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生きる

今日は私の歴史を振り返るのは少し休憩します!
私が今、この時期になって毎年思うこと、考えることを書いていこうかなと思います。

皆さんは大切なものと聞いて、家族、友人、パートナー、ペット、会社って多くの大切なものがあると思います。

もちろん私にも大切なものはたくさんあります。
今の家族、そして会社、友人。
どの全ても私にとってはかけがえのない大切な人たちであり、なくてはなりません。

私の昔話を少しだけお聞きください。
私の書いた記事にもあるように私は施設で育ちました。
今になれば劣等感があるわけでもないのですが、年頃になるとやはり気になるんですよね。
小学6年生くらいでしたかね。
施設にいることが恥ずかしい、隠したいと思うようになったのは。

普通の家庭とは圧倒的に違うのが目の当たりになることによって、自分が特別に変な場所にいるんじゃないか?
と周りの目を気にするようになったのです。哀れみを己で感じると言いますか、可哀そうな子なんじゃないか?とか。

自分ではそう思っていても、案外周りは特別視なんてしている人って少ないんですよね。
口にしなかっただけなのかもしれませんが。
それが劣等感というものなのでしょうが、思春期の頃は過敏でしたね。

そんな自分にも友人ができ、ある程度仲良くするメンバーというものは固定されてくると思うんですけど、私にも仲良し6人組がいました。

休み時間のたびに集まってサッカーしたり、トイレに集まって好きな子の話したり、青春ですよね。

ちょっとした悪さもしましたよね。
けど、本当に揺るがない友人と言いますか、そういった関係が作れていたのじゃないかなと思います。
中学生に上がっても、仲良く過ごしていました。

中学校になると人間関係も少し変わってくるもんなんですよね。
特に、部活が始まるとそれが顕著に出ますよね。

小学校の頃からも仲良くしていた友人ももちろん仲良しなのですが、部活もクラスも分かれると少し関係が軽薄になるというか、絡みがなくなると言いますか。

けど、休みの日は小学校からの仲良しメンバーと遊ぶんですけどね!
特に仲良かったのが、翔太(仮名)だったんですけど。

翔太は野球部、私はサッカー部。
クラスは別々。
けど、馬が合うと言いますか、気が合うと言いますか。

今でいうマブダチと言うものですかね。
一緒に喧嘩したり、悪さしたり。
青春は翔太なしでは語れないほどの存在だったのです。

ニコイチで行動していて、時に喧嘩もしましたがお互いの存在を尊重できる関係だったのです。
それは中学校卒業まで、変わらなかったのです。

そんな時にそろそろ進路を考えないといけない時期に差し掛かったのです。
小さい町なので、高校は近隣に3つか4つ。
翔太は非常に頭も良く、スポーツも出来たので、進学校である高校を選んだのです。親御さんが医者と言うこともあり、周りからの期待とか目に見えないプレッシャーもあったと思うんですけどね。
最低限としてその進学校へ行くのは彼の責務だったのかもしれません。
私は、学力こそ進学校に全然到達はしていたのですが、内申点が非常に悪く、進学校へは難しいと担任から言われ、やむなく近場の工業高校へ進学することになったのです。

高校が離れ離れになると一緒に過ごす時間も格段と減っていくわけで、私と翔太の関係も徐々に変わっていったのです。

私はサッカーをやめ、別のスポーツを高校で始め、部活に打ち込みました。
学業も工業高校と言うこともあり、資格を多く取得しました。
私にとっての高校生活は順風満帆と言っても良いものでした。
翔太は、たまにメールでやりとりをして部活が休みの日は一緒に遊ぶ仲でした。

その時に私が翔太の異変を感じ取っていれば、問題なかったと今でも思うのです。

翔太は高校2年になって、ほどなくして高校を退学したのです。
悪いことをしたわけでもなく、自主退学とだけ聞き、心配になった私は翔太の家へ行きました。

顔色一つ変えることなく、笑顔で
『やりたいことが見つかった。』
と翔太は言うのです。
具体的にやりたいことが今できるものではないから、今は準備期間としてその専門知識を手に入れたいから高校を辞めたというのです。

まだ私はその時に翔太の変化に気づけなかったのです。

程なくして、友人から回ってくる話。
『翔太が暴走族に入った。変な薬をしているから関わらない方が良い。』と。
私は思わず、それを口にした友人を殴ってしまいました。
なぜ、止めないのか、なぜ、やめさせようと話をしないのか。

私には疑問しか残らず、その気持ちが徐々に怒りへと変わっていたのです。
楽しい時間は共有するのに、面倒なことに巻き込まれそうになると、すぐに排除したがる。
それが本当の仲間というものなのかと。

