坊ちゃんが産まれるまで②
前回の続きです。
こんにちは、みいるです。
妊娠13週、まだ絶賛つわり中のときに新たな試練がやって参りました。
子宮頸管2.5cm。
子宮頸管とは赤ちゃんが産まれるときに通る出口なのですが、通常ここは4cm閉じていないといけないそうです。
もともとの体質として子宮頸管が短いのか、開きやすのかは初産なのでわからないとのこと。ひとまず子宮頸管無力症との診断。
妊娠初期でこの短さはよろしくなく、2cmになったら入院ですとの通達でした。
一難去ってないのにまた一難。
いやでもさすがに2cmにはならんでしょうよ。
いろいろブログ等をあさってみても、妊娠初期に2cmはない。大丈夫、大丈夫…
…ではなかった。
18週のときに2cmになり入院になりました。
幸い15週あたりから少しずつ食べるものが増えて、たまにえづく程度になり、白米と味噌汁が食べられれようになってたのが良かった。
病院食でいろんなメニューが出てくるので、なにが食べられるか試せるのもラッキーでした。
ちなみにつわりが落ち着いても味覚はもどらず、ニオイに敏感なのも含めて出産まで続きました。
産後のお祝膳が美味しすぎて、泣きながら食べたことは一生忘れません。
入院の目的は、子宮の出口を縛る手術を受けること。子宮頸管縫縮術(シロッカー)というものです。
縛ったところで赤ちゃんが出たいと思ったら突き破ってでてくるそうで、もしそうなった時に縛っているところが防波堤になり、少しでもお腹の中にいてくれる時間を延ばすという意味合いがあるとのこと。
手術が刺激になって流産するリスクもあるし、手術をする決断がなかなかできずにいました。
あとは抜糸は外来で麻酔無しでするっていうのが想像しただけで気絶しそうでした。
(子宮がん検診や採血で失神経験あり。痛みにはめっぽう弱いです…)
1週間ほど悩んで、やるだけのことはやってみようと踏み切りました。
入院期間は3週間。
悩んでる期間なければ2週間ほどで退院できてたのかなと思います。
入院中つらかったことは、張り止めの点滴。
うまいこと刺さっていれば良いのですが、痛くて腫れることもありました。あちこち腫れて次どこ刺す?って状態…だいぶトラウマです。
シャワーのときも不便でした。
針は刺したままで管だけ外してカバーしてもらっているので、片手で洗ったり着替えたりしないといけません。
シャワー室の制限時間が30分。
移動は車椅子だったので、看護師さんに来てもらって手のカバーしてもらってシャワー室に連れて行ってもらう。
看護師さんがきてくれるタイミングが遅いときはかなり焦りました。
こっそり一時間の枠をとってくださった看護師さんがいて、ものすごくありがたかった。天使でした。
四人部屋の廊下側で窓がなく景色がみれず、部屋のすぐ隣にあるトイレへは歩いて行ってOK。それ以外は車椅子で連れて行ってもらわないと行けない。
入院中はお腹の子のことで頭がいっぱいで不自由さがどうでもよくなってましたが、振り返るとなかなかヘビーな生活でした。
そして妊娠20週のときに手術を受けて翌週退院。この時、12月の半ば。予定日は4月。
果たして無事に年を越せるのか。
「一日でも長くお腹の中にいてもらうためにとにかく安静。とにかく横になる。おだやかな気持ちで。」
この頃残していたメモにそう書いてありました。
結婚後なかなか赤ちゃんを授かれず、不妊治療を経ての妊娠だったので、自分は妊娠に向いてないんだなぁと思っていました。
今できることはとにかく安静。
妊娠は苦手でも出産は得意かもしれんしね。
なんて思いながら、早産は確実だろうと覚悟していました。
次回へつづきます!