忘れじの縁

忘れじの縁

【通達書】

二十歳を迎えた卯木海野(うつきうみの)へ通達する。
至急、どちらかを選び期限までに提出するように。

　リセット・コンティニュー

死の危機に瀕したとき、死の直前からコンティニューするか、人生そのものをリセットさせるかのどちらかを選択せよ。
この効果は一度だけ発揮されることとする。
なお、記載の要項以上の質問への回答は一切していない。

期限:20xx年○月△日

-海野side-

二十歳になったばかりの私は、人生における重大な選択をしなければならないらしい。手元にある通達書の文字が、私を急かしているようにさえ見えてきた。ふと、手元に影が落ちる。

「お疲れ～、課題見せてよ。」

いいよ、と気も漫ろになりながら、隣に座った友人に返事をする。どちらを選ぶか、なんて会話の話題になることは散々あったのに、いざ選択を目の前にすると混沌に突き落とされた感覚になる。

「とうとう海野にもそれ来たんだね、やっぱコンティニューにするの？」

巷ではコンティニュー選択者が多いそうだ。何でも、コンティニューすると記憶が残ったままだが、リセットするとこれまでのことを全て忘れてしまうらしい。

「コンティニューにしようと思ってるけど、通達書目の前にすると迷ってきたかも。」

海野が迷うなんて珍しいね、という言葉に顔をしかめていると、友人が思い付いたように口を開いた。

「そうだ、愛しの千景くんにでも相談してみたら？」

まるで名案かのように言う友人に呆れ半分だったが、千景に聞いてみるという考えは無かったため素直に頷いた。千景こと、御厨千景(みくりやちかげ)は私の恋人である。温和な性格で、協調性も持ち合わせている千景も、皆と同じようにコンティニューを選ぶのだろうと、当たり前かのようにそう思っていたが、確かに聞いてみないと分からないなと思い直した。意外と秀逸な友人の考えを聞いて、明日、千景に聞いてみようと思った。

-千景side-

「海野、おはよう！」
「おはよー千景。」

他愛もない話をしながら、大学への道を歩く。澄んだ空と、何もかもを照らすくらいの太陽の眩しさに、思わず、天気が良いねと呟いた。ふと、隣を一瞥すると、僕の恋人である海野は、上の空のようだ。

「海野、なんか元気無い？」

気難しそうな顔してる、と顔を覗き込むと、はっとした表情を浮かべる。顔を振って否定されるが、何かを隠していることは明確で、納得がいかない。このまま悩んでいても仕方ないと思ったのだろう、海野が話を切り出した。
リセット、コンティニュー……。海野が言葉を紡いでいくにつれてあることを思い出し、僕自身の顔も気難しくなっている気がした。

「千景ももうすぐ二十歳だから、どっちにするかは決めてる？」

　聞かれたくなかったことを聞かれ、言葉に詰まる。できれば内緒にさせて欲しい、と伝えると、疑念に満ちた顔をする海野。僕の顔が曇っていたのは、気のせいではなかったらしい。不意に、僕はさっき思い出した一枚の書類のことを、問いかける。

「通達書の他の書類？届いてないよ、千景には何か来たの？」

なんでもない、と偽って、眉を下げて困ったように笑うしかない僕に、理由を尋ねようと海野は口を開く。

「なんでそんなこと聞くの？なんで内緒に……」
「講義に間に合わなくなっちゃうよ、海野。急ごう。」

遮るように、これ以上聞くなとでも言うように、わざと言葉を被せる。そのまま手を引くと、海野も口を閉ざして着いてくるしかなかったようだった。澄んでいた空も、いつの間にか濁っているように感じた。

-海野side-

通達書を提出して数日経った今日も、私の心は落ち着くことを知らないようだ。友人たちと何気ない話をしていても、心の隅には千景の困った顔がこびりついて離れない。千景はどちらを選んだのだろうか。そんなことばかりを考えている私をおいて話を続ける友人たちを眺めていると、ふと、この前千景に聞くという名案を伝えてくれた友人がいないことに気付いた。

