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コロナ休みが終わるのがこわい


 はじめましてこんにちは。オタク趣味を持つカウンセラーです。普段は教育や福祉関係の職場で子どもの発達支援をしています。

 コロナ禍で、生活が変わった人がほとんどの世の中。例にもれず自分も、仕事や生活のすごし方は一変しています。

 この状況で、さまざまな自粛を求められ経済活動も滞り、危機的状況にある人が多くいるのは承知の上で、大変申しわけないのですが今思うことがあります。


この期間がいつか終わることがこわい。すごいストレス。


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自宅待機は全然苦じゃない、でも


 前述の通り、自分の生活も変わっています。具体的には、

・仕事がへった=収入もへった
・楽しみにしていたイベントがのきなみ中止または延期
・実家への帰省予定がキャンセル
・癒しの旅行予定もキャンセル

 などなど。

 また、仕事が仕事なので職場に出勤する日もありますが、週に何日かは自宅勤務です。事業そのものが中止になった案件もあるので、自宅ですごす時間はとても増えました。

 ただその一方で、自分は引きこもりエンジョイ勢でもあるので、自宅待機そのものには大きなストレスを感じていません。積んでる本もゲームも、見たいアニメもドラマも映画もたんまりあるし、なんならコミケ中止で打撃を受けている印刷所さん支援で同人誌の原稿やりはじめるので、家でヒマと思うことがない。オタク万歳。(もちろんそうでないオタクさんもいます)

 もちろんイベントの空気は恋しい。推しの舞台やライブ行きたい。作品制作が滞っている現場は企業さんやスタッフさんの生活も心配。気軽に買い物も行けないしマスクしてないと周りの目が気になるし、日常の中でうっすらとしたストレスは感じています。
 そう、制限によるストレスや不安は感じている。でも家にいる時間は増えたし好きなことしてるし、実はこの生活そんなに悪くない。


 でもなんか、顎関節症(ストレスによる持病)ひどくなってる気がする。
 頬の内側にめっちゃかみしめ跡ついてる。


 なんで?


 一応職業カウンセラーなので自己分析してみました。人のことを分析する前に、自分のことを理解するのも仕事の一環です。



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自己分析してみた結果


 たしかに推しの舞台やイベントなど、楽しみにしていたことがなくなってしまうことはつらい。がんばって生きるための目的がなくなってしまった。だが哀しいかな、それがないと生きていけないわけではない。

 依存先はいくつももっている方が健康でいられます。依存とは、ひとつのものに執着することではなく、自分を支える柱をもつことです。柱が一本しかなかったら、傾いたりくずれたりしやすいのは自明です。

 なので外に出るオタク活動が今できないことはそんなにしんどくない。他にやることあるし、いつかできるようになると思っているから。

 いつか。

 そう、いつかこの期間は終わるのです。

 でもいつ終わるかは誰にもわからない。

 確実に終わることだけはわかっているのに、いつになるかはわからない。


 この「いつか」が、自分にはストレスなのだ!

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見通しという名の区切り


 人は「いつ終わるかわからない」物事に対してはストレスを感じやすいです。それは、「どうなるかわからない」「その後の対処がとれない」ことへの不安があるからです。

 この見通しが立たないことへの不安は、人によって感じ方がかなり違います。まあいいか、と気軽に取れる人もいれば、不安すぎて何もできなくなる人もいます。発達障害傾向の方はこの不安を強く感じやすく、パニックを起こす方もいますし(全然ない人もいます)、うつなどのメンタル不調を経験した方も感じやすい人は一定数いると言われています。

 自分はというと、そこそこに自閉傾向があり、視覚優位で、初めての場面では予定が確認できた方が安心します。

 むかしから、RPGやるにも攻略本読み込んでマップ確認して、レベル上げまくってから次のダンジョン行ってました。アクションRPGみたいに敵がうじゃうじゃ襲ってくるゲームとかほんとむり。パニック起こして誤動作してよくしぬ。アイテム拾い忘れあったらやだし。でも壮大なストーリーを体感したいからやりたいのだ…それは本や映像を見るだけでは得られない体験だから…。

 そんなわけで、見通しが立たないことは好きではないです。とはいえ、何もかもに不安やパニックを起こしているわけではありません。旅行行くときはざっくりとした計画しか立てないし、「何が起こるかわからないワクワク感」を楽しむことができるようにもなっています。



楽園の終焉、そして悲哀


 自分はこの生活が存外悪いものだとは思っていません。でもいつ終わりが来るかははっきりしていない。つまり、ただ見通しが立たないことがストレスなのではなく、「自分にとって都合のいいこの生活が、いつか終わってしまう(ストレスその1)が、いつかはわからない(ストレスその2)」ことがストレスだったのです。

 ストレッサー(ストレス要因)2つもあるやんけ。そりゃしんどいわ。

 もちろん、この生活がずっと続くことが良いことではないことも理解しています。それは社会的にも、自分個人にとってもです。

 でも。

 でもそれでも!!

