出産への考え方で克服できた死恐怖症
突然変な話をしますが、私は子どもの頃から死に対して人一倍、恐怖感を抱いています。
小さい頃は、戦争や、両親が死んでしまうことが怖く、考え始めて眠れない夜はくだらない漫画(なぜかいつも「あさりちゃん」 )を読んで心を落ち着かせていました。
今では、両親に加えて、旦那や娘の死も怖くなりました。自然な流れともいえる両親の死を受け入れることよりも、旦那と娘の死は別格の苦しさがあり、想像して涙が出てくるときもあります。
今まで死が怖いといっても、特に思い悩むほどではなかったのですが、二度目の妊娠中である今年に抱いた恐怖感は今までと異なりました。
でも面白いことに、妊娠中であることにより、私をひとまず恐怖感を克服することができたのです。今日はその話をシェアします。
死への恐れが発症したきっかけ
きっかけは、息ができない夢を見たある夜のことでした。
息苦しさで目が覚め、その途端、窒息死することが怖くてたまらなくなったのです。怖すぎて動機がし、呼吸もうまくできない程です。
それまでは、愛する人の死のみが怖かったのですが、今回はそれに加えて、自分が死ぬ瞬間の苦しみに対しても強い恐怖を感じます。
その夜は、スマホで「死が怖い」などと検索し、他の人の体験談や対策などをみてるうちに少し落ち着き、数時間後にまた眠りにつくことができました。
しかしそれ以後も、妊娠のせいで夜中にトイレで目が冷めてそのまま2〜3時間眠れないことがたまにあり、暗闇の中でいろんなことを考える時間が多くありました。うっかり死のことを考えるとまた怖くてたまらなくなります。
これは重症だと感じたのは、娘と一緒に「美女と野獣」実写版を観ているとき。
バラの最後の花びらが落ち、城の召使いたちが次々に命を失い「物」へと変わっていくシーンを観ていたら、また息ができないほど怖くなりました。
真っ昼間に子どもと観ているディズニー映画で、しかもこの数秒後にハッピーエンドになる展開を知っているのに、ここまで反応してしまうのは流石にまずい…
こうやって人に話してる時はむしろ笑い話のように説明できるのですが、恐怖を感じている最中は、言葉で説明できないほどの恐れです。
症状名をネットで調べると「死恐怖症」別名「タナトフォビア」と呼ばれるそうで、検索結果が山のように出てきます。
私と同じように、むしろそれ以上に死の恐怖を抱える人が世の中にこんなにいるんだということ、そして、治療法や克服した体験談もたくさんあるということを知るだけで心がだいぶ楽になりました。インターネットのある時代で良かったと常々思います。
本に書かれた一言で救われた
悩みがあるときに頼れるのはいつも本。
これ以上、怖い思いをする前に本に救いを求めようと思い、下の本を読みました。
目次から、自分の読みたいところだけを開いて、そこで早速救いとなる言葉を得ることができました。
下に私を救ってくれた文章を引用させていただきます。
死んだ後どうなるかが怖いという感情に対して
”死んだときに、 何らかの経験をするが、それは通常の経験とは異なるので想像できない、厄介な謎である、というわけではない。違う。ここには謎など全然ない。死んだらもう、いかなる経験もまったく存在しないのだ。
だがそれは、死んだ後の状態が「どのようであるか」は、じつは本来それ自体悪くないということを意味する。それは、死んだらどのようにもならないからにほかならない。だから、死を恐れるときに恐れているのが、死んだらどのようになるかということであれば、そんな恐れはどれも不適切になる。恐れるのが適切であるための第一の条件(恐れられているものは悪くなくてはならないという条件)が満たされない。恐れの対象、すなわち死んだ後の状態は、じつはまったく悪いものではないからだ。”
ー小見出し「死そのものが恐ろしい」より引用
先に述べた「美女と野獣」のワンシーンでは痛みや苦痛は誰も感じていません。怖い理由は、まさに死んだ後どうなるかがわからないからです。
しかし、この本に書かれているように、死後=何も経験しない ということなので、そこに恐れる要因は存在しない、つまり恐れる理由が無いということです。
理論的な考え方に納得し、心を安心させてくれました。
死の痛みや苦しみが怖いという感情に対して
では死に伴う痛みや苦しみはどうでしょうか?
老人になり眠ったように死んだというような穏やかな死を除けば、たいていの場合は少なからず痛みや苦しみを経験します。
それについて同書では下のように書かれていました。
自分も苦しい最期を迎えるかもしれないのが恐ろしいと誰かに言われたら、その反応はたしかに理解できるだろう。 それでも、その恐れは釣り合いのとれたものでなくてはならない。自分がそういう目に遭いはしないかと思うと恐ろしくて夜も眠れないと言う人がいたら、それほど大きな恐れは不釣り合いに思える。
ー小見出し「死に伴う痛みが恐ろしい」より引用
死に伴う痛みが怖くて夜も眠れないなんて、「それほど大きな恐れは不釣り合いに思える。」
私が平静を失うほどの恐れに対し、いとも簡素な主観でまとめられており拍子抜けしたくらいですが、確かにそのとおりではないかと思いました。
さらに、この言葉で気づいたことがありました。
それは、私は出産時の痛みに対しての恐怖感は殆ど抱いていないということです。
一人目が超スピード出産だったということもありますが、でも初めてのお産のときもあまり不安には思っていませんでした。(ちなみにスピード出産でも痛かったです)
もちろん出産当日を想像すると多少の緊張感は覚えます。しかし、今から出産の痛みを想像して不安になるなんて、いらぬ心配事だと、至って冷静です。
そしてさらに考えてみれば、もしかして大概の死に伴う痛みは、出産時の痛みより楽なのではないでしょうか?
出産時は、人によっては叫んだり、暴れたり、もがくような痛みです。
でも映画やテレビで観る限り、ほとんどのケースでは人は比較的穏やかに死んでいきます。痛みがあったとしても、出産のように何十分も何時間も痛みに悶えるような例を、幸い私はあまり多く知りません。
(もちろんものすごい痛みの最中で亡くなっていく方がいること、また長期に渡る闘病生活などで出産を上回る心身の苦しみを経て亡くなる方がいることは百も承知です。しかし、ここでは私の”死の瞬間”への恐怖心を抑えることが目的なので、闘病期間は考慮に入れておらず、また楽観的に捉えればそれでOKなのです。)
死んだ方々にその経験談を聞くことはできませんが、出産を経験した女性はこの世の中に星の数ほどいます。そして、2回、3回とその痛みを複数回経験することを自ら選ぶ女性もやはり星の数ほどいるのです。
そしてかくいう私自身も、出産の痛みを知っており、その上で、二回目の出産に対して恐れを抱いてない。つまり、出産よりも苦しみの程度が低いであろう死の痛みを恐れる必要は全くないのだと、気づいたのです。
これに気づいてからは、死への恐れはかなりコントロールできるようになり、考えることもほとんど無くなりました。
まだ「愛する人を失うことの恐れ」はありますし、考えただけでも胸がぎゅっと苦しくなりますが、それに関しては時が必ず癒してくれることを信じているので、今のところなんとか大丈夫です。
ということで、今日はちょっと変な話を書きました。
皆様の中でも、私のように何かへの恐怖心に悩まされる方はいらっしゃるでしょうか?怖くなったときの対策など、教えていただけたら嬉しいです。
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