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母乳ハラスメントの話
「母乳で育てているの?」
私は2児の母親ですが、子どもがまだ授乳期であった頃、子どもを連れて外出していると、見知らぬ人からこのような質問をされることがたびたびありました。
「母乳で育てているの?」
「母乳は出ている?」
たいてい、子育て経験があると思われる、年配の女性からの言葉でしたが、私はいつも、この質問を受けるたびに、何かモヤモヤとしたものを感じざるをえませんでした。
それは、私が混合栄養(母乳+ミルク)で育てていたからだと思います。
母乳だけの育児ではなく、(やむなく)人工乳に頼らざるを得ない自分を、どこか後ろめたい気分にさせる空気を、この質問の中に感じていました。
それは、一般的に、「子どもは人工乳(ミルク)より、母乳で育てたほうが良い」と考えられているからだと思います。
ミルクより母乳のほうがいい
人工乳より母乳が優れている点、母乳で育てることのメリットは、いくつも思い浮かびます。
母乳には免疫を高める成分が含まれていて、消化吸収に優れているし、母子の愛着形成に影響を与えるという話もあります。
母乳で育った子は、人工乳で育った子に比べて、将来の病気のリスクが低いとか、発達障害の発現率が低いとか、母乳で育てると頭が良くなるなんて説もあるらしいです。
このような、栄養面・精神面の効果や、いろんな学説や研究の例を出すまでもなく、赤ちゃんがお腹がすいたと泣く時に、おっぱいをぽろりと出して吸わせればいいということだけを見ても、「母乳すごい」と思ってしまいます。
健全な母親なら、自分の子どもは安心で安全なもので育てたいと思うでしょうし、健康で幸せであってほしいと願うでしょう。
ミルクで育てると病気や障害のリスクが高まるなんて脅されては、「母乳で育てなければ」と感じてしまうんです。
それで、「あなたは母乳で育てているの?」→「いいえ、ミルクです」と答えなければいけないということは、極端に言えば、「子どもを不幸にしている母親です」と宣言しなければいけないような残酷さを感じてしまうのです。
劣等感
私自身、初めての子育てである長女の時に、この「母乳で育てなければ」というプレッシャーに、勝手に押しつぶされていました。
誰に強要されたわけでもなく、自分で「母乳育児をがんばろう」と選択した結果なのですが、本当に、必死でした。
私はそもそも、母乳だけで子どもを大きくできるほど、母乳の出が良くはありませんでした。
なので、母乳育児が成功する方法を必死にネットで調べたり、おっぱい教室に通っておっぱいを揉みしだいてもらったり、頻回授乳の寝不足で白目になったりしていました。
最初の頃は、新生児用の体重計をレンタルして、授乳前と授乳後の体重変化をいちいち量り、「今回は20㏄飲めた」などと、一回の母乳の量に一喜一憂していたものです。
それでも、離乳食が安定してくる頃までに完母に至ることはなく、いつもミルクを足していました。
完母のママさんたちが、いつもうらやましく感じていました。
それは一言で言うと、「劣等感」のようなものでした。
母乳で育てられない自分、母乳が出ない自分。
どこか、「母親失格」「母性欠落」のようなニュアンスもありました。
これは、誰から言われたわけでもなく、私自身が勝手に自分を責めてしまっていただけなのですが、「母乳で育てたほうがいい」という思い込みが肥大して、このような劣等感に繋がってしまっていました。
「母乳で育てたほうがいい」という言葉が、「母乳=良」「ミルク=悪」みたいに誤変換されてしまって、出ないおっぱいを必死に吸わせている毎日でした。
それってハラスメント
でもそれは、本当に、感じなくていい、勝手な思い込みだと、授乳期を終えた今なら思えます。
ただ、「母乳で育てたほうがいい」というプレッシャーは、私が勝手に自分の中で作り上げたものではなく、現実に、いろいろな場所で謳われているものでもあります。
