ステレオタイプについて
私は海外で暮らす経験をしたことで、前よりもステレオタイプについて考えることが多くなりました。
ある特定の集団に対するイメージってもしかしたら意図的に誰かが作ったものなのかもしれないなとか、たまたま発言力がある人が自分の周りの話をあちこちで大袈裟に喋りそれが固定化されてしまったのかなとかそういう事です。
それに加えて、ビジネスの宣伝文句が拡散されステレオタイプになったのかなという気もする。
私が生活していたオーストラリアにも、イメージはあります。
行く前に聞いた話は、
オージーは、アウトドア派でビーチ好き
フレンドリー
BBQ好き
が代表的なもの。
けれど、実際にはインドア派で外が嫌い
内気で同類としか親しくしたくない
肉が嫌い
とかそんな人もいたしそれだけでなく、正直接する前からは人によって予測は不可能というのが真実だなとしか今となっては思えないのです。
けどこれって、逆に日本でも当てはまるはずなのですよね。
オーストラリア人には、いろいろなルーツの人がいてみんな同類と分類できないように日本人でもそれは同じ。
私は相手から「日本人」のステレオタイプというフィルターを通して接された経験が何度もある。
身近な例で言うと、日本人だったらこれが好物だろうみたいに思われてもてなされたりとかそういう事です。
けれど、それが必ずしも私がとても好きなものでないことは珍しくもなかった。その度に、日本人なのに珍しいとか言われなんだか引っかかる感覚がした。
これは些細な例だけど、それ以外にも多々そういう事があり、ああ決めつけってこういう事だなと思った。日本人女性だからこういう反応をするだろうみたいなのもまあまあ私には当てはまらなかった。
もちろん、習慣や文化はその国に住んでいれば馴染みがある。そして大体の傾向はあるだろう。けれど、全員が同じとの思い込みはかなり無理があるなと…
これって、情報が飛び交う時代でなかったらどうだったのだろうか?
相手に接する前に、相手を知ろうとする労力が今よりもかかったはずだ。
今は情報を受け取ることが簡単になった分、他人には分からない部分が必ずあるという前提が分かりづらくなってしまった。
最初から、他人は分からないと線引きをすれば的外れな決めつけなんて出来るわけもない。
どうしたら上手く関係が保てるだろうかと、もう少し頭を使い知ろうとする努力をしなければ上手くいかないと認識できるのではないか…
これはコミュニケーションを取る上では、結構重要な事だ。英語を理解していても、相手が理解できていなければ一方通行だ。
英語圏の人は必ずこう!なんて決めてかかりそのように接するのもなかなか変な事だし、自我を一方的に「違い」が多い人に投げかけても理解などされる訳もない。
必ず理解しない人がいるとの諦めを持っている人はどれだけいるのか?
コミュニケーションは、一筋縄ではいかない。
ステレオタイプに拘りすぎて人に接す人は、それは違う場合もあると思った方が良い。
日本でさえそうなのだから、英語で会話するのであればそれはもっと重大問題になる。
人のルーツ、それに伴う性格や思考は人によって違う。それを分かって初めて、英語圏の人とのコミュニケーションが上手になる入り口に立つだろう。
「英語圏では、こういう表現は使わない。そして、この方がよく使う。」
こういう決めつけの一種なんて論外だ。
単語、表現を暗記して点数稼ぐことだけで使えるようにならない。あまりにも簡単に捉え過ぎているし、情報社会の悪い所だろう。
まずは、ステレオタイプを破壊し頭を柔軟にしなければあまりにも上手くいかないだろう。
そして、それはただの始まりに過ぎない。
それを理解しながら違いに慣れ、何度も挫折しながら洗練させていくのがコミュニケーションなのになとつくづく思う。
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