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コロナ禍に据え置きRPGでストレス緩和した話

 2020年の4月5月はどこにも出かけられず、ずっと家とスーパーを往復する日々。とはいえ従来の引きこもりオタク気質である自分は、外出自粛をものともせず自宅ライフをエンジョイしていました。積み本も録画も山ほどあって逆に大変。

 ところがある日、ふと降りてきた言葉があります。


 終わりのあるゲームがしたい。


 きっかけは、推しの出ているアプリゲームの、ゴールデンウイーク予定のイベント延期のお知らせでした。実装延期はスタッフさんの安全を考えれば何も文句はありません。でもそこでふと我に返ります。このゲームプレイはいつ終わるのか…?と。

  公式からの推しの定期的供給はありがたいけれども、次から次へとアップデートされ、終わりの見えないゲームをプレイするのに疲れてきてしまったのです。
 ただ、アプリゲームとはそういうものであるのは百も承知で始めているので、きっかけは他にもありました。近年はFFⅦとかゼルダとか聖剣3とか大神とか、かつて自分が青春をささげていたゲーム達のリメイクがいくつも出ていて、それをTwitterのタイムラインでよく見かけていたのです。


 …タイムラインにはあつ森(あつまれ  どうぶつの森)の話題もしょっちゅう見ましたけど、自分はどうぶつの森を一度も通ったことがないので話題を楽しむだけでした。というわけで今回はゲームの話ですがあつ森の話がメインではないです。


ゲームプレイは個人的な物語体験

 スーパーファミコンからプレイステーションに移ろいでいく時代に思春期を謳歌していた自分は、ゲームオタクの例にもれず上記に挙げたタイトルにドはまりし、学校から帰るとひたすら没頭していました。
 …実は当時から自分は目と手の供応が合いにくいタイプで、マリオカートでもコントローラーを持ちながら身体が曲がりたい方向にナナメになる人間でした。つまりゲームがド下手なのです。ノーマルマリオはまずクリボンに当たって死ぬか、ジャンプして溝にそのまま落ちる。スマブラは自分ひとりだけ、いつの間にか舞台から落っこちて消えている(システム的に帰ってくるけど)。それは現在もあんまり変わらず、アプリのリズムゲームもノーマルモードから先に進めません(そして飽きる)。

 コントローラー操作はドがつくほど下手ですが、ゲーム、特にRPGの物語性が大好きでした。世界観、キャラクター、美術、音楽、そしてなにより「自分が進めている」という体験。自分が世界を救うなんてゲームの中でしか体験できない。それはまさに、自分だけのナラティブ(物語的)な体験そのものなのです。同じゲームをプレイしていても、人によってストーリーやバトルの細かなちがいによって感じるものがまったく異なります。下手だからこそ、クリアした時の達成感が違うのもあるでしょう。ちなみに自分はボス戦を少しでも有利にするためレベル上げに必死だったので、雑魚敵の多いフィールドの音楽をよく記憶しがちです(そこにいる時間がめちゃくちゃ長い)。

 そんなふうにド下手ながらもがんばってプレイしていたゲームが、(そして世界観とカップリングにもドはまりして同人誌を読みあさってたあのゲームが、)最新ハードで美麗なグラフィックになって帰ってきた。これはやりたい。でも時間ないし据え置き型ゲームってハードを起動するまでがスマホゲームよりちょっと長くてーーーもにょもにょ。

 大学に入ってからPCゲームに移行し(当時は鍵と型月とニトロ)、社会人になってからはゲームそのものに触れる機会が激減してしまっていました。据え置きハードのゲームにしばらく触れていなかったせいで、手を出すハードルが上がってしまっていたのです。タイムラインの楽しそうにプレイしているスクショを横目で見ながら、楽しそうだなーやりたいなーでもなー、と尻込みして、ほかのお手軽コンテンツに時間を消費していました。

 ところが、です。

 家にいてヒマになることのない自分が、やろうと思えばいくらでもやることがある自分が、唐突に「終わりのあるゲームがしたい」と思ってしまった。

 たぶん、自宅生活をエンジョイしているとは言いつつ、ストレスがたまっていたのだろうとおもいます。その辺のストレスのくわしい内容については前回のnoteに書いたのでよかったら読んでください。


思い立ったが吉日

 よっしゃリメイクやろうとしまい込んであったハードをさっそく探しました。引っ越ししてから、どうせ最近ゲームやらないしな、と押入れの奥に眠っていたのを引っ張り出したのです。それがこれ。

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うちにあったのはPS3だった。


 ちなみにリメイクタイトルの数々は2020年6月現在最新ハードのPS4です。互換性は当たり前だがない。前の機種なんだからあるわけがない。
 しかもこのご時世でみんなゲームし始めたようで、PS4もswitchもどこにも売ってませんでした。switch+あつ森のセット販売の抽選倍率20倍ってマジか。当たる気がしない。じゃあリメイクゲームできないじゃーん!!


