生活期のセラピストになろうと決めるまで…。
当時の私は本当に真っ暗の中にいた。勉強が私を支えてくれた。
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今月4月でST3年目になる。そして、老健STも3年目に突入した。
4月から介護予防事業で口腔ケア講座に挑戦したり、個別リハビリも参加・活動に焦点を当てて取り組んだり、集団リハビリももっといいものにしようと試行錯誤を繰り返している。
今でこそ、生活期セラピストとして楽しく取り組んでいるが、ここまで来るのに長い葛藤があった。辛くて辛くて…毎日泣いていたものだ。
その葛藤は「病院で働きたい。老健なんて・・・」というものだった。
最初の記事にも書いたが、新卒なら誰しもが考える「回復病院」のセラピストの1人になるはずだった。しかし老健に配属され、しかもSTは1人という「1人職場」という衝撃のスタートを飾った。
知識も技術もなく勉強会へ行くが、病院セラピストに見下され(てるように見えたのです)、担当の利用者さんは発症から○年レベルの方ばかり。
当時の気持ちを正直にいうと、すぐにでも辞めたかった。介護保険も興味ないからものすごくつまらない。本当につまらない。私は病院で働きたかった。なのになぜ老健なの?
それに、他の病院で働いてる・先輩STがいる同期に嫉妬して、自分はどうしてここにいるんだろうと毎日思っていた。
勉強会でも「老健」セラピストを名乗らずに、雇われた病院名を言ったり、あえて何も言わずにただ参加するだけの時もあった。仲間づくりをするどころか孤独に一人さみしく勉強会に参加していた。
いつの間にか勉強会が心の拠り所になっていた。つまらない老健の仕事も、勉強会に来れば忘れられる。そんな日々を送っていた。
臨床実習でお世話になった先生にも連絡して勉強会を開いてもらったり、母校にも顔を出した。
私の周りは「バイタリティが凄い」と言うが本当は違う。
老健STである事を忘れたかった。がむしゃらに勉強してすぐにでも辞めたかったから。
こんな気持ちが何か月も何か月も続く。でも徐々にこの蔑んだ気持ちがどんどん楽しさに変わっていく。そのきっかけを作ったのは…。
次回へ続く。
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