転機
※これはノンフィクションのお話です。
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翌朝、先生と一緒に学校に行くことになったのですが、
圧倒的に違う部分がありました。
『おはよう』
この言葉です。人として挨拶はとても大切ということは小さいころから教えられるものだと思うのですが、無言で過ごす日常の中で『おはよう』がプラスされるだけでこんなに一日の始まりへのモチベーションが違うのかと。
あと、朝ご飯に出してもらったみそ汁と卵焼き。
人間の精神安定剤のような、安定感と安心感。
痛感した瞬間でした。
学校が終わって、先生に促され先生と一緒に自宅に帰ることになるのですが…
義母の帰りを先生と待って、義母が帰ってきたのです。
自分は席を外したのですが、もう話し方がなんというか、おかしいんですよね。
言葉悪く表現すると母親ヅラをしてるというか。
そんなペテンに先生も騙されるわけもないと信じていたのですが、話が終わって帰る時に、
『すごいお前のことを考えてくれているお母さんなんだから、ちゃんと言うことを聞くように!』
と。その時からでしょうね。大人を信じることができなくなったのは。
言葉にはならない孤独感、喪失感、全てが一気に圧し掛かってきたというか。
先生が帰った後に、義母は舌打ちをして私に聞こえるように
『望まれずに生まれてきた子は誰も相手にしてくれない』
と。
ふーん、そういうことね。
そういう感覚なんだね。
徹底的に私は嫌いになってしまったのです。
助けもしない父親同様、家族ってこんなもんかと思うようになっていきました。
学校が休みの日は家には帰らず野宿したり、神社に泊めてもらったり、とにかく家には帰りませんでした。
そんな状況を知らない大人に
『家には帰らないの?帰りなさい』
って言われても響きません。
事情も知らない大人が、子どもがどう言ったって信じてくれないくせに。
そして、ある休みの日に父親が
『遊園地に行こう。』
と言うのです。
それも父親と二人で。そこまで好きでもなかったけど、嫌いでもなかったので付いて行ったのです。
車に1時間半ほど揺られたでしょうか?
人生初めての遊園地で少しわくわくしながら、向かうわけですが、
遊園地も遠いなと思い、少しひと眠りしてしまったのです。
車が停まって起こされました。
到着だと。
ん?ここはどこだろう?
建物のガラスの所全てに鉄柵がされていて、入り口はセキュリティーで鍵の掛かった建物。
遊園地ではないのは一目見て分かります。
何やら父親が中年のおじさんと話しをしています。
話が終わった頃に、そのおじさんに案内されて部屋に行くのですが、そこは遊園地でもなんでもなく、
児童相談所でした。
最初からこうなっていたのでしょう。
私の為を思ってこうしてくれたのか。それとも二人の時間を大切にしたいからなのか。
もう諦めましたよね。家族としての理想形は。
家に帰らない非行少年として、児童相談所に入れられたのです。
子どもの言うことを聞かぬまま。
大人嫌いが急加速して、私は荒んでいきました。
続く…