「コンティニューの書類出してくるからちょっと遅れるってさ。そういや、海野は提出したの？」
「うん、もう出した。めちゃくちゃ悩んじゃったよ、」

この期に及んで慎重になるような性格ではないことを知っている友人たちが笑ってくれるか不安だったが、杞憂だったようだ。友人たちがひとしきり笑い終えた頃、息を切らした友人が走ってきた。声をかける間もなく、神妙な面持ちで視線をぶつけた友人が、口を開く。

「千景くん、リセットにするらしい。今提出してきたら千景くんも提出しようとしてて、リセットなんて珍しいねって声が聞こえて、」

言葉の途中で、耳が塞がれていく感覚がした。リセットを選んだということは、私との記憶を無くしたいということなのだろうか。良好だと周囲からも思われていた私達の関係は、千景にとっては違ったのだろうか。私はいてもたってもいられず、その場をあとにした。

「千景！！！」

講堂へ向かう長い階段を一段飛ばしで駆け上がり、見知った後ろ姿へと叫ぶ。声は聞こえていたのか、歩みは止まったが、千景は私に背を向けたままだ。
はやる気持ちを抑えて、呼吸を整えながら千景へと近づく。

「リセット選んで提出したって、人づてに聞いた。本当なの……？」

こつこつと、私が階段を上る音だけが響く。
声が震えていることは、千景に悟られているかもしれない。それでも、尋ねずにはいられなかった。

「私のこと、忘れたくなっちゃった……？」

その刹那、息を飲む音が聞こえた。

「忘れたいわけが、」

言葉を発しながら、千景は振り返る。その勢いで、私の体が後ろへと傾く。
そこからは、時間がゆっくりと流れているようだった。
ここまで近付いていたことに驚いた千景の表情が、一気に焦りへと変化した。
海野、と名前を呼びながら手を伸ばす千景。その手を取ろうと、私も手を伸ばした。届きそうで届かない手に、千景は体ごと私の方へと飛び込み、助けようとしてくれる。
忘れたいわけがない、か。結局、リセットを選んだ理由は分からなかったが、同じ気持ちでいたことだけははっきりと知ることができ、少し安堵する。

「忘れないで、大好きだよ。」

私が最後に発した言葉は届いたか分からない。ただ、コンティニューとリセットが行われたことだけは確かで、二人がいたはずの階段は静寂に包まれた。

-千景side-

　僕は、御厨千景としての人生を終えた。リセットされる前の記憶は、まだ健在だ。リセットとコンティニューがされたこの世界で、僕だけが、千景として海野と過ごしていた記憶を持っている。あの時海野は、僕が海野を忘れてしまうと思っていたようだけど、本当に忘れてしまうのは、海野の方だ。なのに、忘れないで、大好き、なんて。
僕が一番、伝えたかった言葉だったんだけどな。

―数週間前

二十歳を迎えた僕の元に、一通の書類が届いた。封を開け、取り出してみると、通達書と書かれた文字が見える。世間ではどうやら、コンティニューをしようという人が多いそうだ。かくいう僕も、コンティニューを選ぶつもりである。わざわざ恋人と離ればなれになる未来を選ぶほど馬鹿ではない。
記入を済ませようとすると、封筒にもう一枚の紙が入っていることに気付いた。何か注意事項でも書いてあるのだろうか、そう呑気なことを考えながら書類を手に取る。それが、僕らの未来を奪うことになるとも知らずに。

【コンティニュー選択者増加によるリセット制度の改善】

　被験者:御厨千景

　同封した書類の通り、リセット・コンティニューを選択する制度において、選択の偏りが著しいため、改善を加える。
　改善の内容としては、被験者自身にリセット前の出来事は記憶されたままだが、被験者以外の者は被験者の記憶を失う。ただし、被験者の記憶を持つ者がコンティニューする際は、リセットによる記憶の喪失の効力が優先されることとなる。

被験者にリセットを選択させる。

　拒否権は一切無いものとし、この書面に記載された事項も含め全てを他言無用とする。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　(終)

※こちらの作品は、6月に行われたマルシェで出品させていただいたものになります。後日、物語の解説や私の思いなどを語ったnoteを投稿予定です。
良ければご覧になられてください。