これから新生活が始まるきみに伝えたいこと
ついにこの日がきた。というか、きてしまったというか。
慣らし保育に登園したきみの泣き声を思い出し、母はいまちょっと動揺しながらコーヒーを飲んでいます。
3年前、きみのおねえちゃんのときと違うのは、親も多少はこの状況に慣れているということ。そして隣にはおねえちゃんがいて、そのお友だちみんなが鈴なりになって「Sちゃーん!」と迎えてくれたこと。
あったかいね、うれしいね。
あっという間にきみが帰ってくるまでのこの1時間を利用して、きみに伝えたいことを書き留めておくよ。
(↑3年前、上の子の慣らし保育時に書いたもの)
◆自分をひっこめないで◆
母も次女だから、「2番目」である自由も切なさも知ってるつもり。だから、なるべくおねえちゃんのときにしたことはきみにもしたいと思って過ごしてきたのだけど(イベントとかね)、「大人のなかに子ども1人」で育ってきた上の子と「すでに子どもがいるなかに後から入って育つ」きみとではそもそも環境が違うよなぁ、と改めて気づいた1年でした。
父と母、そして姉のやりとりをじーっと見つめる小さな瞳に出逢うたび、あぁ、きみはこうやって色々学ぶと同時に、家族のなかのポジションを探していくんだろうな、と思ったよ。
「下の子あるある」な、器用さや要領のよさを、きみもこれから身につけていくのかもしれない。でも、その過程で無意識に自分をひっこめないで欲しいな、と母は思うんだ。
「ああすると親は怒るんだな」「こうするとOKなんだな」と自分の言動を修正していくとき、こぼれ落ちていくもの。大人になってからそれを拾いにいくひとの、なんと多いことか。
もちろん、それだっていいのだけれど。ひとってタイミングがあるからね。でも、なるべくそのこぼれ落ちるものが少なくなるように、母もきみの隣で見守っていくつもり。
◆「できる」をアイデンティティにしないように◆
きみはもうすぐ1歳、4月生まれだね。いまはわからないと思うけど、ここ日本で4月生まれであることって、お得な部分と気をつけたい部分があるんだよ。
最初はたぶん、同級生よりできることも多いでしょう。それでいい目を見ることも。でもね、ずーっとそうではないかもしれないよ。
自分よりできなかった子に、抜かれていく。何かしらの分野で、そういう時期がいつかくるでしょう。
そのときはショックかもしれない。でも、そんなときほど思い出して欲しいんだ。
母や父や、祖父母や姉が、きみのことを大好きで大事なのは、きみが「何かができる」からじゃないんだよ。ただきみの存在、きみがいてくれるだけで満点なの。
「何かができること」をアイデンティティにしてしまわないように。何ができてもできなくても、それはきみの本質にはまったく関係ありません。
さて、ここまで書きながら、次女で4月生まれのきみに、次女で4月生まれの自分を投影しちゃってるなぁと母は大いに反省しました。現実を見るとき、ひとはどうしたって何かしらのフィルターをかけてみてしまうものだけど、なるべくそのフィルターを透明に近づけたい。そして、投影した自分ではなく、きみ自身というひとを見つめながら、これからの毎日を過ごしていきたいと思っています。
さぁ、あっという間に、きみをお迎えにいく時間です。初めての保育園、どうだったかな?少しは楽しめたかな?母ときみが帰る様子を見たら、ねーね(おねえちゃん)も一緒に帰りたいって、言うかもしれないね。