ガラスの教会で結婚式が出来たかどうか・・・
それはもうちょっと先にして。
母は、私が20歳の時に亡くなったので父はもちろん、祖母や叔母たちが私の先行きを心配し、お見合いの話をたくさん持ってきてくれましたが、なかなか運命の人には会えず、もうこうなったら一生共にする伴侶を見つけるより一生もののお仕事を見つけた方が早いかもしれない、と思い始めました。
そこで見つけたのが大手広告代理店が関係する女子だけの新しい広告代理店。履歴書を送り、一次試験パス。次の筆記試験もパス。最後は面接でした。なかなか良い手ごたえだったので、ここでバリバリ仕事するぞ~~!と思ったのですが・・・
なんと不採用!!!(-_-;)
実は私、今までここで仕事したい!と思ったところはすべてご縁がありました。電話で問い合わせ、翌日面接に行き、その場で採用!そんな感じで思い通り進んでいたのです。なので、この不採用の知らせはちょっとショックでしたが、今思うとここで落ちたから今の私がある、と思えるのです。
一生ものの仕事をしよう!と意気込むも・・・またフリーターになる私。
そんな私の所に「西海岸の本」という旅の雑誌の取材及びライターのお仕事が舞い込みました。
23歳頃の時に「Fine」というサーファー雑誌の編集部でもバイトをしたことがあったのですが、その時は名古屋への出張も心細くて都内の仕事に変更してもらう、というヘタレ(若い!ともいう)でしたが、今回はそれから10年近くは経っていて、西海岸だろうがニューヨークだろうがヨーロッパだろうが世界中どこでも行ける!くらいの図太さ(大人になったともいう)を持ち合わせたので「西海岸の本」の取材に出かけました~~。
そこでストーリ#1→で登場していたLA.在住の友人から
「会わせたい人がいるのよ~~!」と言われ、会ったのが今のOttoです。
広いLA.での取材には運転手が必要なので、ボランティアで運転手してもらっちゃったというチャッカリな私。それっきりかと思われたのですが数か月後に日本に帰るのでその時に会って欲しいと言われ・・・その数か月後に結婚というなんともまあ、はずみ婚とでもいう結婚を決めたのです。
そしてもちろん!挙式はガラスの教会です。
またまた引き寄せ?ですね。
そして子どもは男女欲しいと思っていて、上が男の子下が女の子という、これも引き寄せ?
絵にかいたような4人家族となったのです。
が!!!!!
この先が私の人生でもっとも大変な、そしてもっとも辛い時に突入です。
今まで自分の思う通りの人生を歩んできた私だったのに。そして苦労という言葉とは無縁だった私だったのに。
おかしい・・・何故こうなるの・・
あ!そうか
子どもたちは実に良い子で、お兄ちゃんは優しくて妹想い、妹も兄を頼る可愛い子。そこまでは思っていなかったのでそんな引き寄せはなかったのです。
が~~ん!気づくのが遅かった(泣・笑)
次回はアメリカでの子育て。そしてかなり大変な反抗期のムスコとの戦いをまとめたいと思います。子どもが大変だと夫婦関係も大変になっちゃうのよね。。。
あ~~、私のバラ色だった人生に翳りが見えて来たのです。
#2にそこまで書こうと思ったけどやはり#3に続く
#3で完結しなそう(-_-;)