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作家支援とは、作家だけを支援するものではないと思う

 3月末から温めてきたアイデアが、やっと「ミジュツカ」の作品展示販売という形で動き出そうとしています。昨年八月からずっと考えてきた「作家の支援」活動が、やっとゴマ一粒くらいの形になろうとしています。

 だがしかし、依然として私の中では全く整理がつかずとっ散らかっています。ずっと「作家支援をしたい」「今までのコマーシャルギャラリーやレンタルギャラリー、イベントとは異なった形で何かをしたい」という思いはあるのですが、誰を支援対象とするのか、既存サービスではだめなのか、これ私の生活は成り立つの?、とずっといろいろな迷いがあります。

 また、作家支援をしたいと考えていく中で「仕事と表現活動を両立できるようにすることで、作家だけでなく様々な人々にとって余裕ある生活を送ることが可能になるのではないか?」と考えるようになり、作家支援そのものが私の中でどの程度のウェイトを占めているのかがよくわからなくなっています。

 ここ十年くらいで出てきた研究のなかに、貧困を多面的にとらえる、というものがありました。一般に貧困と言えば生活に十分なお金がない状態を指すと考えられがちですが、私としては「時間」や「人間関係」の乏しさも貧困としてとらえられるべきではないかと考えています。そんなことを考えながら論文を読み漁っていたら、同じように考えそのうえ研究されている方がいらっしゃいました。詳しくはリンクを張っておきますので、そちらをご覧ください。https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_detail_md/?lang=1&amode=MD100000&bibid=1654294

 私は、私が行う活動を通じて表現活動を行う人々が経済的に自立できるだけでなく、その表現活動を享受する側に立つ人々や、享受できる状況にはない人々の人生をも幸福なものにしたいと考えています。すべての人の余暇時間がもっと増えたら、もっと給料が増えたら、もっといろいろな人と関わり助け合うことができたら、社会問題のいくつかは解決できるんじゃないでしょうか。表現活動と労働を両立する芸術家モデルが確立され、表現活動を行わない人々にもこれが応用されれば、いいのになぁ~~~。いまこれ、酔った勢いで書いているんですが、シラフの時も同じ事を考えています。ここまで青臭い言葉で語ったりはしないけれど。

 このご時世、芸術は不要不急だ、芸術家を志す者が困窮しても自業自得だ、などとなかなかに冷遇され、そのたび芸術の側から反発が起こるという状況が何度も見受けられました。社会も芸術も慢心せず、互いの状況を改善する力を互いに持っているのだ、と互いをメシアと子羊とみなすような心でつながっていければなと思います。なんというか、芸術が「オマケ」とみなされてしまうような状況にもやもやするんですよね・・・。

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