7:夫と死別してから4年目の春に今想うこと
葬儀が終わり1週間ほどしてから私は仕事に復帰した。
当時の会社の厚意でリモートでできる事務仕事を用意してもらい、私は区の図書館にあるワークスペースで仕事をした。
仕事の合間に、仏教のコーナーに行き般若心経についての本を手に取った。彼に唱えたそのお経にどんな意味があるのかを知りたかった。
特定の宗教を持たない私は、「般若心経」という言葉くらいの知識しかなかった。
たくさんの本を手に取ったが、残念ながら全然捗らなかった。まず、ルビがふられていないと漢字が読めない。
図書館だったので専門的な分厚い本がたくさんあったが、私のような知識ゼロの人にも読める簡単なものはないだろうかと、本棚を見ていたら一冊だけ明らかに他とテイストの異なる黄色い本が目に入った。
雲黒斎さんの『あの世に聞いた この世の仕組み』だった。
ブログが書籍化されたその本は、とても読みやすくものすごい勢いで読んだ。
その中に「この世ツアーズ」という章があった。その章では、人生をあの世からこの世に観光に来た旅行に例えて、体をレンタカーに例えていた。
ご利用期間を寿命に例え、ご利用期間が終了するとそのまま廃車になるがドライバー(魂)が「死ぬ」なんてことは絶対にない。というような事が書いてあった。
この人は私が知りたいことをきっと知っている。やっぱり魂は死ぬことなんてないんだ。人は死ぬことなんてないんだ。
もう、「人は死なない」ことを知る、それ以外私が救われる道はないと思った。
調べると当時、渋谷で個人セッションをやっていた。迷わず一番早く予約できる日程で個人セッションを申し込んだ。
待ちに待ったセッションの日がすぐにやってきた。
今なら分かるが、私はめちゃくちゃ簡単に、そして自分が救われるために、「彼は自分で選んでこの34年の人生を設計し、その旅行を満喫したのでこの世の旅行を終えたんですよ。そして彼の魂は永遠です」という答えを求めていた。
誰かからそう言って欲しかった。
ところが、黒斎さんに言われたことは全く予想外のものだった。
黒斎さんは私から一通りのこれまでの経緯を聞くと、しばらく黙って、「その、この世ツアーズの章の例え話しに入る前に『これからするたとえ話は、おまえが「生まれてもいないし、死にもしない」ということが理解できるときまでの、話のレベルを下げたたとえ話、方便だからな。その先があることを忘れるなよ」と書いているのですが、それは覚えてますか?』と言った。
覚えていない。そんなことはいいから、彼は自分が望んだ通りの人生を生きた、そして魂はいつもここにいる、そう言ってくれと自分が求めた答えのみを望んだ。
黒斎さんは、紙に大きく1本の木を書いた。そしていくつも葉っぱを書いて「この葉っぱが旦那さん、この葉っぱはみゆさん。今旦那さんの葉っぱが木から落ちて土の上にある。だけど長い時間をかけて葉っぱは土に還ります。」というような話をした。
私はそれでもなお、「夫の魂」「夫の死」について質問を続けた。
「魂や、死、自分という前提が違うので、これ以上それについて話しをするのが難しい。」と言われた。
そして「人の死にいいも悪いもない。ただそれが起きた。それに人がいい悪いの判断を乗せている。」そう言った。
私は、夫の死が悪いこととは限らない。と言われたと解釈して胃が縮みあがったような痛みを覚えた。
「黒斎さんは奥さんが亡くなってもそう思えるんですか?」という言葉がどうしても飲み込めず、そう聞いてしまった。最悪だ。そんなことを聞いても何の意味もない。
「家族が死んだらもちろん、それは悲しいですよ。それは当然だと思います。だけど悲しみと苦しみをごちゃ混ぜにはしないです。ただただ悲しいですが、みゆさんのように苦しくはないのではないかと思います。」「読んでくださった黄色い本には続編があって、続編の緑の方をまずは読んでみてください。」と言われた。
全く求めていた解が得られず、私は目に見えて落胆したが、帰りの銀座線で続編の緑を買った。