曖昧を許せる人になりたい
親しい人によく言われることがある。
「両極端だね。」
そう、自分でもそう思う。
なんでも極端が好きなのだ。
たとえば小学校の登下校。
必ず、一番目か二番目に学校に着いていた。
まだ鍵が空いてない時にニコニコ着いていた。
と思ったら、
高校では遅刻魔で最後に来る不真面目学生だった。
間が苦手なのだ。(お笑いの間は好き🥸)
最初が最後どちらかを選ばないと、
気が済まない。変な性格だと自分でも思う。
なぜか分からないけど本当に依怙地だなと思う。
何に囚われてるのだろうか。
それを治したい。社会で生きてくにはそれを治さなければ生きにくいっていうのは十分わかってる。
でも、18年間治せなかったのだ。
先生にも納得いかないと反抗するし、わーわー叫ぶし、親に対して怒鳴るし、サイテーだ。
それで数々の人間関係を疲弊させてきた自負がある。
こだわり。職人気質。でも結果は伴ってない。
何者でもないのだ。SNSでフォロワー40万人くらいいれば許されるのかななんて思ったりする。
曖昧を許せないのだ。まだ子供だからなのかな。
“そういう時期”なのかな。
そうだ、音楽しよう。動こう。
ワーキングホリデー行こう。
キャッチボールしよう。
素振りをしよう。
笑おう、楽しもう。殺すより面白く。
では、また。