終戦の日
8月15日
終戦の日
6日の広島への原爆投下
9日は長崎へ…
痛ましく悲しい日です
私は戦争を知りません
両親は戦後生まれ
亡くなった祖父母は大正生まれだったので
戦争体験者でした
祖父は漏斗胸という病気で 前胸部が凹んでるのですが 戦中の検査で虚弱という事で兵隊にはなれませんでした
余談ですが そういえば弟もそうです
亡くなった祖母とは休日
祖父母の部屋で畳に枕を並べて昔話を聞いた想い出があります
当時各地で空襲があり祖母の生家のあった岡崎市の伝馬通にりも空襲がありました
当時幼かったワタシの母を手に引き、すぐ下の妹 叔母を背かなに背負いお腹には一番下の妹の叔母がいて爆弾投下の中 掻い潜り無事逃げたそうです
母の姉妹は今は三人ですが本当は四姉妹でした
戦争が終結し日本は貧困にあえいでいた時代身体には蚤はいたし 家中ネズミだらけ
食べるものもろくになく白いご飯をお腹いっぱい食べるのが夢だった子供がたくさんいました
それでも子供たちは逞しく木々になってる木の実や食べられる草花を食べ飢えをしのいでました
そういえば 父の実家長野県阿智村で蜂の子が出た時は悲鳴をあげたっけ
母に聞いた話です
祖母には直接聞けませんでした
ある日お腹を空かせた子供たちは柿の木に登り柿を頬張ってました
一番下の妹(叔母)は幼く木に登れませんでした
あまりにお腹が空いて…
落ちていた熟し過ぎた柿に手を伸ばしました
当時 赤痢が大流行し 十万人の感染者 二万人の死者を出した恐ろしい病気
毎日の食料にも困っていた時代
病院へ行く事が当時どんなに高額で大変だったのか…
今のワタシには解りません
苦しそうにしている幼い我が子を前に成す術もなく黙って見ているしか出来ない母(祖母)は自分をどんなにか責めた事でしょうか
泣きながら看ている母を前に
「どうしてお母ちゃん泣いてるの?」
無邪気に聞く娘が不憫で憐れで
できるだけ事なら自分が代わってやりたい!
親なら誰でも思ったと思います
自分が死に行く事も解らない罪もない子供の痛ましい死
貧しい事が罪というのなら何故戦争を始めたのか
世界に向けて小さな島国が起こした
世界中をも巻き込んだ大きな戦争は惨敗し
悲惨で苛酷な結果を生みました
それでも人々は強く現在の経済は目覚ましく成長し 過去の汚点を払拭するかの様な発展を遂げました
私は戦争を知りません
平和な毎日に感謝しなければなりません
8月15日に平和への感謝を祈ろうと思います
miina