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私のガイド
重度自閉症の娘が産まれたときに
「おい、なんなんだ。なんで私が」とマイナスの感情を抱え、確かに孤独はずっとあった。
でも、辛気臭いのは嫌いな性格だった。
診断を受けるまでは、
癇癪がひどく、育てにくい子で、
娘の本質が見えず、どう接したらいいのか分からなかった。
だから、
幼稚園に入るときに正式に診断を受けた時は、私の育て方が原因では無かったと安心したのを覚えている。
娘が小学5~6年生の時が一番大変だった。
多動が酷く、よく家から脱走していた。
鍵もチェーンもブチ破って外に出たり、布団に自分のパジャマを入れ、あたかかもそこで寝ているかのようにしたり、自分の靴じゃない靴で逃げたりと、私を欺こうとしていた。
2階のベランダからも出ようとしたり、夜中寝ている最中に外に出ようとしたりと、目を離せない時期が続き、
眠れない
脱走した娘を追いかけて怪我をする
そして円形脱毛症になる…
と満身創痍の状態だった。
ある日の夜中3時、
寝ている時に友人から電話がかかってきて、
「娘さんが来てるよ」ということもあった。
仕事で実家の家族に娘をみてもらっていた時に、家から脱走したと電話が掛かってきた。とりあえず警察に電話して捜索してもらったけど見つからず、捜索届けを出すことになった。脱走したと電話が来たのは19時。
その後、夜中1時頃に西宮の警察署から「娘さんを保護している」と連絡があった。宝塚から西宮まで約10キロ娘は歩いていたことになる。
そんな、とても大変な状況なのに、
なぜか笑ってしまう私がいた。
教えてもいないのに、そんな技どこで覚えたんだ。
って怒りも呆れも通り越して、どこか痛快に思う私もいた。
あぁこれネタになるな~って思う私もいた。
そう、“娘は好きなことには猪突猛進”である。
「ちゃんとして」いないと認めてもらえない。って
「ちゃんとする」ことで承認欲求を満たしていた私。私なりの処世術だった。
そんな私の元へ、「ちゃんと」なんて全っっっくできない彼女がやってきて
『母ちゃん、
ちゃんとできなくても丸ごとがわたしやで。
そのままのわたしを愛して』
ってそんなメッセージを伝えるために
私を母親に選んで生まれてきてくれた。
って思った。
誰の顔色も
評価も
気にしない。概念すらない。
忖度も
遠慮も
我慢もなく
いくら怒られようが
禁止されようが
ただ、己のやりたいことを是が非でもやり抜く。
‘’究極の自分軸’’
誰よりも幸福度が高い。
その姿にね、どこか羨ましく感じるの。
『母ちゃん、これが自分を生きるやで。』
と娘の背中に教えられる母。
だから娘は、私のガイド。