私は部活を休み、翔太の家へ行きました。
15:00を過ぎているというのにも関わらず寝ているのです。
たたき起こし、翔太をぶん殴りました。
お前のやりたかったことはこれか?と。

友人として悲しくなったと同時に、翔太をいち早くその世界から抜け出させようと。彼もそんな私の気持ちを理解してくれたのか、更正を約束してくれました。
そこで、できるだけ連絡を取り合い、翔太が進むべき道を応援してあげようと私も必死でした。
程なくして、通信制の高校に通い、昼は塗装屋で仕事を始め、翔太も更正をしたのだと私も安心をしました。

私も高校2年の2学期には就職が内定し、よりスポーツに打ち込む日が続きました。
日本代表候補の合宿に参加できることもあったり、国体に出場したり自分では本当に充実した日々を送っていたのです。

翔太にももちろん報告をしました。
自分のことのように喜んでくれました。

程なくして、翔太の母から電話がありました。

翔太が亡くなったと。

頭の中が整理できず、私は翔太の元へと向かいました。
今にも起きてきそうな、涼しい顔で寝ていました。
大人になった今でも信じられないくらいの顔でした。

自殺でした。

そんな時に、翔太の母は私に翔太の携帯を見せてくれました。
保存BOXに入っていたひとつのメールでした。

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〇〇←(私の名前)誕生日おめでとう。

来年は就職してより離れ離れになるな。
俺は寂しいぜ(笑)
ってのは冗談だけどな!(笑)

小学校の頃から仲良くなって、いろんなバカなこともしたけど、友達になって良かったよ!
高校いって、別々の道歩んだけど、正直ずっとお前が羨ましかったよ。

親もいないお前が、ぐれることなく部活も頑張ってるし、勉強は知らんけど。(笑)

自分が進みたい道って、やっぱり自分が決めるべきだよな。
俺は親の言われた通りに生きてきて、高校辞めるって決めた時、正直初めての親への反抗だったんだよな。
親の敷いたレールをずっと歩くのかと思うと、突然嫌気が差してな。
人生の先輩であるから間違ったことは言わないんだろうけど、自分の気持ちを押し殺してまで進むべき道なのかと思った時にふと、違うなと思ったんだよな。

お前に相談しようか悩んだんだけど、お前が必死に頑張ってる所に俺が割って入ると邪魔だからな。(笑)

お前と同じ高校に行って、お前と一緒にバカやって、勉強しなくても友達を多く作って楽しい時間を過ごせる、そんな日々にしたかったのによ。
自分の弱さで虚勢張って暴走族入って、変な薬にも手出してしまって、それで仲良かった友達も離れてよ、お前だけだったよ。
真正面から向き合ってくれたのは。ありがとな。

けど、今自分に自信もなければ、本当にやりたいことが自分には分からない。
親の言う通りに生きていればよかったのか、今では分からない。
けど、そんな親の期待も裏切ってしまったしよ。
時間って戻ってこねえもんな。勿体ない時間を過ごしたぜ。(笑)

すまん。お前の誕生日の祝いのメールやのにこんなこと書いてよ。
お前はいつまでも俺のスーパースターであると同時に、大切なダチだからよ。
また今年も最高の一年にしてくれよな。
本当におめでとさん。

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翔太も色々考えたのでしょう。
目に見えない無言のプレッシャーもあったのでしょう。
明日を見えない毎日を歩くことがとてもつらく、苦しいことなのか。
もっとなぜ早く気付けなかったのか。

未送信BOXのメールを見て私は人目を憚らずに涙しました。
悔しかったです。
大切な友人をなくしてしまったこと、もっと前に気付けたんじゃないかと。
けど、そんなことを言っても翔太は帰ってこない。
だからこそ、翔太の分まで生きるんです。

『時間って戻ってこねえもんな。勿体ない時間を過ごしたぜ。(笑)』

この言葉の通り、過ごした時間は巻き戻せるわけでもなく、戻ることもできないのです。だからこそ、後悔しない時間を過ごすことが大切なのだと。

私の大切なもの。
『時間』
です。

どんな金持ちでも、どんな貧乏な人でも、どこに住んでいても、性別が違おうと、時間というものは生きている人全てに平等にあるものです。

大切な人と過ごす”時間”、一生懸命仕事に打ち込む”時間”

与えられた、今自分で手にしている時間を無駄にしない為にも大切に、大切に、考えながら過ごしていきたいと思っています。
翔太がそれを私に教えてくれました。

そっちの世界はどうだ?
元気にやってるか?

そっちでは好きなこと出来てるか?
楽しく過ごせてるか?

いずれ、俺もそっちに行くからよ、それまで時間を大切に過ごしてくれよな。

俺の方こそ、友達でいてくれてありがとうな。

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