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青春が終わり、そしてはじまる
海外ドラマ"How I met your mother" を知ったのは、NYにいた頃、もう8-9年前のことだ。いわゆるシットコムが苦手で、王道"FRIENDS"もハマれなかったわたしだが、マンハッタンに住む5人の男女が織りなすあのドラマはかなりのめり込んで観ていた。
わかりやすい英語、主人公たちと同年代であること、恋愛ネタが中心でありながら、笑えるやりとり...。なまじ、同じマンハッタンに住んでいたこともあって、わたしもあんな仲間に入れたらいいのに、と何処かで憧れていた節もある。
◇◇◇
日本のNetflixでは観れないこの作品に、久しぶりに接したのは2018年の秋。ひとりでNZを旅していたときのことだ。しとしと降り始めた雨のなか出かけるのが億劫になり、UBER Eatsでタイ料理を頼み、Netflixのアプリを立ち上げると懐かしいあの5人の顔がおすすめに上がってくるではないか。
−NZにいるから、観れるようになってるのかな。
(↑国ごとに配信コンテンツが違うのでこういうことがあります)
シーズン9まで続いたこのドラマの、終わりかたは知っていた。だって、ファンサイトで賛否両論−おもに「否」だったと思うが−巻き起こっていたから。
−せっかくだから、観てみるか。
軽い気持ちで観たことのなかったシーズンを再生し始め、わたしはそのまま画面に釘付けになった。
20代から30歳そこそこだったテッドとマーシャル、リリー、バーニー、ロビンが、数年ぶん、歳を重ねてそこにいた。わたしのように。誰と誰がくっついて、別れて、夢や目標はあるけど、そこに向かう途上で...。そんなことに明け暮れていた彼らが30代後半から40代になり、子どもを持ち、あのバーニーでさえ、数年前なら確実に口説いていたであろう若い女の子たちに、父親目線で注意する。
胸がキュッと苦しくなり、なぜか泣きそうになり、そしてわたしは全身で悟った。
−あぁ、わたし、青春が終わったんだ。
そして納得した。このNZでの旅で感じていた違和感を。ひとり旅ならいつだって感じていた「解放感」、結婚していたってどこかで「声をかけられる」ことを前提に神経を研ぎ澄ませながら歩いていたあの感覚、それらがすべてなくなっていたのだ。何よりこんな雨だって、以前なら迷わず街に出ていただろう。
11ヶ月の子どもをおいてやってきたひとり旅だった。どうしても来たくて、家族を巻き込んで。それなのに自分の心の半分以上はまだ家にあった。
−あぁ、わたし、青春が終わったんだ。
10代の青春じゃない、もっとリアルで、もっと痛々しい、そしてもっともっと楽しいわたしの青春は、20代後半から30代初めにかけてだったのだ。"How I met your mother"のみんなのように。
子どもを産んで変わるひとたちが嫌だった。あれもできない、これもできないと言うひとたち。どこか弛緩したひとたち。そんな自分になりたくなくて、自然と変わっていくことにすら抵抗していたのだとそのとき気づいた。
そして同時に、あるひとたちから言われた言葉も思い出していた。
いま思えば、子どもが小さかった頃って、家族としての青春というか。あんなに家族が一緒にいて、何でも初めてで...。どうしてあのときをもっと楽しまなかったんだろう、っていまになって思う。
子どもが小さい頃って、青春みたいなんだよ。好きなひとがいて、夢があって、楽しくて苦しくて。数年で終わってしまうのも一緒。だから大事にして欲しいなって思うんだけどね。
まったく違う場所で、まったく違うひとから出た言葉で、けれど同じように「青春」とひと括りにされたこの時間を、わたしはこれから生きるのだ。
青春が終わり、そしてまた始まる。その夜、雨のオークランドで、大きなベッドの真っ白いシーツにくるまりながら、かみしめて眠った。
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