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ヴァルネラビリティについて~とある着物やさんでの話

この記事は、2024年1月26日(金)に配信されたポッドキャスト番組"mikaのinner journey"のスクリプトをもとにしています。同じ内容を音声で聴きたい方は、こちらからどうぞ↓

(Apple PodcastやSporifyでもお聴きいただけます)



"ヴァルネラビリティ"という単語、みなさん、ご存知でしょうか。

この番組でも過去にご紹介したことがあるかと思うのですが、アメリカの研究者であるブレネー・ブラウンが、彼女を一躍有名にしたTEDトークの第2弾で触れていて、かつ、彼女の著書でも常にテーマになっているのがこの"ヴァルネラビリティ"です。

日本語にするのが難しい言葉だなといつも思うのですが、「すごく心もとない感じ」とか「傷つきやすい無防備な状態」に近いかな、と私は思っています。

ブレネーの本の中では、「不確実性、リスク、生身を晒すこと」と、挙げています。どんなときにヴァルネラブルに感じるかと言うと、人それぞれではありますが、例えば、彼女が例のひとつに挙げているのは、"Say I love you first"。相手も愛を返してくれるかわからないけれども、自分から愛を伝える。これってすごく、勇気がいる、ヴァルネラブルになりますよね。

あとはたとえば、自分の子どもがスポーツでなかなかうまくプレイできなくて、チームでも肩身が狭い思いをしている。親としてその姿を見るのは正直つらくて、やめてしまいなさいと言いたくなるけれども、本人ががんばりたいからと言って練習に向かうその姿を見送るとき、とか。

仕事でずっと献身的にがんばってくれていた部下に、それでも、その人が提案してくれていた案を今回は採用できないと伝えるとき、とか。

なんとなくイメージが湧いたでしょうか。

つい先週、本当にひさしぶりに「ああ、今、自分はヴァルネラブルになってる」って感じた出来事があったので、今日はその話をしたいと思います。



とある年上の友人、私が尊敬するマダムに、先日、彼女御用達の着物やさんに連れていっていただいたときのことです。

我が家は今年、子どもたちが2人とも七五三で。若干無謀にも、わたしと姉がもう40年近く前に着た着物を、着せられるなら着せたいなと思っていたんですね。どちらの着物も、亡くなった母方の祖母がわざわざ用意してくれたもので、思い入れもあるので。

でも、古いものですし、保管も完璧ではなかったので、やっぱりシミとかがどちらの着物にもあって。これって、どうなんだろう、落ちるものなのかな?とか、落ちないんだったら、それはそれで、なにか他に方法があるのかな?って、思ったんですが、なんせ、私は、お着物に全然ご縁がなく生きてきたので、誰に何を訊けばいいかも、わからなかったんですね。

で、「あ、たぶん、マダムならよくお着物も着てるし、どうしたらいいかって教えてくれるだろうな」と思って、尋ねたら、彼女がよく行く着物やさんで、相談に乗ってくれるから、一緒に行きましょう、そのときお着物を持ってきてね、ってことになったんです。

で、あーよかった、って思ったんですが、実際、そのお店に行く前の晩くらいかな、なんかすごく自分が、緊張しているというか。緊張ともちょっと違って、本当にこう、「あぁ、ヴァルネラブルになってるな」って感じたんですね。

なんでだろう、なんでこんな感じてるんだろう、って自分の内側を、それこそインナージャーニーして思ったのは、「祖母、母、自分、3世代渡っての通信簿をつけられる」みたいな、感覚に陥っていたんです。

どういうことかというと、まず、その着物を買ってくれた祖母がいて、その着物を保管してくれていた母がいる。そして、今、娘たちに着せようと思っている私がいて。

私にとってはすごく思い入れのある着物ですけれども、当時、どれくらいのものだったのか。正直、うちの母方は、田舎の農家、それも豪農とかでは全然なくて、普通の農家で。贅沢なものとも縁がなかったし、買ってくれていた着物も、時を経て、着物やさんに持ち込むほどのものなのか?っていう、気後れ、恥ずかしい気持ちもあって。

加えてですよ、まだわたしの母世代は結婚の時に桐ダンスを買って、そこにお着物入れて嫁に行くみたいな感じだったみたいで、それら(桐ダンスやお着物)はあったんですが、もう、形だけというか。

母もお着物に詳しいわけではないし、お茶とかお華とかを習っていたわけでもないので、お着物に縁がなく、保管も大事にしてたとは思いますが、多分、行き届いてなかったと思うんです。

かつ、それを受け取ったわたしも、お着物をどう扱っていいかわからなくて、畳み方すらよくわかってない。

そんな状態で、一方、わたしを着物やさんに連れて行ってくださるマダムは、おばあちゃまから受け継いだ立派なお着物をたくさんお持ちで、ご自身もお茶を習ってらっしゃったり、雅な方なわけですよ。そんな方に連れて行っていただいて、この着物を出すのが、なんかもう、すごく、恥ずかしいというか、ヴァルネラブルな感じ。祖母、母、娘、の3代に渡っての何かを評価されるみたいな感覚に陥ってたから、あんな感じになってたんだな、と思いました。

変な劣等感みたいなものが、あったのでしょうね。

そこで、「やっぱり気後れしちゃうから行かない」と思って行くのをやめるのではなく、ヴァルネラブルに感じても、というか、感じているからこそ、そのまま進んだほうがいいとわかっていたので、実際、当日は着物を携えてお店に行ってきました。

結果としては、お店の方にも親身になっていただいて、シミが落とせるか、職人さんと相談してお見積もり出しますね、と言っていただいたので、ホッとしました。

通信簿って、出される前がいちばんドキドキしますよね。
出されたら、あとはもう野となれ山となれ。笑 まさにそんな感じでした。

気にかかっていたことが、1つ、解決されそうで肩の荷が降りましたね。

どうですか、みなさんは最近、ヴァルネラブルになったことはありますか?もし、あれば、ぜひ、教えてくださいね。

※ヴァルネラビリティについては、ピアレスゆかりさんのこちらの記事がわかりやすいと思います↓

#mikaのinnerjourney
#365日の気づき
#ヴァルネラビリティ

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Mika Sudo
Thank you for reading!