 あの地獄のような通勤電車には戻りたくないし、うちにいられる時間が長ければ長いほど、自分のこころの安寧は保たれるんだ…!!!!!!!


 出勤時になんど、「この電車状況がずっと続いてほしい…」と願ったことか。どうしても毎日都会に出勤しないといけない人ってほんとにそんなにいるの???????



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「夏休みの終わり」を感じとるということ


 この感覚は、「夏休みがもうすぐ終わる」と感じることに似ています。好きなことが好きなだけできる楽園のような日々、けれどいつかは終わり、その日はやがてすぐそこに迫っている…。終わらない楽園はなく、またそれは決して揺るがないのだと重々理解してはいるのです。終わってほしくない、でも終わりを受け入れるしかない。終わるからこそ、楽園は楽園として輝くのであり、来年の夏休み(もしくは次の休み)を心待ちにできるのです。

 夏休みが好きだった人は、このような感覚に覚えはないでしょうか。それは学校が好きでも嫌いでも感じうる、「これから失われるとわかっているものへの悲哀と寂寥」なのです。

 ちなみに自分は毎年夏になると少し長めの休みが取れるので、毎年この「夏休み終わりたくない症候群」とでもいうべき心情になって葛藤しています。1ヶ月もバカンスのとれる海外で、どう仕事に復帰できているのか謎でしかない。ちなみに、これは「仕事行きたくない症候群」とは厳密には異なると考えています。「家にいたい」と「仕事がいや」は焦点がまったくちがうからです。

 コロナ禍とはいえ、ゆとりができたこの生活リズムがまた窮屈であくせくとした日々に戻ってしまうこと、そしてそれがいつ来るのかわからないことが、今の自分にとって大きなストレスだったのです。



ストレスや葛藤とうまいこと付きあう


 ストレスを感じない生き方はありません。人は誰しもある程度のストレスを感じ、ストレスがあるからこそ行動でき、成長することができます。この先にとてつもなく攻略の面倒なボスがいるのはわかっているけれど、倒して進まなければ壮大なストーリーを知ることはできない。そしてその苦労を超えるからこそ、クリア時に大きなカタルシスを得る。
 ストレス負荷は、人生に必要なものでもあるのです。

 と、専門家っぽいことをいいつつ、こころの中は「おうちいたいよおぉおぉおぉぉぉぉ」です。ですが、社会的立場がありますし稼がないと生きていけないし推しに課金することもできないので、仕事には行かねばなりません。お金使うのは自己コントロール感が高まってすきだし。

(誤解のないようにお伝えしておきますが、自分は決して仕事が嫌いではありません。通勤とか大人同士の事情のアレコレとか、メインの仕事に伴うわずらわしさに嫌気がさすことは多々あります)


 この、「したいこととは違うけどやらねばならん」ことは、大人も子どもも大なり小なりあります。誰であれ、ストレスや葛藤とうまいこと付きあっていかねばならんのです。

 そのためのコツは、ストレスの原因を把握することと、葛藤している自分をなぐさめることだとおもっています。

 「これイヤなんだよねー」「イヤなのによくがんばってるねー」「がんばったごほうびあげようねー」とイヤイヤしている幼児の自分を、よしよししてあげるのです。

 自分の機嫌は自分で取るのが大人。

 子どもには大人がよしよししてあげましょう。小学校高学年以上の子には、その子の成長に応じてほどほどに。

 大人は、自分の機嫌を自分で取るための手段をたくさん選べます。今までやっていたことができなくなったとしても、現状でできるように工夫することはできます。手段をたくさん持って(知って)おくことが重要なのです。


 コロナ禍の心理的負担には、「再開に向けての変化」「変化への対処」も大いに含まれるな、と顎関節症のアゴをガクガクさせながら実感したのでした。
 コロナ禍において、つらい思いをされていたり危機的状況にあったりするすべての方が、一刻も早く安らかに過ごせる日がきますように。



あーーーーーーーーーーーずっとおうちいたいよぉおぉおぉおぉおぉぉぉぉぉ!!!!!!!!

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ご覧になってくださりありがとうございます。仕事のまじめな文を書くか、オタクのふざけた文を書くか、悩み続ける日々です。寝たら忘れます。