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分岐点

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祖母が亡くなって、程なくして…。

見知らぬ若い女性を父親が連れてきました。
私は、その状況が呑み込めないまま、時間を共有することになります。

始めは二人の女性と対面する事となるのです。

ふくよかでとっても優しいお姉さん。
そのお姉さんのおうちは、魚屋さんでいつも新鮮な魚を持ってきてくれて、お寿司を握ってくれ、私とよく遊んでくれました。
正直、
『このお姉さんがお母さんなら良いのにな。』
と思ったほどです。
祖母の話をした時に本気で涙を流してくれる、そんな心の綺麗な方でした。
とにかく優しかったです。

もう一人の女性。
父親に気に入られるのに必死さが伝わる華奢なお姉さんでした。
子どもながらに、良くも悪くも普通のお姉さん。
言葉悪ければ、可も不可もない方。

ただ、自分に合わないなぁと思ってました。

そうです。父親はその女性二人を天秤にかけていたのでしょう。
私は、魚屋のお姉さんと一緒に居たいことを子どもながらに必死に伝えました。

ぴっかぴかの一年生になったばかりなのに、淀んだ気持ちのまま。
ランドセルは魚屋のお姉さんが入学前に買ってくれたので、本当に私にとっても思い入れのある女性でした。

大人になって分かることもたくさんあるのですが、その女性を選ぶことが私にとっての人生の大きな分岐点になったのです。

父親は、華奢なお姉さんを選んだのです。
魚屋のお姉さんとはさよならをしたのです。
その時に感じた絶望感が態度に出てしまっていたのでしょう。
その華奢なお姉さんは後に義母となるのです。

父親と一緒になるのに、親との対立。
勘当覚悟。
挨拶に行っても門前払い。
半ば、半分駆け落ちのような形で、結婚を決めたのです。

住んでいる家には、相手方の両親が毎日のように押しかけ、顔を合わさないように、鍵とカーテンを閉め、居留守。

私は毛布に包まり、ずっとひっそりと息をひそめました。
もう、その義母は私のことを邪魔者扱いです。

存在自体が必要とされていないそんな対応だったのです。
家に一緒に居ても空気同然、ご飯は一緒に食べられずにキッチンで一人で立ったまま。毎日、ご飯とみそ汁のみ。
ご飯を食べさせてもらっているだけ感謝しないといけないのですが、それを注意しない父親も、そして義母も、次第に私は嫌っていくのです。

『家に帰りたくない。』

次第にそう思うようになったのです。
家に居場所なんてもうなかったのです。

学校には朝6時に行き、遊具で遊んだりうさぎやニワトリのお世話をして、学校がおわればそのまま近所の神社に行き、神社のおじさんと夜まで話して帰る。
帰ったら、キッチンで食事をして、一番最後にお風呂に入って寝る。
そんな毎日でした。

毎日、毎晩聞こえる卑猥な音と声、寝る場所も離れていたのに。
子どもながらに、果たしてこの二人が子どもをまた作っても自分みたいになるのではないか?
さえ思っていました。いや、そうではないか。自分とは血がつながっていないおまけだと思っているのか。
まぁ、それは本人にしか分からないものであって、義母として私と接することはほぼなく、会話をした記憶すらないです。

自然と私も義母も拒絶をしていたのでしょうね。

そんな中、いやな気持がピークになり、学校からまっすぐ家に帰り、家の鍵とチェーンをかけ全部の鍵を閉めたのです。
誰も入れないように。
義母は事務だったので帰ってくるのは、夕方17:00頃。
鍵をがちゃがちゃする音が聞こえたのです。武者震いをするというか、恐怖だったのか覚えていません。
とっさに鍵を閉められるトイレに物音を出さないように鍵をかけて息をひそめたのです。

『パリーーーーン!!!!!!!』

ガラスの割れた音がしたのです。
ベランダに回り込めるマンションだったので、ベランダのガラスを割り、鍵を開け中へと入ってきたのです。
『あのクソガキ、殺してやる。』
の言葉と舌打ちをしながら、トイレに向かってくる足音。

その時に、恐怖はピークに達しましたが、息をひそめていると、硬貨で開けられる簡単な鍵だったため、すぐに開けられ、その目の前には包丁を持った義母がいたのです。

『生きてる価値のない子どもは死んで。私の子どもだとは今までもこれからも思うことはない。』

と吐き捨て、さすがに刺す勇気もなかったんでしょう。
包丁をしまって、ひたすら舌打ちをされるのです。
慌てて大切にしていたランドセルを背負って家を出たのでした。

学校に向かい、担任の先生の家に一晩泊めてもらったのです。
今ではだめみたいですが、当時はそういったことも緩かったのでしょう。
快く家に連れて帰ってもらいました。

家の詮索や状況なんて、恐怖で支配された子どもに聞いても無駄だと思ったのでしょう。
その夜は焼肉にフルーツポンチをふるまって頂いて、暖かい布団で眠りについたのを覚えています。
続く…

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