昨日、わたしは偉業を成し遂げた
帰省先から戻った翌日のことだ。父からやや長めのLINEが届いた。
いわく、「子どもたちがいても、自分がやらなくちゃと思うこと、いまできることを少ししてみよう」「人生1度きりだからな、まだ40歳と思うか、もう40歳と思うか、自分次第だな。情熱を燃やして、何かをやるときは絶対にやってやると思って、決断と実行。前へ前へ...」etc, etc....
パッションのひとである父からわたしへの、エールというか激励というか、であった。
◇◇◇
情熱。
エネルギー。
絶対にやってやる。
決断と実行、前へ前へ。
そりゃあ確かに、そうだ。でも、あぁ、わたしのコンプレックスってここからきてるんだなと思った。
どちらかというと父に似ていた(気性や性格から、スポーツが得意なことまで)幼少期から、わたしは同じような言葉をかけられて育った。父の思うような結果が出なかったり、努力が足りていないとみなされると、それを指摘されながら。
「お父さんは美香にはもっとがんばれ、もっとがんばれって言うんだから。褒めたことないよ」。あるとき母が言うのを聞いて、そうかな、と当時のわたしは思った。わからなかったのだ、それがわたしと父にとっての"普通"だったから。
LINEを見て心がざわついたのは、その頃の名残だろうか。父に発破をかけられながら育った、小さなわたしの名残。
ざわざわが収まったその後、冷静に思ったのは、父は昔からわたしに自分を投影していたんだな、ということだ。わたしに「もっとがんばれ」と言いたくなるのは、父が自分自身に「もっとがんばれ」と言いたいだけなんだ。
父本人には有効なアドバイスも、わたしには響かなかったことも、わからなかったんだろうなぁ。目の前のわたしを見ているというより、彼は自分自身を見ていたから。
−でも、昔はわたしもそのへんがわからなかった。境界線が引けてなかったし、できない自分がダメなんだと思ってた。
当たり障りなく返信するか、それとも言いたいことを言うか、少し迷って、LINEを返す。
"ありがとう、おかげさまでもう40歳とか思ってないよ。いまはスローダウンしてるけど、やりたいことも色々あるし"
"てか、お父さん、昔からわたしに「もっとがんばれ」って言い過ぎ"
素の自分から出た言葉を父に投げるのは、わたしにとっては難易度が高いことだ。少し緊張しながら待っていると、父からひとこと。
"今で充分だよ。ごめんね"
へー、と思った。へー、お父さん、そんな返しできるんだ。
子どもと遊びながら、1日中、じわじわとそのひとことが身体に染みた。
−わたしずっと、そんなふうに言われたかったんだな。
素の自分から出た言葉を、父に伝える。
そして、そのことに関して、いままでにない反応を得る。
わたし以外は誰も知らない。
わたし以外はその価値を知らない。
けれど、昨日、わたしは確かに偉業を成し遂げた。
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