欲望と欲情と情熱と欠乏と

かおりちゃん、久しぶり!コンクール(だよね?)お疲れさま!決勝に残ったなんて、まぁ、素晴らしいこと!着々と前に進むかおりちゃんをみてると感動するとともにこちらも身が引き締まる思いです...って、緩んでたんだけど。GW中、完全に緩んでたんだけど。

昔、NYで語学学校に行ってたとき、クラスメートたちと「恋人関係になるとき、何を相手に求める?」みたいなディスカッションをしたことを思い出しちゃった。ブラジル、スペイン、韓国、日本、ベルギー...いろんな国の子がいてそれぞれ「性格」「趣味が合うかどうか」みたいな無難なことを言ってたんだけどさ、フランス人の男の子だけ真剣に「体の相性」って答えてね。「クラスでこんなこと言うのもなんだけど...セックスの相性がよくなきゃ関係が続かない」「No, never...」って首振りながら真剣に言ってて、先生もみんなも「う、うん」みたいな反応しかできなかった。笑

その後、日本でもフランス人、イタリア人、そしてそのパートナーたちからは同じような話を聞いたなぁ。スペイン系とアルゼンチン人の友人はいないので何とも言えないけど、わたしのなかではざっくり「ラテン系のセックス観てこんな感じなの?」と(まぁ、ステレオタイプなのだろうけど)思ってしまっています。

つらつら考えていて思ったんだけどさー、情熱ってある種の欠乏感からしか生まれない気がしない?もっともっと、みたいな気持ちって満たされてたら生まれないし、いつまでも欠乏感を感じる分野–自分の理想とは違う!みたいな感覚も然り、この人/この世界/この○○をもっと知りたい、みたいな感覚もまた然り−がそのひとの才能ある場所なのかなと思ったよ。

もしかしたら「認められたい」「褒められたい」が原動力になるのも一緒なのかも。欠乏感。

ずっとそんなネガティブエンジンで走り続けるのってつらいけどさー、パワーとしては強力なだけにそれが何かの拍子でなくなると「あれ?止まっちゃった」「やる気ぜんぜん出ないんですけど」みたいに感じるよね。欲しかったものが手に入って、しあわせで満たされて...そしたらもうその場で味わうしかないじゃん。何も前に進まなくてもいいじゃん、て無意識で思うのかなぁ。

ちなみにわたしの場合は「(この状態)もう飽きたわー」っていうのが唯一、そこから出るきっかけになるのだけどね。「よし自分は満たされた、これからは誰かのために」みたいな立派な動機じゃなくてね。

「Deseoが欲しい」ってMarianoくんの気持ち、わたしわかるなぁ。好きなひとには求められたいじゃん(あ、でも書いていて思ったけど、これも純粋な欲望というより「承認欲求」な気がしてきた)。

しかし、こんな風にいろいろ頭で考えだすと、「情熱」から遠ざかる気がしないでもない。あーだこーだと内省するのが趣味なわたしたちの気をつけなきゃいけないとこだよねぇ。

「好きなことをして生きる」の「好きなこと」って、何もキラキラしてるものだけじゃなかったりするから、自分でも混乱しちゃう。それに毎日、生活してるだけでいろんな邪念くっついてくるし...。

あぁ、こちらも道半ばであります。。

P.S. ちなみに数年前、どこかの新聞でセックスレスに悩むカップルたちの話を結構がっつり取材して連載記事にしてていね。長年レスに悩む夫が妻に宛てた手紙のなかで「セックスも食事と同じ。今度はあれが食べたいね、こんなお店に行きたいね、っていうのと同じように話し合いたい」って書いていて、めちゃめちゃ素直にさらけ出していて感動したことがあるよ...。

#日記 #手紙  


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Mika Sudo
Thank you for reading!