 そして自分は考えました。


 ハードがなければ、持ってるハードのおもしろいゲームをやればいいじゃない。



 というわけで近所のゲームショップでゲットしてきたゲームがこちら。

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 なんでニーアレプリカントにしたかというと、今年10周年でいろいろやってたのをタイムラインで見かけていたのと、フォロイーさんがめちゃくちゃ推してたからです。つまりTwitterの影響です。もともと世界観が好みだなと気にはなってました。
 レプリカントもリメイクが発表されましたけど、まあまずはPS3版やっとこうかな、と。廉価版あったし。

 そして意気揚々と始めたのですが、まー死ぬ。すぐ死ぬ。
 勢いで買っちゃったけど、ゲームド下手人間が十数年ぶりにプレイするのに安易に手を出す内容じゃなかった。ちなみに内容はアクションRPGです。公式サイトはこちら

 …そういえばヴァルキリープロファイルも途中で挫折したな…(そんなレベル)。


「操作感」はストレスを緩和する

 ちょっとずつ操作になれてきて、人に手伝ってもらいながらなんだかんだと進めています。評判どおりストーリーは重いけど興味深い。そして音楽がめちゃくちゃ良い。久しぶりにゲームサントラDLしたくらい良い。オーケストラコンサートやるのもうなずける。ホールで聴きたい。
 また、メインストーリーのほかにサブクエストがあって、これがとても楽しい。ゼンマイ採取したり羊肉を得るために狩りに行ったり、海でサメ釣ったり畑でスイカ育てたり。これに1日費やす日もしばしばです。「今日何してた?」と聞かれて「ゲームでひたすら狩りと採取と釣りしてた」とキラキラ笑顔で答えたら「あつ森?」って言われたけどあつ森ではない。この間「畑で花の交配するためにめっちゃ育ててる」って言ったら「それあつ森?」とも言われたけどあつ森ではない。

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 そんな感じで十数年ぶりのRPGをエンジョイしています。特にアクションRPGなので「自分で操作している=コントロール感が強い」です。人のストレスは、自分で状況をコントロールできないと感じるとより強くなるので(コロナ禍はまさにそう)、コントロール感の強いゲームプレイ体験はストレス緩和に最適だったんだとおもいます。自分はよくジャンプしそこねて穴に落ちるし、敵からの攻撃よけられなくてHP減らしてるけど。この辺は慣れてくるとできるようになるしレベルが上がればなんとでもなるので、自分の力量の向上が目に見えるのもモチベーションと自己肯定感を高める一因だとおもいます。
 そりゃ子どもははまるよね、学校の勉強が苦手なら余計に。

 あつ森がはやってるのも、コントロール感・あるいは選択性の高いゲームだからという側面もありそうです。社会や感染症は自分ひとりでどうにもできないけれど、島の中は自分の好きなように極められますもんね。やり込み要素いくらでもあるし。


こころを揺さぶる体験もストレスを緩和する

 また、それだけではなく、操作によってどのような感情体験をするのかもストレス緩和には大きく影響します。
 仕事でストレスマネジメントの話をするとき、自分はコーピング(ストレス対策、発散)で「感情が動くことをしましょう」と伝えます。「楽しい、うれしい」だけでなく、「かなしい」も含まれるので、「泣ける映画いいですよ」なんてことも言います。涙を流すこともストレス緩和になるのでより良いです。自分は最近ヴァイオレットエヴァーガーデンを一気見して号泣しました。映画楽しみ。
 ただ、「つらい」「怒り」などは、あくまで自分のコントロール下で動かすことが重要です。こうした感情にふり回されてしまう人は多い(けど自覚はしていない)ですし、個人の価値観に左右される「正しさ」を基準に表現されてしまうことも多いです。いきすぎた自粛監視や政治批判、誹謗中傷などがそうですね。ですので、意識的に感情を動かすなら「楽しい・かなしい」のほうが健康的だと個人的にはおもっています。

 自分が前評判を知りながらもニーアレプリカントを選んだのも、「こころを抉る体験がしたい」と考えたからにほかなりません。やーもう抉られる抉られる。一周目終わったところだけど展開に謎が残されすぎて二周目必至です。エミールめっちゃいい子…。カイネさんすき…。 ストーリーにこころは抉られてますがすげー楽しいです。

  感情が動くのってヒトにとって快感なんですよね。それは「楽しい・うれしい」のプラスの感情でも、「かなしい・つらい・怒り」のマイナスの感情でも同じです。


 そしてこうした行動が効果的なストレス緩和になるためには「自分で選んで行っている」という意識が重要です。つまり、自分でスタートボタンを押さないと始まらないゲームプレイは意識的で能動的な体験であり、コントロール感があって自己肯定感は高まるしなにより楽しい、という最高なあそびだなとおもったのでした。据え置ハードのRPGはストーリーの終わりがはっきりあるのも大きいです。



 ただ、このストレス対処法は心理的ストレスを一時的に緩和するものであり、現実問題に対する解決や根本的対処には至らないことを申し添えておきます。


 何事もほどほどに! 自分はやりすぎて頭痛起こして気持ち悪くなったよ!!


 あーーーーーーーー満員電車乗りたくないなーーーーーー!!!!!!!!





ご覧になってくださりありがとうございます。仕事のまじめな文を書くか、オタクのふざけた文を書くか、悩み続ける日々です。寝たら忘れます。