父の日
父は銀行員だった
長男としての責任感が強く、母親の喜ぶ顔が見たくて
子供の頃の成績は優秀、大学卒業後銀行へ入社した。
祖母にとって自慢の息子だっただろう。
私にとっては「厳しい父」この一言に尽きる
良い成績を取って良い会社に入って家庭を持って幸せになる事が
私に対しての望みだったのだろう。
親ってみんなそんなもんだけど
自分が三流大学卒業だった為に一流企業に入って苦労した事が
トラウマになっていたようだ。
門限と言えば20歳まで
「陽が暮れるまでに帰ってきたなさい」だった。
子供の頃は友達と遊びに行くことの出来ず
帰りが遅くなるからと高校も大学も好きな部活にも満足に出れず
あれダメこれダメの束縛された毎日で息が詰まりそうだった。
行きたい学校も反対され
勤めたかった会社も反対され
ただただ父のひいたレールの上を走る事しかできなかった。
結婚してからも、子供産んでからも
実家へ帰れば何かにつけ叱られる。
何歳になっても実家は居心地の悪い、息苦しい場所でしかなかった。
私が30代の頃
「厳しくしたのは、娘を束縛することが快感だった」と打ち明けられた。
そんな言葉聞きたくなかった。
気持ちのやり場がなかった。
高齢になってから持病や腰痛で外出も減った頃
コロナ禍になった。
それを言い訳に実家へ行く回数も減った。
そして何の親孝行も出来ないまま、
昨年夏他界した。
勉強が出来たわけでもなく
良い会社で出世するでもなく
結婚しても離婚するし
父の望む姿には何一つなれていない。
申し訳ない気持ちあるけど
正直言うと父が他界してやっと解放された気持ちだった。
「私って親不孝な娘だよね」と
24歳の息子にだけ、この気持ちを話した。
すると息子が
「ジィジがしてきた事をたくさん見てきてるから
ジィジが亡くなってホッとした気持ち僕にはわかるよ」
そう言ってくれた途端、涙が溢れて止まらなかった。
お葬式の時よりも泣いた。
今日改めて父の日だなぁ
もうプレゼントを渡すこともできないんだな
と思ったら、少し寂しい気もした。
年数がたてば、心の底から
「パパありがとう」って言える日が来るのかな。
もうすぐ一周忌の2023年、今はまだ
「パパごめんね、思い通りの娘になれなくて」
それしか言えない。。。