私が子どもを連れて通っている小児科には、『母乳育児を成功させるための10か条』というポスターが貼り出されていて、世界的にも、母乳育児を推奨する流れになっています。
ミルクの缶には「母乳は赤ちゃんにとって最良の栄養です」という文言を表示することが、義務になっているそうです。
私のように、「母乳だけで育てたくてもできなかった」という人にとっては、「母乳で育てたほうがいい」という言葉は、悲しく、重く、響いてしまいます。
もちろん、母乳で育てたほうがいいことはわかっていて、母乳で育てたいと思ってはいても、いろいろな事情でそれができないお母さんもたくさんいます。
「母乳で育てたほうがいい」というのは事実かもしれませんが、それと同時に、「ミルクで育ててもいい」ということも、同じくらいの声の大きさで伝えたいと、私は思います。
本来は、自分の子どもに何を食べさせて(飲ませて)育てるかなんて、それぞれの親・家庭によって、考え方や事情も異なるでしょうから、それぞれの判断に任されているものであるはずです。
それなのに、こと乳児期に関しては、「母乳!」「母乳!」の圧力がすごい。
子どもにとって最良の栄養を取らせることが親の責任なら、ジャンクフードや外食ばかりの食生活は問題で、家庭で手料理を食べさせたほうがいい。
だけど、ハンバーガーのパッケージに「母親の手料理は子どもにとって最良です」なんて書きませんよね。
母乳育児を続けていくのは本当に大変だからこそ、それを支える意味で、推進・推奨されているのだと思うのですが、そのプレッシャーに押しつぶされているお母さんは、過去の私だけではないはずです。
極論「”楽してミルク”の何がいけないの?」
極端に言えば、「もう母乳しんどいからミルクにする」というのでもいいと思うのです。
子どもの栄養のことや、今後の成長について考えた上で、親自身の体調・ライフスタイルに合った方法で育てていけばいいのです。
その結果、人工乳を選ぶのなら、何の問題もない。
ユニセフやWHOが母乳育児を推奨し、ミルクの缶の注意書きを義務化しているのは、きれいな水を手に入れることができない途上国の子どもたちのことを危惧しているものです。
世界で一番きれいな水がいつでも飲める国に住んでいるんですから、人工乳で育てる危険性なんてありません。
仮に、「安易にミルクに頼るのはいかがなものか」みたいな反応があるのなら、母親が楽することの何がいけないのかとも思います。
そういう反応をする人がいるとしたら、家事・育児の負担の大きさと、母親の愛情の大きさを同一視しすぎているからです。
授乳期に追い詰められていた私自身、母乳が出なくて「母親失格」なんて自分を責めていましたが、そんなことないとハッキリわかっています。
母乳でもミルクでも、どっちだっていい
授乳期の母親は孤独です。
長女の時のことを振り返ると、暗い部屋で絶望感を抱きながらお乳を吸わせていたことを思い出します。
毎日毎日、最初の3ヶ月くらいは、外出もほとんどせず、2時間以上のまとまった睡眠を取ることもできず、ただただ母乳をあげる日々。
お母さんは毎日大変で、いつもがんばっています。
だから、もっとがんばれって言わないでほしいです。
帝王切開で産んでも、自然分娩で産んでも、手の込んだ離乳食を食べさせても、レトルトのベビーフードを食べさせても、母乳で育てても、人工乳で育てても、どっちでもいいですよね。
愛情の深さは変わらないし、子どもは育ちます。
長女の時には白目を剥きながら母乳育児をがんばった私ですが、次女の時には、早々に完ミに至りました。
ミルクを飲んで元気に育ってくれるなら、それで十分と思えたからです。
それを誰にも責められたくないし、後ろめたい気持ちにもさせられたくない。
子どもの栄養が母乳かミルクかを確認されたくもないし、その答えで何かを判断されたくもない。
何を飲ませているかで、母親の愛情や大変さは量れないんですから。